家庭礼拝 2015年1月14日マタイ7章13‐28狭い門
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起
いよいよ、今日で、山上の説教は最後になります。ここには短い説教がいくつか集められています。この山上の説教の基本的なテーマは、神様を選ぶのか、この世を選ぶのか、と言うことです。その流れからいえば、今日の最初の小見出しの「狭い門」と言うのは、まさにこのテーマに沿った、まとめともいうべきものです。ですが、その後に続く3つはちょっと今までのテーマとをは違うのです。「実によって木を知る」と「あなたたちの事は知らない」と「家と土台」と言う三つの小見出しが続いていますが、ここでの主題は、「神かこの世か」と言うテーマと言うよりも、「行いが大切である」と言うテーマなのです。最初の「実によって木を知る」と言うところで言われる実とは、行いの事なのです。そして続く二つには行うと言う言葉、「天の御心を行うもの」と、「私のこれらの言葉を聞いて行うもの」と言う「行うもの」と言うことがはっきりと語られているのです。すなわち聞いて学ぶだけではなく、行って本物になると言うことなのです。
信仰義認と言う言葉もあって、行いがそれほど大切でないように受け取られがちですが、イエス様は、はっきりと、行うことが大切であることを言っているのです。私たちも、信じることこそ大切だと言う思いの中で、聞くこと、学ぶこと、祈る事には熱心ですが、行うことは軽んじている傾向にあるかもしれません。行いに重点を置くと、すぐに律法主義的であるとか、行いによって救われようとするのは間違いである、と言うような意見に出くわしてしまうのです。
それでは、行いによって救われようとすることと、イエス様の言っている行いが大切であると言うこととは何が違うのでしょうか。それは、イエス様も行いによって救われるとは言っていないのです。その様に言っているのはやはり、律法主義者たちなのです。イエス様の言っていることは、信仰によって救われた者は実を結ぶ、すなわち行いとなって表れる、と言っているのです。私達が求めなければならないのは、行いによって救われようとすることではなく、信仰によって救われて、実を結ぶようになり、行動に現れるようにすることなのです。もし行動に表れていないのであれば、私たちの信仰はまだまだ至らないのであり、実を結んでいないのです。どんな実を結ぶのかはわかりませんが、私たちの信仰が実を結ぶように、神様に願い求め、さらに深い信仰が与えられるようにと祈ることが大切なのではないでしょうか。奉仕をしたから、献金をしたから救われると考えてはいけないのです。そこには何の実も見いだせないのです。信仰し救われた結果の奉仕であり、献金となるのが求められていることです。
承
では最初のテーマは「狭い門から入れ」です。この言葉はアンド・レジイドの「狭き門」と言う本の題名にもなり、大学入試で「狭き門を入る」と言う言葉に使われているほど有名ですが、これが聖書の言葉であることを知っている人は意外に少ないかもしれません。13節と14節です。
マタ 7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
マタ 7:14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
先ほども言いましたが、この言葉のテーマは、「神かこの世か」の選択と決断のテーマです。狭い門から入るのは命に至る道であり、広い門から入るのは滅びに至る道なのです。狭い門の道は狭くて細く、広い門の道は広々としていて、多くの人々がとおっているのです。そこで、あなたはどちらを選ぶのかと問われているのです。もちろんイエス様は狭い門から入れと命じています。
広い道は、この世の価値観の道です。ですから誰でも理解でき、利己的で快楽主義的で多くの人々が求める幸福の世界です。ですがイエス様はその道は滅びに至ると言っているのです。だから、皆が行っているからと言って、広い門から入るのではなく、狭くて細い道の狭い門から入りなさいと言います。この狭い道は、見えないものを信じる道です。信仰の道です。その道は困難を伴い、この世の利益を捨てなければならないので、その道を求める人は少なく、ましてやその道を見出す人も少ないのです。ですがこの道の先には、イエス様は命があると言っています。だから、その見かけに捉われることなく真実を求めて、狭き門から入りなさい。そこには本当の救いがあるから命があるからと教えてくれているのです。
転
さて、次のテーマからは、行いの大切さを教える言葉です。15節から20節です。ここでは、その行いの事を「実」と言う言葉で表しています。「実によって木を知る」と言う箇所です。
マタ 7:15 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
マタ 7:16 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
マタ 7:17 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
マタ 7:18 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
マタ 7:19 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
マタ 7:20 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
ここでは偽預言者の事を言っています。その偽預言者に警戒しなさいと言っています。この偽預言者とは誰の事でしょうか。どうもイエス様の敵の律法学者やパリサイ人たちではなさそうです。彼らは自分たちが予言者であるとは言っていないのです。15節では、彼らは羊の皮を身にまとってあなた方のところに来る、と書いてありますが、実際に預言者たちは羊の衣を身にまとっていたようです。これは単なる比喩的表現なのではありません。実際にそうだったのかもしれません。ですが、そこには、羊のような顔をして、相手を安心させ、相手の財産を骨まで武者振り食い尽くす貪欲な狼の様である、と言う比喩的表現でもあるのです。当時はこのような、偽預言者が至る所に現れて、神の言葉を語り、人々を惑わして、良い待遇を得ようとしていたのです。彼らに比べれば律法学者やパリサイ人はまだましな方です。彼らは決して偽りを語っているわけではないからです。ですが、偽預言者たちは、神様の言葉だと偽って、いい加減な、相手の喜ぶようなことを熱心に説いていたのです。ですから、偽預言者を警戒することは大切だったのです。
イエス様は彼らが偽預言者かそうではないのかを見分ける方法を教えてくれました。それは、「良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」と言うことです。すなわち、彼らが本物ならば、その行動においても決して利己的な利益を求めない、と言うことです。神の言葉を信じなさいと言いつつ自分の利益を求めるようなものは本物ではないと言うことです。ですから、その語られる言葉よりも、その信仰の結果である、実、すなわち行動に注意しなさい、と言っているのです。その行動がその人の真実を現しているからです。よい原因が、良い結果を生むのです。私たちの信仰もまた、行動においても信頼を得られるものでなければ、とうてい本物ではないのです。
次の小見出しは、◆あなたたちのことは知らない、と言う箇所です。ここでのテーマも、行うことです。口先だけではなく、神様の御心を行うものだけが、神様に認められると言うことになります。21節から23節です。
マタ 7:21 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
マタ 7:22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。
マタ 7:23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
私たち信仰者においても、主よ主よ、神様神様、と唱えてもそれは必ずしも本当の信仰を現しているわけではありません。自分の欲望を叶えてもらうために、イエス様や神様を利用しているだけかもしれません。信仰において大切なのは、願い求めることではなくて、神様の御心を行って神様を崇めることなのです。イエス様はこう言いました。「かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。」と言いました。ここで語られていることは、イエス様の御名によって、預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行った人々の事です。すごいことをしてきた人々です。私たちにはとてもできません。ですが、このようなことが出来る人々でも『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』と言われてしまうのです。この人々の信仰はどうであったのでしょうか。実は、このような預言や、悪霊を追い出すことや、奇跡を行うことは、偽預言者でもできることなのです。それが神様からくるものでなければ誰でもできることなのです。このような見せかけの奇跡を行うことよりも、神様の御心を行うことのほうがずっと大切なのです。これらの偽預言者たちは、神様の御心を行うのではなく、自分の利益を求めるために見せかけの行為をしていただけなのです。だから、神様はあなたたちの事は全然知らないと言って、私から去れと言われるのです。本当に、神様の御心を行うこと、それが信仰の実です。イエス様はその実を実らせるようにと言っているのです。
次の山上の説教最後の言葉も、行うものについての教えです。これを、「家と土台」と言う比喩的表現を使って説明しています。24節から29節です。
マタ 7:24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
マタ 7:25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
マタ 7:26 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
マタ 7:27 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
マタ 7:28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。
マタ 7:29 彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
ここでは、イエス様の言葉を聞いて行うことが、どんなに確かな土台の上に立つことが出来るのかを家と土台を例えにして説明しています。イスラエルの国は基本的に砂漠地帯にあり、荒野であり、干上がった川が沢山ありますが、その通り道は深い谷になっているところが多いのです。今我々が家を建てるにしても、山の岩だらけの所よりは、平地の平らなところにたてた方が住み心地がよいと考えてしまいます。ですがイスラエルの国ではそれは危険なことなのです。平らな住み心地の良さそうなところと言うのは、砂地であり、いったん雨が降ると川の奔流となり、風の通り道となって、瞬く間に押し倒されてしまうのです。ですから、しっかりした岩の上に家を建てないと、家は安心して住めないのです。岩の上に建てた家は、雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れないのです。この事は土台がしっかりしていることがどんなに大切なのかを説明しています。そして、イエス様は、「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」と語ったのです。イエス様の御言葉の土台はどのような災害が来ても、苦難や悲劇が襲ってきても、その堅い信仰の上にしっかりと立って苦難に耐えることが出来ると教えているのです。
このイエス様の、堅いしっかりした土台の上に立つためには、まず聞くことが必要です。聞くことは家を建てることだとその例えは言っています。家があれば多少の雨風はしのげます。ですが問題は嵐のようなとき、その家が持ちこたえるかと言うことです。イエス様は聞いて行うものは、岩の上に家を建てた賢い人だと言います。そして、聞いて行わないものは、砂の上に家を建てた愚かなものであると言いました。嵐のような激しい雨風がやって来ると、砂地の所には水と風が押し寄せ、土台がしっかりしていないのですぐに打ち壊されてしまいます。実際にそのような事もあったのだと思います。それは当時のユダヤ人の生活感覚に合った例えだったのだと思います。そして岩の上に建てた家は、そのような嵐にも耐えて、しっかりと立ち続けることが出来ます。イエス様の御言葉を聞いて行うものとは、そのような岩の上に家を建てたようなもので、人生の厳しい風雪にも耐えることが出来るだろうと教えています。そうするためには聞くだけではだめで、行うものとなって、神様の栄光を現していくことが大切なのです。
私たちも、今まで多くの事を聞いてきました。もう覚えきれないほど多くのイエス様の御言葉を聞いてきました。それでも砂地に家を立ててはいないでしょうか。安易な道を選んではいないでしょうか。狭い門ではなく、広い門から入ろうとしているのではないでしょうか。それならば、私たちは聞いても行わないものになっているのです。それは、かの日になった時、あなたたちのことは全然知らないと言われかねないのです。私たちは多くを知らなくてもいい、たった一つでもいい、イエス様の御言葉をしっかりと実行して、御心を行うことが求められているのです。
結
これで、山上の説教は終わりました。大切な事を沢山教えられました。ですが、今日の御言葉にもあるように、聞くだけではだめなのです。実際に行うことが大切なのです。行うことを先延ばしにするために、もっと勉強しなければと思うのは逃げているのです。その様な人をイエス様は、良い実を結ばないものと言い、あなたの事は全然知らないと言うかもしれないのです。
何よりも、この山上の説教で言われていることは、あなたは神様に従うのか、この世の価値観に従うのか、それを決断しなさいと言うことなのです。私たち信仰者は、神様に従うことを決心したものです。神様に従うと言いつつ、この世のものに頼っていてはいけないのです。それをどう実行するかが実を結ぶか結ばないかの分かれ道です。
私たちが、不安になったり、迷ったり、恐れたりした時、何に頼るのか、何に従っているのか、もう一度しっかりと自分を確かめていきたいと思うのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。あなたは私たちに多くの恵みと教えとを与えてくださいました。私たちは、それを聞くだけではなく、行うものとなるようにと勧められています。今日あなたの御心を聞いたならば、今日その事を行うことが出来ますように。勇気をもって行うことが出来ますように。恐れずに、狭き門より入り命に至ることが出来ますように。大きく楽しく見える広い門は滅びに至るのです。そのことを知ることが出来ますように。そしてあなたの御心を行って、良き実を実らすことが出来ますように。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆狭い門
マタ 7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
マタ 7:14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
◆実によって木を知る
マタ 7:15 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
マタ 7:16 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
マタ 7:17 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
マタ 7:18 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
マタ 7:19 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
マタ 7:20 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
◆あなたたちのことは知らない
マタ 7:21 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
マタ 7:22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。
マタ 7:23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
◆家と土台
マタ 7:24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
マタ 7:25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
マタ 7:26 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
マタ 7:27 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
マタ 7:28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。
マタ 7:29 彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。