家庭礼拝 2014年8月27日ペトロ第二3章1-18 主の来臨の約束
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起
今日でペトロの手紙は終わりになります。第一の手紙が終わり、第二の手紙も終わります。今日の箇所は、ペトロがどうしてこの手紙を書き送ったのかを、ここで改めてまた確認しています。ペトロが、この手紙を書き送ったのは、イエス・キリストの再臨の約束を信じて、心を清くして待ち続けるようにと言う励ましの為でした。それだけ、この主の再臨を待ち続けるのが困難な状況にあったのです。その時代の人々は最初は待ち続けていたのですが、いつまでたってもその再臨の時が来ないではないかと言う人々が増えてきたからです。それに対して、まだ再臨の時が訪れないのはどのように理解すべきなのか。そして、どのようにその再臨の時を待ち続けなければならないのかと言うことを説いているのがこのペトロの二番目の手紙なのです。
この時代の人々は、一体、再臨の時は来るのか、来ないのかとせっぱつまった気持ちで待ち続けていたのです。なぜなら、外には迫害と言う苦しい状況があったからです。ですから、その姿勢は真剣そのものなのです。たとえ再臨の時は来ないと言い始めた人であっても、最初は真剣に待ち続けたのだと思います。それが自分の思っているようにはやって来ないので、別の解釈を始めたのです。
それでは私たちはどうでしょうか。私たちは、この時代の人々のようにその時を真剣に待ち望んでいるでしょうか。むしろ私たちのほうが、真剣でないどころか、頭から信じていないのではないでしょうか。2000年も来なかったのだから、これから後2000年は来ないだろう、私たちの時代に実現する話ではないと思っているのではないでしょうか。ですが今日の箇所でも言われているように、その時は、私たちが予測するようには、やって来ないのです。私たちの時間と、神様の時間は違うのです。私たちの都合と、神様の都合とは違うのです。そのことを忘れると、自分たちの思っているようにしてくれないと、もう、辛抱しきれなくなると言うことが起こってしまうのです。
承
さて、ペトロは1節2節でこう言いました。
2ペト 3:1 愛する人たち、わたしはあなたがたに二度目の手紙を書いていますが、それは、これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいからです。
2ペト 3:2 聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうためです。
ここにペトロが二度目の手紙を出した理由が書いてあります。それは、「これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいからです。」と言うことなのです。その教えようとすることは新しい事でも、知らないことでもなく、すでにあなた方の知っていることなのだと言うことなのです。いくら大切な事を聞いてもすぐ忘れてしまうのが私たちの悪い癖です。ペトロはその忘れていた記憶を呼び起こしてほしい、純真な心を奮い立たせてほしいと願っているのです。
それはどうしてなのかと言うと、今までにも何度か出てきましたが、再臨の時を待ちきれないで、いろいろな事を語る人々が出てきたのです。3節と4節です。
2ペト 3:3 まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、
2ペト 3:4 こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」
ペトロは、その時には、自分の欲望のままに生活したい者たちが、この再臨の約束をあざけり始めると言っています。そしてこう言うのです、「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」
イエス様が死んで数10年の人々がこういうのですから、2000年もたった私たちはもっとはっきり言うのではないでしょうか。そんな時は来るはずがない、実際2000年も、何も起こらなかったではないか。これが証拠である。と、言うだろうと思うのです。それでも再臨の時が来ると信じているとしたら、愚か者だと思われるのではないでしょうか。それはそれで、一面では理屈の通った話なのです。ですがそれは人間的視点なのです。神様の視点とは違うのです。
転
人間的な視点では、天地創造以来何一つ変わっておらず、終末が来るとか再臨があるとかいうようなことはとても認められないではないかと言うのです。それに対して、ペトロはこう言いました。5節から7節です。
2ペト 3:5 彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、
2ペト 3:6 当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。
2ペト 3:7 しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
ペトロは、こう反論するのです。天地創造以来何一つ変わっていないどころか、世界は一度水によって滅ぼされてしまったではないか。ノアの箱舟の事を忘れてしまったのか。次の終末の時には火によって滅ぼされると、旧約聖書にも書かれているのを知らないのか。不信心な者たちが裁かれれ滅ぼされる日まで、そのままにしておかれているだけではないのか。ペトロはこのように、再臨を信じない者達に、旧約聖書を根拠にそのことが確かに現れると、説得しようとしているのです。
ですが、まじめに待ち望んでいる人たちにとっても、その主の再臨は遅いと感じられたのです。と言うのは世の中ではキリスト教に対する迫害が強まり、早く来てくれなくては、自分たちが先に滅んでしまうと言う危機感を抱いていたのです。ですが、ペトロはそのような人たちにも、なぜ再臨の時が遅いと感じられるのかに、別の視点を与えました。8節と9節です。
2ペト 3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
2ペト 3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
ペトロは、神様の世界を自分たちの世界と同じように考えてはいけないと言いました。そして、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」と言って、早いか遅いかは、神様が決めることであって、私たちが決めることではないことを言ったのです。そして、ある人たちは遅いと考えているけれども、それは、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために神様が忍耐しておられるのだ、と言ったのです。人間の方が忍耐して再臨を待っているのではなく、神様のほうが忍耐して、人間が悔い改めるのを待っておられるのだと言うのです。
ですがその主の日、すなわち終末の時は、盗人のようにやって来ると言うのです。その日は誰も知らず、予想もしていない時に突然現れると言うのです。その時には、天も地も崩れ落ち、地は焼き尽くされて融けてしまうと言うのです。すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。これがペトロのメッセージです。たとえ全てのものが滅び去るのであっても、あなた方は聖なる信心深い生活をしなさい、と言うことです。ですがこの古い天と地とは滅び去っても、その後にくる義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望むことが出来るのです。そのような中で、私たちが今できることは次のような事だとペトロは言います。14節です。
2ペト 3:14 だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
終末の時、再臨の時はいつ来るかわからないけれども、それこそ何千年先の事かもわからないけれども、その時は必ず来るとペトロは言うのです。そしてその終末の後にくる新しい天と新しい地とを信仰者は待ち望むことが出来るのだと言うのです。その様に待ち望みながら、今私たちがなすべきことは、傷や汚れが何一つなく平和に過ごしていると神に認めていただけるように励むことなのです。再臨が来るか来ないかを問うのではなく、今傷や汚れの無い平和な生活をして神様に認めていただくことが大切だと言うのです。
15節に突然パウロの事が出てきます。実はこれが、このペトロの手紙が後世の別の人が書いたのではないかと言われている根拠となるのです。ペトロは60年代に殉教したのに、パウロの教えがすでに広く広まっており、その異端者も出ているという背景になっています。パウロの手紙が広くみんなに読まれるようになったのは90年代ですから、そこに時間のずれがあるのです。ペトロの時代にはまだパウロの手紙はあまり知られていなかったのです。そして少し批判を含めパウロの手紙の事をこう言うのです。「その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。」
すなわち、このパウロの手紙は無学な人や心の定まらない人々にまで知られており、それを曲解して、自分の滅びを招いていると言っているのです。このような事も、ペトロは言わないだろうと言われています。
そしてペトロは、もう一度みんなに伝えたいメッセージを繰り返し言いました。17,18節です。
2ペト 3:17 それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。
2ペト 3:18 わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。
ペトロの一番言いたいことは、新しい事でもなんでもなく、あらかじめ知っている、イエス・キリストの教えから離れず、その事を思い起こして、再臨の時を待ち望みなさい、と言うことなのです。そして、不道徳な者たちにそそのかされて、堅固な足場を失わないようにと警告したのです。
結
さて、私たちはこのペトロの第二の手紙から何を学ぶべきでしょうか。その当時、キリスト教信者に対する迫害があったことは事実であり、人々の再臨の希望が萎えてきたのも事実であって、このペトロの手紙の様に、それであっても、再臨の時を待ち続けるようにと励ます人がいたことも事実なのだと思います。今まで再臨がなかったから、もうないだろうと言うのは簡単です。むしろそれでも信じ続けることが信仰であり困難な道です。
私たちがこの再臨の時終末の時を信じるのは、イエス様がそういったからです。私達もまた、再臨の時を待てない人のようです。むしろ待たない人となっているのかもしれません。ですがその時が来るのか来ないのかに捉われることなく、イエス様が来ると言ったその再臨の時をそのままに信じて、このことを待ち望みながら、傷や汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励んでいくことが私たちの生き方ではないでしょうか。
再臨の時は、私たちが生きている間に来ないかもしれない、でもその時がいつか来ることを信じて、信仰によって正しく清いものとして生きることが私たち信仰者の生き方ではないでしょうか。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちは再臨の時を待ち望みます。それは新しい天と地による新しい世界です。私たちにはその時がいつ来るのかはわかりません。ですが、その時は来ないと言って信じないのではなく、それでも信じて待ち望み、この時代を信仰によって正しく生きることがあなたの御心であると信じます。主よ、どうか私たちを支えてください。私たちを試みにあわせず、悪よりお救いください。私たちが、いつもあなたの御心に適ってよいことをすることが出来ますように。そして、多くの人に喜ばれ、そしてあなたにも義とせられて、私たちの喜びをも充ち溢れさすことが出来ますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ペトロ第二の手紙)>>
◆主の来臨の約束
2ペト 3:1 愛する人たち、わたしはあなたがたに二度目の手紙を書いていますが、それは、これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいからです。
2ペト 3:2 聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうためです。
2ペト 3:3 まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、
2ペト 3:4 こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」
2ペト 3:5 彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、
2ペト 3:6 当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。
2ペト 3:7 しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
2ペト 3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
2ペト 3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
2ペト 3:10 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
2ペト 3:11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。
2ペト 3:12 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
2ペト 3:13 しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。
2ペト 3:14 だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
2ペト 3:15 また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。それは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。
2ペト 3:16 彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。
2ペト 3:17 それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。
2ペト 3:18 わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。