家庭礼拝 2014年9月10日マタイ1章1-17 イエスキリストの系図
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起
新約聖書を初めて開いた人は、このマタイによる福音書のイエス・キリストの系図がずらずらと書かれているのに辟易してしまいます。これを読んでもなんの得ることもなく、意味もないと思ってしまうのです。ある友人が、私が聖書を読んでいると知った時に、「あの、名前がいっぱい出てくる本ね。」と言っていました。きっとこの名前だけで、うんざりして止めてしまったのだと思います。なぜマタイによる福音書はいきなり、イエス・キリストの系図が出てくるのだろう、もっと読みやすくすればいいのにと思ってしまう人もいるはずです。
福音書には4つの福音書があります。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。そのうち、ヨハネ以外の、マタイ、マルコ、ルカは、非常に内容が似通っており、共通している部分も多いので、互いに見比べて読むのがいいと言うことで、共観福音書と呼ばれています。
この中で一番早く書かれたのは、マルコによる福音書です。マルコによる福音書はマルコが書いたのですが、これはペトロの説教や、ペトロの話すことを書き留めて、福音書としてまとめたものです。ですからペトロによる福音書としてもいいくらいのものです。ペトロの語ったことをそのまま、余計な解釈を入れずに率直に書いたものであり、イエス様の生涯を素直に書き表したものと言えます。
それに対して、マタイとルカはこのマルコによる福音書を読んで、これを参考にして書き足されたものですから、非常に共通部分が多く又、完成度も高いのです。ですが、それぞれに新たに書いた目的があり、マタイは、この福音書をユダヤ人たちに説明するために書いたのです。一方ルカによる福音書は、異邦人のために書かれた福音書なので、異邦人にもわかりやすく、説得しやすい方法で書かれているのです。
実はマタイによる福音書は、使徒マタイによって、直接書かれたものではないのです。使徒マタイは、新約聖書の中にも出てきますが、取税人マタイであり、記録を取ることにかけてはプロなのです。それで、イエス様に従って歩いた時に、イエス様の語る言葉を記録にとって、それが、聖書のできる前の、イエス語録として、良く知られていたのです。これが、当時一部ではマタイによる福音書とも呼ばれ、ヘブル語で書かれていました。今あるマタイによる福音書とは、このマタイによるイエス語録をもとにして書かれた福音書と言う意味なのです。これは教養の高い人によってきれいなギリシャ語で書かれているので、直接取税人のマタイが書いたとは考えられていません。そしてこれは、イエス様の生涯がどのようであったかを書いたマルコによる福音書よりも、イエス様がどのような事を語ったのかと言う、ことに重点が置かれています。ですから、マルコよりもずっとボリュームの多いものとなっています。そしてその読者はユダヤ人を対象に書かれているので、ユダヤ人にとって大切な事柄を特に優先して書かれているのです。この最初に書かれている系図もそうなのです。イエス様がどんなに立派な事を語っても、どんな奇跡を起こしても、それが旧約聖書で予言されているように、アブラハムの子孫、ダビデの子孫でなければ決してキリストにはなりえないのです。その大前提をまず、この系図で示し、イエスが、系図の上からも予言されたキリストであり、王なのであると言うことを示そうとしているのがこの系図なのです。このような、内容的にもボリュームの上でも一番立派だと考えられた、マタイによる福音書が新約聖書の一番最初に選ばれ、一番最初に書かれたマルコによる福音書は2番目になったのです。
私も、若い時は、この系図を読むのが苦手でした。これを読んでも何も教えられるところがなかったからです。ですが、今、旧約聖書の色々の物語を知り、その登場人物の名前も覚えて、この系図の中にその人たちの名前が出てくるのを見ると、興味をそそられてくるのです。ですから、ここの系図は聖書研究の後の楽しみにとっておいても遅くはないような気がしています。まず旧約聖書を読んでみないことには意味がないかもしれません。
承
このイエス・キリストの系図が書かれているのはマタイとルカだけです。ルカによる福音書では、本当に名前だけずらずらと載せてあるだけなので、何の味わいもありませんが、アブラハムまでではなく、神様までの系図になっています。マタイによる福音書の系図はいろいろと工夫がされています。ルカの場合は、「イエスはヨセフの子と思われていた」と言う言葉からその系図をさかのぼって、神様まで至る先祖の名前が、何の注釈もなしに続いています。当然のように、この時代の系図には女性は含まれません。女性は男性の所有物であり、系図に名が載るような主体性のあるものではなかったのです。ところが、マタイの場合は、アブラハムから始まって、子孫に降って来て、最後に「このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。」と締められており、その系図が説明されています。マタイの系図の一番の注目点は、イエスが、ヨセフの子かどうかと言うよりも、マリアから生まれた、と言うことを明確に書いている点です。この事を書くために、マタイ福音書の系図では、普通ではありえない、女性が系図の中に登場してくるのです。マリアの他に4人の女性が登場しますが、実はこれらの女性は当時の宗教観から見たら、排除されるべき罪人と言われるような人々なのです。その様な人々がこのイエス・キリストの系図に入ってきていること自体が驚きなのです。その4人の女性を見つけるのは簡単です。「○○によって、」と書かれた人が女性なのです。最初はタマル、この女性は姦淫の罪を犯しました。次はラハブです。この女性はエリコの遊女でした。次はルツで、貞淑な女性でしたが、ユダヤ人ではなくモアブ人なのです。このような異邦人は罪人とされました。最後は、ウリヤの妻すなわち、バテシバです。彼女はダビデによって妻とされ、ソロモンを生んだのですが、もともとはウリヤの妻であり、ダビデがウリヤを陰謀によって殺し盗んだ妻なのです。ですから最後までダビデの妻ではなくウリヤの妻と書かれているのです。そのような罪人と呼ばれる女性の中に、マリアがイエスの母として登場してくるのです。そうすると、マリアも聖霊との姦淫を犯した女性と言う見方もできるのです。また一方で、神様はこのような問題や障害をも越えて、御業を行っていったとも理解できるのです。マタイによる福音書はどこまでこの女性たちを意図して登場させたかわかりませんが、イエスはヨセフの子と言うよりも、マリアの子であると言うことをはっきりさせたかったのだと思います。ですがユダヤの系図的にはアブラハムから繋がる一連の子孫であり、ヨセフの子なのです。ですが、最後はヤコブはイエスをもうけたとは書かれていないのです。「マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と書かれているのです。このように、系図一つをとってもとても興味深いものがあるのです。またもう一つ系図に関していうならば、このマタイによる系図と、ルカによる系図は全くと言っていいほど違うのです。さすがにアブラハムからダビデまでは一緒ですが、ダビデからイエス様まではどうしてこんなに違うのだろうと思うほどなので。母系の系図なのか父系の系図なのかと言う違いなのかもしれませんが、とにかく違うのです。これもまた興味深い点です。
転
さて、マタイによる福音書のイエス・キリストの系図ですが、17節にはこう書かれています。
マタ 1:17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。
これは、この系図の各時代に意味があったことを合わせて、当時の人々が記憶しやすいようにしたとも言われています。当時の人たちは、自分の系図を全部暗記していたのです。そして、自分の素性を現す、一つのID身分証明になっていたのです。確かに、アブラハムからダビデまでの14代とダビデからバビロンへの移住までの14代と、バビロンへ移されてからキリストまでの14代は信仰的にも歴史的にも大きな時代の区分けとなる時期なのです。その時代背景を考えながら、この系図を暗記していったと言うことになるのではないでしょうか。イエス様は、アブラハムから数えて42代目と言うことになります。
もう一つこの14と言う数字には意味があります。それは、ダビデと言う名前を数字で言い表すと14になると言うことです。詳しいことは省きますが、ヘブル語の言葉は皆数字に変換できたのです。このようなことも、この14代で区切っていることには意味があるのです。
このように、マタイによる福音書では、ユダヤ人ならば、誰でも知っているようなことですが、異邦人には皆目見当のつかないようなことが、数多く含まれているのです。ルカやヨハネによる福音書では異邦人が読者であることを意識しているので、ところどころでその解説をしているところがあります。ユダヤ人にしかわからないことを分かりやすくしているのです。ところがマタイによる福音書は、ユダヤ人が読者であることを意識しているので、むしろ、そのような配慮なしに、直接ユダヤ人に理解できるような方法を用いているのです。ですから、旧約聖書からの引用がとても多いのです。そういった意味でも、旧約聖書の学びは大切なのです。
マタイによる福音書で、この著者が、この系図で、言い表したかったことは、イエス・キリストは肉的にはマリアの子であるが、系図的には確かにアブラハムの子孫ダビデの子孫であり、旧約聖書に預言された通りの人であると言う証拠を示したと言っていいのです。むしろ、旧約聖書の預言と律法は、このイエス・キリストによって成就されたと言うことをユダヤ人たちに向かって言いたかったのです。
このように、マタイによる福音書は旧約聖書の知識がある程度増えてくると、どんどん興味深く読んでいけるようになるのです。この系図にしても、この登場人物たちが、どのようなドラマを展開していたかを知るならば、とても興味深い系図なのです。その一つ一つの物語が、旧約聖書にはふんだんに書かれています。
結
何気なく読んでしまったり、意味もないと読み飛ばしてしまったりしてしまうこのイエス・キリストの系図ですが。これはイエス様が、旧約聖書に預言されたメシア、キリストであるとの宣言なのです。マタイによる福音書はユダヤ人向けに書かれているだけに、その旧約聖書の予言がいかに、イエスにおいて実現したかを言い表しているのが、マタイによる福音書です。そして、今日読んだ系図の中には、女性も入っており、そして罪人も入っているのです。異邦人も入っているのです。これは今までのユダヤの系図にはなかったことです。この事によって、イエス様が、女性に対しても罪人に対しても異邦人に対しても差別なく開かれている方であることを暗示しているのではないでしょうか。このようにして、イエス様は私たちに対しても、その救いの道を開いてくださっているのではないでしょうか。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、今日からマタイによる福音書を学ぶことが出来ましたことを感謝いたします。この系図の中にいろいろな意味がある事を知りました。この系図の中に預言の成就と、救いの計画のあることを知りました。また、マタイの記録が聖霊の導きによって編集され、立派なマタイによる福音書となったことも知りました。このような、福音書の御言葉が今なお私たちに伝えられていることに感謝いたします。どうかみ言葉の一つ一つを深く読み取ることが出来ますように。どうか聖霊の導きによって、心が開かれ、イエス様の救いの御業を知ることが出来ますように導いてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◇マタイによる福音書
◆イエス・キリストの系図
マタ 1:1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
マタ 1:2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
マタ 1:3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
マタ 1:4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
マタ 1:5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
マタ 1:6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
マタ 1:7 ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、
マタ 1:8 アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、
マタ 1:9 ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、
マタ 1:10 ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、
マタ 1:11 ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
マタ 1:12 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、
マタ 1:13 ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、
マタ 1:14 アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、
マタ 1:15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、
マタ 1:16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
マタ 1:17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。