家庭礼拝 2014年10月1日マタイ2章16-23ヘロデ子供を皆殺しにする
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起
今日の聖書の箇所は、イエス様が、予言通りにベツレヘムで生まれたにしても、どうしてナザレに住むようになったのかの理由を記しています。マタイは、旧約聖書の予言を根拠に、イエス様が、預言されたメシアであることを非常に熱心に伝えようとしています。ユダヤ人にとって、メシア出現を理解し、一番納得できる方法は旧約聖書の予言通りであると言うことだからです。
ですが、その旧約聖書の予言通りであることを示そうとして、現代の異邦人の我々には、多少無理をしているような気もします。それがこじつけのように見えることもあります。ですがそれは、その当時のユダヤ人としてはごく自然な論法だったのではないかと理解することもできるのです。
今日の聖書の箇所では、ベツレヘムで生まれたイエス様が、天使の声を夢の中で聞いたヨセフによって、天使に言われた通りにエジプトに逃げて、怒り狂ったヘロデ大王の、2歳以下の子供たちを皆殺しにすると言う残虐な行為から免れることが出来たと言うことが書いてあります。そして、ヘロデ大王が死んでからは、その国は3人の息子たちに分割されました。そしてヨセフはユダヤに戻ろうと思ったのですが、そこにはヘロデ大王の息子アルケラオが支配者となっていて、この息子も、とても残虐な支配をしていたのでそこには戻りませんでした。そして、その3人の子供の治める国の中では、ヘロデ・アンティパスの治めるガリラヤがまだましだったのでそこのナザレに住むことになったのです。
この残虐な子供の虐殺は歴史家のヨセフスの書いたユダヤ古代史には何も書かれていません。ですがそれはそのようなことがなかったと言うよりも、当時としては田舎での小さすぎる事件だったのです。と言うのもしょっちゅうあちこちで戦争が起こっている時代に、虐殺はありふれており、ベツレヘムのような小さな町の2歳以下の男の子供たちと言えば、数十人程度なので、幼児の死亡率の高いその当時の時代では、殺さなくても病気で死んでいたかもしれないと言う程度の問題だったかもしれません。今の私たちが思うほどには、その当時は大きな問題ではなかったのかもしれませんが、イエス様や殺されそうになった人や、その家族にとっては大問題です。
私がこのヘロデ大王による、幼児虐殺の話を読むと思い出すのは、モーセが生まれた時に、ファラオの出した、幼児殺害の命令です。モーセが生まれた時、増え続けるユダヤ人たちに恐怖を抱いたファラオは、全国民に命じて「生まれた男の子は、一人残らずナイル川に放り込め。女の子は皆、生かしておけ。」と言ったのです。この事が原因で、モーセは赤ん坊の時ナイル川に流されて殺されそうになりましたが、ファラオの王女が偶然それを見つけ、引き取って、養子としたのです。
このモーセとイエス様は、全く別の話のように思いますが、いろいろと似通った話があるのです。特に、今日の箇所の、子供を皆殺しにすると言う状況の中で救われたことがそっくりなのです。モーセが、赤ん坊の時に、殺されそうになり、王女の養子になって救われたように、イエス様も、神の子であったのにヨセフの養子となり、殺されそうになったところを救われたのです。そしてモーセは成人してからは、ユダヤの人々をエジプトの奴隷状態から解放したように、イエス様は成人して、人類をその罪の奴隷状態から解放したのです。モーセが人々に、律法をもたらし、神のみ前に生きるための基準を与えたように、イエス様は福音を与え、神のみ前に救われて生きる方法を教えたのです。モーセは火の柱と雲とによって導かれましたが、イエス様は聖霊によって導かれました。モーセは割礼を与えましたが、イエス様は洗礼を与えました。モーセが神様と直接話が出来たように、イエス様も直接神様と話が出来ました。モーセもイエス様も奇跡を行うことが出来ました。モーセは幕屋を作り、そこに神の栄光を現しましたが、イエス様は教会を作り、そこに神の栄光が現れました。このように、モーセとイエス様は、旧約時代と新約時代の神様の救済の方法を現しているのです。
承
さて、イエス様が、ヘロデ大王の幼児虐殺から免れたいきさつは次のように語られてます。まず16節です。
マタ 2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
ユダヤに生まれた王様を拝みに来た博士たちに、ヘロデは私も拝みに行くから見つけたら教えてくれと言って、もし見つけたら殺してしまおうと思っていたのですが、博士たちはヘロデ大王に知らせることなく帰って行ったのです。それはその新しい王様であるイエス様を救うためです。ですがそれを知ったヘロデ大王は大いに怒りました。占星術の学者たちに騙されたと知ったからです。そして、調べておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させたのです。それにしても生まれたての赤ん坊なのですから、一歳以下の子供でも分かりそうなのですが、2歳以下の子供まで殺したのです。この時代にはこのような残虐なことが、平気で行われていました。ヘロデ大王はこれで、新しく生まれたと言う王様は死んでしまったと思ったのです。
この悲惨な事件の事を、マタイは旧約の言葉を用いて次のように表しました。17,18節です。
マタ 2:17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
マタ 2:18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」
マタイは、この事件の事を旧約聖書に預言されたことだとして、エレミヤ31章15節の言葉を引用してこう言ったのです。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」ラマとは、ラケルが葬られた場所です。この場所は、エルサレムを挟んで、ベツレヘムのちょうど反対側に位置するところにあります。ラケルはヤコブの妻でした。マタイはこの詩を引用して、この事件のために子を失った母親たちの嘆きをラケルに託して、子供たちがいなくなった悲しみを現そうとしています。ただこれを予言として用いるのには無理があるのです。このエレミヤ31章の言葉は、このヘロデが子供を虐殺したこととは何の関係もなく、捕囚となって連れていかれるユダヤ人たちを嘆き悲しんでいる言葉だからです。でもその嘆きが、このヘロデの幼児虐殺の時の母親の嘆きにそっくりだったのだと思います。マタイの時代には、このように直接関係なくても、類似の状況は類似の予言として許されたようです。
転
イエス様の家族は、この幼児虐殺が起こる前に、天使から逃げるようにと示されて、エジプトに逃げていて、その難を逃れました。そして、ヘロデが死ぬまでエジプトにいました。イエス様の生まれた年と、ヘロデが死ぬ年は同じなのです。ですから、ヘロデはそのあとすぐに死ぬのでイエス様たちがエジプトにいた期間はそんなに長くはないのです。
この聖書の記述から見ると、ヘロデ王が元気で命令をしているように見えますが、実はこのころは病気で死にかかっていたのです。そして、その状態は狂気に近くなっていました。自分が死ぬときには人民が喜んで、お祝いをするかもしれないから、自分が死んだら、この国の町の主だったものを競技場に集めて、皆殺しにしろと命令し遺言としました。それは、そのような人々が殺されれば誰も、ヘロデが死んでも、誰もお祝いなどしないで嘆き悲しむだろうからと言う気持ちからでした。そして、まさに死にそうになって宮殿の中で大騒ぎになった時、彼が後継者として指名していた長男のアンティパトロスはヘロデに対する陰謀のかどで牢屋に入れられていたのですが、その騒ぎが本当にヘロデが死んだのだと思って、牢屋の兵卒の長に、ヘロデは死んで、自分が後継者になったのだからここからすぐに出すようにと言ったのです。そのことを知ったヘロデは、今まさに自分が死のうとしているときに、その息子を死刑にして、先に殺したのです。ヘロデの状況はこんな風だったので、2歳以下の赤ん坊を殺すことなど、小さなことだったのです。
この様なヘロデが死んで、エジプトに隠れていたヨセフはまた天使の声を聴いたのです。19節から21節です。
マタ 2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
マタ 2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
マタ 2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
天使はヨセフに、「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」と言ったのです。イスラエルに帰るようにと言ったのです。それは寝ている暇もなくすぐに起きて行きなさいと言う指示だったのです。ヨセフはすぐにイスラエルに帰りました。ですが、イスラエルのどこに帰ろうとしたのでしょうか。もともとヨセフの家族はどこに住んでいたのでしょうか。
マタイによる福音書には、そこがどこであるかははっきりと書いていないのです。マタイによる福音書では、イエスは、ヘロデ王の時代に、ベツレヘムでお生まれになった、としか書いておらず、馬小屋で生まれたとか、住民登録のためにナザレから旅をしてきたと言うような話はないのです。それはルカ福音書だけなのです。まるで、ヨセフは、ベツレヘムに住んでいたかのようで、イエス様は自分の家で生まれたかのようであるのです。
ルカによる福音書では、母マリアの事がくわしく書かれていますが、マタイによる福音書では父ヨセフの働きがくわしく書かれているのです。イエス様の命をずっと守ってきたのはヨセフなのです。自分の子でもない子を、聖霊によって身ごもったのだと言う天使の声を信じて受け入れ、そしてその子が殺されそうになると、その子を連れてエジプトまで逃げていき、その殺そうとするものがいなくなるとまた、天使の声に導かれて、イスラエルに戻ってくるのです。多分以前に住んでいたベツレヘムに戻ろうとしたのだと思います。ちなみにルカによる福音書にはこの幼児虐殺の話もエジプトに逃げた話も書いていないのです。ただ、イエス様を神殿にささげるまで40日間エルサレムにいたことだけが記されており、その後ナザレに帰って行くのであり、マタイにおけるような切迫感はありません。これは福音書を書いた相手がユダヤ人であったか異邦人であったかの違いから来ているのかもしれません。
天使の声に導かれて、ヨセフの家族が戻ってきたイスラエルは必ずしも安全な場所ではなかったのです。と言うのはヘロデの領地は3人の腹違いの息子たちに分けられました。王位を継承しようとしていた3人の息子たちは皆ヘロデが殺してしまいましたが、その他にまだ3人いたのです。アケラオが長男でユダヤ地方の国守となりました。ヘロデはローマからの信頼が高く王と認められたのですが、3人の子供たちは王とは認められずに国守と言うローマの地方役人としか認められなかったのです。このアルケラオは父に似て残忍で、危険な人でした。それでヨセフはユダヤに住むことはあきらめて、彼よりはましなガリラヤ地方を治めているヘロデ・アンティパスの支配する場所に移り住んだのです。そこがナザレなのです。もう一人の息子はピリポでヨルダン川の向こう側と北東部を治めました。
ヨセフがそのガリラヤに住むことになったいきさつを聖書はこのように語っています。22節23節です。
マタ 2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
マタ 2:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
ヨハネは、夢で天使のお告げを聞いて、ガリラヤに移り、イエス様はそこでずっと住むことになるのです。イエス様が公生涯を始められる前に、イエス様がこのガリラヤのナザレから出たのは、少年時代の過ぎ越しの祭りに家族で出かけたときだけなのです。そして、その時が父ヨセフが登場する最後の時です。このヨセフは、イエス様の命を守るために生まれてきたような人です。イエス様をマリアが身ごもってから、エジプトに逃げそして帰って来るまで、天使の声に導かれて、イエス様の命を守ってきたのです。そしてその役割を終えると、もう一切登場してきません。そして最後に少年時代のイエス様が、エルサレムで親とはぐれた時、影のように現れて、マリアの言う「お父さんも私も心配して探していたのです。」と言う言葉の中に現れるだけなのです。あとは両親は、と言う言葉の中で表現されているだけなのです。
ところで、「彼はナザレの人と呼ばれる」と言われていますが、そのような予言者の言葉はあるのでしょうか。実は、このような言葉は旧約聖書にはないのです。そもそも、ナザレと言う町が旧約聖書に出てくることはないのです。ですから、フィリポがイエス様の事をナタナエルに紹介しようとしたときに、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったのは、旧約聖書には何も書かれていないからなのです。ですがそれでもマタイは「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」と言いました。この事は、ナザレと言うのが単に土地の名前を指しているだけでは無いようなのです。メシア予言に、イザヤ書11章1節の「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生える。」と言う有名な預言の言葉がありますが、その「一つの若枝」と言うのがナザレと発音するのだそうです。マタイはそれを掛けて、「彼はナザレの人と呼ばれる」と予言されていると言っていると解釈する人もいるようです。確かに、その当時のユダヤ人の論法は、このような預言の仕方、類似的な預言の仕方も認められていたようなのです。今の我々が、そんな言葉は旧約聖書にないよと言うのとが違うようです。
結
さて、イエス様はナザレに住むようになり、後にナザレ人と呼ばれるようになりましたが、この幼年期の間、イエス様を守ってきたのはヨセフです。ヨセフにとってイエス様は自分の子供ではないのです。ですが、聖霊によって導かれて、それを受け入れ、命をかけて守ってきたのです。イエス様を殺そうとしたのが、ヘロデであろうと、罪の子として生まれた赤ん坊と思い込んで、殺そうとしている親戚のものであろうとその危険からイエス様の命を守ろうとしたのはこのヨセフなのです。ヨセフがこのことを成し遂げられたのは、ただ神様の声に耳を傾けたからです。人間の声にではなくただ神の声に耳を傾け、自分の利害を超えて、イエス様を守ろうとしたのです。ヨセフの働きは、マリア信仰の影に隠れて、あまり目立ちませんが、マタイはこの事をユダヤ人たちに、ヨセフは聖霊の声によってイエス様を守り通したと伝えたかったのではないでしょうか。イエス様が、予言通りに生まれてきたことと合わせて、伝えたかったのではなかったでしょうか。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、ヨセフは、離縁しようとしたマリアを聖霊の御言葉によって受け入れ、そして、生まれたイエス様を、聖霊の導きによって守り通しました。ですがその働きは、地味で目立たなく、この聖書物語の片隅にひっそりと追いやられています。ですが、もしこのヨセフの働きがなかったならば、イエス様は現れなかったのです。ヨセフの信仰がイエス様を救い、イエス様は私たちを救ってくださったのです。この事を覚えて感謝し賛美します。
私達も、人に認められることよりも、ただ神様のみ旨に沿うことを、命をかけて、損得を超えて行うことが出来ますように導いてください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆ヘロデ、子供を皆殺しにする
マタ 2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
マタ 2:17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
マタ 2:18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」
◆エジプトから帰国する
マタ 2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
マタ 2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
マタ 2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
マタ 2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
マタ 2:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。