家庭礼拝 2014年7月30日ペトロ第二1章1-15 神のすばらしい約束
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起
今日から、ペトロ第二の手紙が始まりますが、この手紙は調べていくと、どうもペトロ第一の手紙の続きではないようです。ペトロ第一の手紙は、ペトロがシルワノに書かせた手紙に間違いがないようですが、ペトロ第二の手紙はどうもペトロの手紙ではないらしいのです。ペトロの名前を借りて書かれたようです。その文体も内容も使われている言葉も、ペトロ第一の手紙とはだいぶ違うようです。ですから、もともと新約聖書の正典にも入っていなかったのですが、4世紀になって初めて新約聖書の正典となったようなのです。
この手紙は、当時起こり始めていた異端に対抗するために、ペトロの名で、偽教師たちに攻撃を与え、信者たちを守ろうとしていることが目的です。そして主の来臨を忘れないようにと励ましているのです。この手紙がペトロの書いたものでないことは、昔から知られていました。それにもかかわらず、最終的には新約聖書の正典になったと言うことは、その書かれている内容に、霊的にもイエスキリストの救いを正しく伝えていると言う、認識が与えられ、大切な教えであると言う受け止め方をされていたからだと思います。私たちも、そのような思いで、このペトロ第二の手紙を読んでいきたいと思います。この手紙は非常に短いものです。そして、なかなか取り上げられない個所でもあります。あまり学ぶ機会の無い手紙なので、この機会にしっかり理解しておきたいと思います。
承
この手紙の第1節2節では、このように挨拶しています。
2ペト 1:1 イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。
2ペト 1:2 神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
まず、注意を引くのは、自分の事を「使徒であるシメオン・ペトロから」と、紹介していることです。私たちが知っているペトロの名前は、シモン・ペトロです。シメオンは間違いなのかと言えば、そうではなくて、実は新約聖書では一回だけ使われている珍しい使い方なのです。
それは使徒言行録の15章14節で、エルサレム会議の時にヤコブが言った言葉です。そこではこう語られました。13節から15節を読んでみます。
「二人が話し終えると、ヤコブが答えた。『兄弟達、聞いてください。神が初めに心を配られ、異邦人の中からご自分の名を信じる民を選び出そうとなさったしだいについては、シメオンが話してくれました。預言者たちの言ったことも、これと一致しています。』」このように異邦人伝道の問題を話し合っていた時にヤコブが使った言葉なのです。このシメオンと言うのは、シモンのヘブライ語での名前なので正式なのかもしれません。ちなみに、第一の手紙では、「イエス・キリストの使徒ペトロから、」となって簡単に書いています。どうして、シメオンと言う名前を使ったのかはわかりませんが、大切なのは、イエス・キリストの僕であり、使徒であるペトロから、と言う方です。これから、説得しようとする相手に対して、自分の立場を、イエス・キリストの僕であり使徒であるもの、と言うことを明確にしているのです。それは、自分がイエス・キリストの御言葉に忠実に仕えるものであり、実際にイエス・キリストの苦難を目撃してきた弟子であると言う立場です。この手紙の相手はイエス様の事を直接見たものはなく、まだいろいろな教えを言ったり聞いたりしている人々だったからです。そして、ペトロは、相手に対しては、私は使徒であるぞ、と言うような上から目線ではなくて、「わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。」と自分たちと同格の人々へと、主のみ前にあっては皆平等であることを言って心を開き、信頼関係を築いていこうとするのです。
そのペトロが最初に言ったことは、「神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。」と言うことでした。主による恵みと平和の祝福が与えられるようにと祈ったのです。ここで語られる言葉も少し普通と違っています。それは、わざわざ、主イエスを知ることによってと、言っていることです。普通ですと、「神と私たちの主によって、恵みがますように」と言いますが、ここではわざわざ「知ることによって」と断っているのです。と言うのもこの手紙の相手は、まだ本当の神と主イエスを理解していないと言う、思いがあったのではないでしょうか。まず、本当の神と主イエスを知ることが大切だと言う意味が込められているような気がするのです。その本当の神様とイエス様を知った後では、共通の理解に立った、神と主イエスによって、と言う祈りが出来るということではないでしょうか。この挨拶には、まず神様と主イエス様をまず正しく知ってほしいと言う願いも込められているのです。
転
いよいよ今日の聖書の箇所の本題に入るのですが、少しわかりにくいので、先に結論を述べておきます。今日の箇所でペトロが言いたいのは、「主、イエス様によって与えられた、尊くすばらしい約束を忘れてはいけない。あなたたちはこの世にあっては正しく歩みなさい。そして召された者として、永遠の御国に入りなさい。」と言うことなのです。そして、ペトロはこの事をみんなに思い出してもらうために、今もそして死んでからも、それを思い起こさせるよう務めているのだ、と言うことなのです。
ペトロがこのように言っている背景には、異端の教えが教会に忍び込み、間違った教えに傾く人々が出てきたからです。自分勝手な解釈をする人が増えてきたからです。なかなか再臨の時、終末の時、さばきの時がやってこないではないかと思う人が増えたからです。だから、ペトロは最初の約束を忘れてはいけないと何度も繰り返すのです。
3節では、ペトロが、イエス様は「命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました」と語っています。イエス様は既に必要なものをすべて与えて下さっているのです。そして4節にあるように「尊くすばらしい約束を与えられています。」と、その約束が与えられていることを思い起こさせるのです。それは、神の本性にあずからせていただくようになるためなのです、と続けました。私たちの信仰の前には必要なものが与えられ、その道は開かれており、約束の地に行く準備が整えられているのです。ですが、問題なのは私たちがそのことを忘れて、この世の道に紛れ込んでしまうことなのです。この世的な事を言ういろいろな話に惑わされてしまうのです。信仰がまだ弱いのです。
ですからペトロはこのように言いました。5節から8節です。
2ペト 1:5 だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、
2ペト 1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、
2ペト 1:7 信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
2ペト 1:8 これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。
ペトロは、私たちの弱い信仰を補うように、信仰には徳を備えて、良い行いが出来るようにし、その行いには知識の裏付けを与えて確かなものにし、知識におぼれることなく、自制し謙虚になり、そのためには忍耐をも養い、忍耐して待つには信じることによって行い、信じることを確かなものにするために、兄弟を愛するように行い、その兄弟愛は、神様の愛によって支えられるようにしなさいと言うことになるのかもしれません。このつながりの解釈は人それぞれに違った解釈があるかもしれませんが、ただ信仰のみと言うのではまだ弱いので、信仰を支える、そのようないろいろな徳によってその信仰を強めていけば、きっと実を結ぶものとなり、主イエス・キリストを知るものとなるでしょうと、ペトロは言っているのです。
一方、これらの事が備えられていない人々は、近視眼的になり、目先の事しかわからなくなると言うのです。だから、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい、とペトロは勧めました。そして、このようにして、私たちは、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります、と約束しているのです。
ペトロの願いは、これらの事をいつもあなた方に思いだしてほしい、と言うことだと言っています。ペトロは、イエス様に啓示されて、自分がもうすぐこの世を去るのを知っているけれども、この世にいる間も、この世を去ってからも、このことをあなたたちに思い起こしてもらって、奮起してほしいと願っているのです。いわば、これはペトロの遺言なのです。
結
ペトロは心配なのです。せっかく導かれて、与えられた信仰を異端の教えに惑わされ、イエス・キリストの救いから離れてしまうことを恐れているのです。そして、この世的な罪の生活に戻ってしまうことを心配しているのです。だから、ペトロは自分が生きている時も、死んだ後もなんとかイエス様の教えから離れないようにとそのことを思い出してほしいと切に願っているのです。そして、イエス・キリストの永遠の御国に入ってほしいと願っているのです。
ペトロ第一の手紙は、国家によるキリスト者の迫害の中にあって、救いを信じて、希望をもって、喜んで生きるようにとのメッセージでした。今日のペトロ第二の手紙は、そのような外からの力による恐れではなく、内側から崩壊していくような力に対する恐れを対象にしているのです。それは、間違った教え、自分勝手な教えなどで、もう終末の時はやってこない、であるとか、復活は無いであるとかと言った、信仰の根底を崩してしまうような教えなのです。ペトロは、そのような教えに対して、最初に与えられた救いの恵みの事を忘れないように、離れないように、信仰を支える多くの良き徳を身につけるようにと勧めているのです。キリスト教の最初の時代は、いつもそのような戦いでした。内にも外にもそのような戦いがあったのです。ペトロやパウロは、そのような状況にある信仰者に対して、いつもイエス・キリストの救いを信じるようにと励まし続けたのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。教会には多くの困難がありました。外からの迫害、内からの惑わしにいつも闘い続けていなければなりませんでした。今の私たちには想像もできないようなことです。ですがそのような中でキリスト教の教えが形作られ、確かなものになっていったのだと思います。私たちの信仰もまた、確かなものになるために、このペトロの語る教えに耳を傾け聞き従うことが大切なのだと思います。これはもしかすると、ペトロ自身の手紙ではないかもしれませんが、教会はこれを聖霊によって、正典にすべき大切な教えであると判断しました。それは、神様による選びです。私たちは、この教えを神様によって与えられた教えとして受け止め従っていくものでありますように導いてください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ペトロ第一の手紙)>>
◇ペトロの手紙二
◆挨拶
2ペト 1:1 イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。
2ペト 1:2 神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
◆神のすばらしい約束
2ペト 1:3 主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。
2ペト 1:4 この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです。
2ペト 1:5 だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、
2ペト 1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、
2ペト 1:7 信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
2ペト 1:8 これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。
2ペト 1:9 これらを備えていない者は、視力を失っています。近くのものしか見えず、以前の罪が清められたことを忘れています。
2ペト 1:10 だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません。
2ペト 1:11 こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります。
2ペト 1:12 従って、わたしはいつも、これらのことをあなたがたに思い出させたいのです。あなたがたは既に知っているし、授かった真理に基づいて生活しているのですが。
2ペト 1:13 わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。
2ペト 1:14 わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。
2ペト 1:15 自分が世を去った後もあなたがたにこれらのことを絶えず思い出してもらうように、わたしは努めます。