家庭礼拝 2014年10月22日マタイ4章12‐25ガリラヤで伝道を始める
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起
今日の聖書の箇所では、イエス様が伝道を開始しています。イエス様の公的生涯はここからだとする人もいますが、洗礼者ヨハネが登場してからだと言う人もいます。それはヨハネとイエス様は一体だからです。イエス様はどこで伝道を開始したかと言うと、マタイによる福音書ではガリラヤで伝道をはじめられたと書いています。その伝道のきっかけとなったのは、洗礼者ヨハネが捕えられたからです。危険を感じてガリラヤに避けていったのです。そしてそこで伝道を開始するのですがイエス様はいったん生まれ故郷のナザレに立ち寄るのです。
ルカによる福音書にはその辺の事情がくわしく書かれており、イエス様まず、ナザレの会堂で説教をしているのです。そして旧約聖書を読んだ後、良く知られている「きょう、聖書のこの御言葉が、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」と言うことを権威を持って語って人々を驚かせました。ですが、中には。「この人は、ヨセフの子ではないか。」と言って、その言葉を軽んじる人もいたのです。するとイエス様は、「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。」と言ってその人々を非難すると、人々は怒ってイエス様を殺そうとさえしたのです。それでイエス様はナザレを去って、カファルナウムにやって来てそこに住み伝道を行ったのです。これから後はイエス様は、生まれ故郷のナザレには帰っていないのです。伝道の拠点はカファルナウムとなったのです。マタイによる福音書では、これらの事情は、12節13節に簡単に書かれています。そこでは、
マタ 4:12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
マタ 4:13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
すなわちイエス様の伝道の開始は、ヨハネが捕えられた時からであり、ガリラヤに退かれた時からであるとなっています。ですが、この辺の事情に一番詳しい、最初に弟子となったヨハネは、個々の事情をもっと詳しくヨハネによる福音書に書き表しています。それによると、弟子たちは、ガリラヤに行く前に、イエス様のところに呼び集められたようです。
承
では、聖書の記述にもとづいて、その内容を確認していきたいと思います。マタイは、イエス様の行動や出来事に対して、旧約聖書を引用して、それらの出来事が予言どおりなのだと説明しようとするのが一番の特徴です。予言通りだと言うのが、ユダヤ人に対する説得には一番必要な事だったからです。このイエス様が、ガリラヤに来て伝道を始めたことに対してもこのように言っています。14節から17節です。
マタ 4:14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
マタ 4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、
マタ 4:16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
マタ 4:17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
この旧約聖書からの引用は、イザヤ書9章1節2節からです。そこには「ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝いた」と書かれています。これは、アッシリアによって荒らされてしまったけれど、これらの地は何時の日か、自由と平和が取り戻されるだろうと言う予言なのです。これは普通に読めば、必ずしもイエス様の事を予言したものではないのですが、マタイの考え方は、旧約聖書はすべて、イエス様の出現を予言しているものだと言う捉え方をして、この様に引用しているのです。ですから、聖書はどのような視点で読むかによって大きく変わってくるものなのです。すなわち視点こそが大切なのです。それは神様の側に立って、イエス様の側に立って物事を見ると言うことです。マタイはイエス様がガリラヤで伝道をはじめられたと言うことを、このガリラヤに大きな光が現れて、その光が差し込んだ、と言うイザヤの予言が実現したと捕えたのです。そしてイエス様は、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言って述べ伝え始められたのです。この言葉は、洗礼者ヨハネが、神の国を述べ伝えた言葉と全く同じなのです。
転
さて、イエス様がガリラヤで伝道を始めた時、イエス様はまず4人の漁師を弟子にしました。18節から22節です。
マタ 4:18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
マタ 4:19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
マタ 4:20 二人はすぐに網を捨てて従った。
マタ 4:21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。
マタ 4:22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
この弟子となった人たちは、日常の仕事をしていました。そこにイエス様が現れて、私についてきなさい、と言っただけで家族も家も仕事も投げ捨てて付いていきました。私はなんてすごいのだろう。この時のイエス様のそのまなざし、その言葉にどれほどの力があったのだろうと思いをめぐらしました。初めて出会って、初めて言葉を交わしただけで、こんな風にできるものだろうかと思ったのです。最初に弟子となったのは、ペトロとアンデレの兄弟。次に弟子になったのはヤコブとヨハネの兄弟です。これらの人々はごく普通の人々であり、特別なことはなかったのです。どちらかと言えばヤコブとヨハネの兄弟は少し裕福な家であったと言うことはできます。
実は、このイエス様の事を最初からずっと見ていたのは、ヨハネとアンデレなのです。この二人はもともと洗礼者ヨハネの弟子だったのです。そしてイエス様が来る前から洗礼者ヨハネの下におり、イエス様がヨハネから洗礼を受けた時も知っており、洗礼者ヨハネがこのイエス様をどのように言っていたかも知っていたのです。その事情を詳しく書いてあるのはヨハネによる福音書です。ヨハネ福音書の1章35節から43節にはこう書いてあります。それはイエス様が洗礼を受けられた翌日の事でした。
1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。
1:40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
1:41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。
1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
1:43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、フィリポを見つけて「わたしに従って来なさい」と言われた。
このように、洗礼者ヨハネと共に居た二人の弟子は、洗礼者ヨハネがイエス様の事を、「見よ、神の子羊」と言ったのを聞いて、この方がメシアである方だと言うことが分かったのです。そして二人はイエス様について行って弟子になりました。その一人は、ペトロの兄弟アンデレで、もう一人は書いていません。ですが、暗黙のうちにもう一人はこの筆者であるヨハネであることを現しているのです。そして、アンデレはまず兄弟ペトロにイエス様の事を伝えて、ペトロも弟子となったのです。その次にガリラヤに行く途中でフィリポを見つけて弟子にするのです。次にはフィリポがナタナエルにイエス様の事を伝えて弟子になります。ヤコブの兄弟ヨハネの事が出てこないのですが、ヨハネは自分の事を書いていないので、アンデレがペトロを紹介した時に、ヨハネはヤコブを紹介したのだと思います。このように、大分記述が異なっているのですが、一番近くにいて、直接その記録を書いたヨハネのほうが正しいのだと思います。すなわちイエス様は、ガリラヤに行ってから弟子たちを呼び集めたのではなく、ガリラヤに行く途中で弟子たちの方から集まってきたのです。弟子が弟子を紹介して集まってきたのです。いずれにしても、弟子となった人々は、家も家族も仕事も投げ捨ててイエス様に従ったのです。それは単に自分たちが救われるためではなく、イエス様が語った「人間を取る漁師にしよう。」と言った言葉のように、人々を救いへと導く人となるために招かれたのです。
イエス様は、この後ガリラヤ中を回って、会堂で教え、福音を伝え、そして目覚ましい奇跡を行い、多くの病人を癒しました。23節から25節です。
マタ 4:23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
マタ 4:24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。
マタ 4:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。
イエス様は、ガリラヤで、本格的に宣教活動に入られました。その当時はどんな村にも会堂があって、そこで聖書の教えを述べ伝えることが出来ました。神殿は犠牲をささげるところで、会堂は教えを述べるところなのです。そこでイエス様が何を語ったかと言うと、御国の福音を述べ伝えたのです。御国の福音とは何でしょうか。イエス様の宣教の言葉は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」ですから、御国の福音とは天の国が近づいたと言うことです。悔い改めて天の国に入れば、今ある苦しみも悲しみも皆消え失せて、喜びと祝福に満ちた命を授かると言うことです。それをイエス様は伝えたのです。そしてその、しるしとして、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒されたのです。病気や患いと書いてあることから、イエス様は身体の病も心の病も皆癒されたのだと思います。その評判を聞いて、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った、と書かれています。何となく全世界中から集まったと言う風に捕えてしまいますが、ここに書かれていない地方があります。それは、サマリヤ、フェニキア、シリアなどの異邦人の住む地域です。すなわちこの時点では、まだイエス様の活動は、ユダヤ人に対してのみなされていたと言っていいでしょう。
なぜイエス様はガリラヤで伝道を始めたのでしょうか。しかもナザレではなくカファルナウムを拠点としたのでしょうか。一つには、ヨハネが捕えられたように、エルサレムの近くには危険があったのです。ヘロデ王の危険や祭司長たちの危険がありました。新しい教えを伝えるには、もっと新しいものを取り入れやすい地方がよかったのです。ですが同じガリラヤでも、ナザレの人々はイエス様を拒否しました。あれはヨセフの息子ではないかと言って、拒否したのです。それで、当時交通の要所に会った、カファルナウムを拠点としたのです。この辺一帯は常に外国人が行き来して、いつも活気のある場所だったのです。ガリラヤと言う地方がそもそも、異邦人の土地の中にポツンとユダヤ人の土地が飛び地になっているようなところなのです。北はシリア東はフェニキア、南はサマリア西も異邦人の土地で囲まれていたのです。ですから、ガリラヤと言う土地にはいつも異邦人たちがたくさんいたのです。そしてそのような人々から新しいことを学び取ろうと言う、気風がみなぎっていたのです。先ほどのイザヤの予言の言葉の中に、「異邦人のガリラヤ」と言う言葉が出てきますが、これはガリラヤが異邦人の土地と言うことではなく、ガリラヤが異邦人に囲まれた土地、異邦人の多くいる土地と言う意味なのです。
イエス様はこのようなガリラヤで伝道を開始し、その後エルサレムに行ってはまたガリラヤに戻って宣教したのです。
結
イエス様は、ガリラヤで、本格的な宣教を開始しました。イエス様はその本格的な宣教の前に、弟子たちを集められました。最初にペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの兄弟達が弟子になりました。彼らは皆普通の漁師であり、特別な人ではありませんでした。
そしてイエス様はガリラヤで伝道を開始しました。ナザレでは拒否されましたが、カファルナウムを拠点として、目覚ましい活動をしました。しるしとしての癒しも行われました。人々はユダヤ全土から集まってくるほどでした。このようにして、イエス様の公的な活動は始まったのです。それは、洗礼者ヨハネが捕えられたことを合図のようにしてはじめられたのです。ここに神様の計画があるのです。神様がそのシナリオを実現していき、人々はそれに従って活動したのです。それが良く分かっていたのは、神様と同じ視点を持つ人々でした。そうでない人には、人間世界の事しか気がつきませんでした。弟子たちも、イエス様が天にあげられ、そして神様の視点が与えられた時、自分たちの使命を初めて知ることが出来たのです。それは人間を取る漁師となる事だったのです。マタイが言うように、旧約の予言が実現したのかもしれません。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、あなたの計画に基づいて、イエス様の伝道が開始されました。ヨハネは捕えられ、イエス様はガリラヤに向かい、弟子たちは呼び集められ、そしてガリラヤで、目覚ましい宣教と癒しの働きをしたのです。イエス様や、洗礼者ヨハネの働きの背後に、あなたの計画のあることを覚えます。私たちの人生の働きの背後にも、あなたが計画を作られて、導かれていることを覚えます。どうか目先の事に捉われて、一喜一憂するのではなく、あなたの大きな計画の中で生きることが出来ますように。そして、あなたが私たちを用いて、この世でなそうとすることをしっかりとすることが出来ますように。御心にかなうものとなりますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆ガリラヤで伝道を始める
マタ 4:12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
マタ 4:13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
マタ 4:14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
マタ 4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、
マタ 4:16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
マタ 4:17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
◆四人の漁師を弟子にする
マタ 4:18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
マタ 4:19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
マタ 4:20 二人はすぐに網を捨てて従った。
マタ 4:21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。
マタ 4:22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
◆おびただしい病人をいやす
マタ 4:23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
マタ 4:24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。
マタ 4:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。