家庭礼拝 2014年7月16日ペトロ第一5章1-13 長老たちへの勧め
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起
ペトロの第一の手紙は、いよいよ今日で最後です。短い手紙ですので、次回はペトロの第二の手紙を行います。今日の手紙で、ペトロは長老たちへの勧めと、若い人たちへの勧めを行って、結びの言葉を述べています。
振り返ってみると、このペトロの手紙はいつも、その語る対象者が明確で、その人たちに語り掛けるように、その手紙を書いています。この手紙は、後に出てくるように、シルワノと言う人に書いてもらっています。多分口述筆記か要点を述べて文章にしてもらったかでしょうが、その文章はペトロにはとても書くことのできないような、美しいギリシャ語で書かれていたそうです。シルワノと言う人は、ローマの国籍も持っている教養ある人物だったのでしょう。彼はパウロと一緒に伝道旅行に行った、シラスと同一人物なのです。ペトロの陰となり、パウロの陰となって、この二人の使徒を陰で支えていた、大きな人物なのです。
多分ペトロは、このシルノワに手紙を書いてもらうときに、まるで相手の人がそこにいるような気持ちで、その人に語り掛ける調子で、書き取らせたものと思います。ですから、今日の箇所の長老たちや、若い人たちだけではなく、この手紙の最初から最後まで、具体的な誰かに語り掛ける調子で書かれているのです。
最初は、「あなた方は、」と語りかけ始めたのですが、熱がこもってくると、「愛する人たち、」と語り掛け、そして、さらに具体的に、「召使たち、」「妻たちよ、」「夫たちよ、」と語りかけるのです。そしてまた、「愛する人たち」と言う言葉に戻り、最後に今日の、「長老たち、」「若い人たち」と語りかけていくのです。このように、ペトロの手紙には、それぞれの言葉に具体的な人々の顔が浮かんでいるのです。私たちもそのような人々の思いとその反応を思いながら、語り掛けられている一人として読んでいきたいと思います。
承
さて、本文に戻りますと、手紙の内容は先ほど申しましたように、長老への勧めへと入ります。この当時の長老とは、教会の管理者です。初代教会で長老職が重要な位置を占めていたことを、これほど明らかにする記事は他にほとんどない、とバークレーは言っています。長老たちは、正しく言えばシナゴーク(会堂)の管理者であり、説教はしませんでしたが、シナゴークの秩序や管理に留意し、その会員の訓練にも携わっていました。また衆議会のサンヒドリンのメンバーになる事も多く、地方政治にも大きな影響を与えました。ですから、実質的に初代教会の責任者と言っていいのです。その長老たちに対して次のように語り掛け始めました。1節と2節です。
1ペト 5:1 さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
1ペト 5:2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。
ペトロは、この勧めを使徒としてではなく、同じ長老の一人として勧めました。命令するのではなく、同じ仲間の勧めであると言うことを強調しているのです。そしてそれだけではなく、実際にキリストの受難を目撃したものの証人として、そして、主によって約束された、やがて現れる栄光に与る者であることを信じるものとして、勧めますと言いました。この手紙を受け取る人々は、実際のイエス様を見たことの無い人々ですから、このペトロのキリストの受難の証人と言う言葉は大きな意味と権威を持っていたことでしょう。そこで最初に言った言葉は何であったでしょうか。それは、「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。」と言うことでした。それは単に教会を管理すると言うことだけではなく、「神様から与えられた使命として、委ねられた信徒たちの群れを養い育てていきなさい。」と言うことになるのです。この言葉は、三度イエス様を知らないと言ったペトロに対して、復活のイエス様が、「私を愛するか」と問い、「はい」と答えると、「私の羊を飼いなさい」と言った言葉を思い出します。イエス様は、「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる、」と言いましたが、羊を牧することは、イエス様に倣って生きる尊い業なのです。そしてそれは、「強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。」と言いました。その長老の務めは、長老だからこうしなければならない、と言った考え方からではなく、神様の御心を行うものとして、その使命を果たすものとして、進んで喜んでその世話をしなさいと言っています。そうすると、「それをすれば、どんな報酬が与えられるのだ。」と開き直る人もいるかもしれません。ペトロは、長老の務めはそんなものではないと言います。そのような、「卑しい利得のためにではなく、ただ神様の御心を行うために、献身的にそれを行いなさい。」と言っているのです。3節と4節です
1ペト 5:3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。
1ペト 5:4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
ペトロは、長老がどのような姿勢でその勤めを果たすべきかを言っています。それは、教会に対してそのような重要な責任ある立場であるからと言って、その権威を振り回すようなことがあってはいけませんと言っています。むしろ、群れの模範となりなさい、と言いました。ここで思い出すのは、イエス様が弟子たちの足を洗った場面です。ペトロもそのことを思い出していたかもしれません。群れの模範となりなさい、と言うことは、だれもがそのようにすると全体がよくなるような行動です。それは、イエス様が弟子たちの足を洗ったように、自分を低くして仕え合う行動です。もし、長老が権威を振り回すようなことがあったなら、信徒たちも同じような事をして、きっと分裂してしまうに違いありません。ペトロは、そのようなことの無いように、群れの模範となって、仕え合いなさいと言っているのです。そのように仕えるならば、大牧者すなわち、イエス・キリストが再臨される時に、「あなた方はしぼむことの無い栄冠を受けることになります。」と約束しているのです。長老たちに勧められた、教会の群れを牧することの報酬は、イエス・キリストから、永遠の栄冠を受け取る事であると言っているのです。これが長老たちに向けられた、勧めなのです。
転
一方、若者たちに対しても同じように勧めが与えられました。この文脈からすると、当時の教会には、権威を振り回して、教会を支配しようとする長老と、それに反発して、長老たちに敵対しようとする若者たちがいたのだと思います。ペトロは、教会が神の教会として立って行くために、問題や困難があったとしても、神のみ前に、謙遜になり、互いに仕えることを勧めているのです。神のもとにある一致こそ大切だと言っているのです。5節と6節を見てみましょう。
1ペト 5:5 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。
1ペト 5:6 だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
ペトロは、若い人たちに、長老に従うように勧めます。いろいろな事情や問題もあったのでしょう。でもそれにもかかわらず、長老に従いなさい、と勧めました。もしかするとその長老は、権威を振り回して、若者たちの自由を束縛するものであったかもしれません。ペトロの勧めは、たとえそうであっても、なのです。たとえそうであっても、互いに謙遜を身につけなさい、と言うことなのです。もしかすると、長老たちにも若者たちにもそれぞれの正義があるのかもしれませんが、それ以上に、神様は高慢なものを敵にすると言うのです。そして、謙遜なものには神様の恵みを与えてくださると言うのです。自分が正しいからと言って、相手を非難し、いつの間にか高慢になってしまっていることがあるものですが、神様はそのことを嫌っているのです。神様は、たとえ自分が正しくとも、そのことによって相手を傷つけることなく、謙遜に振舞うものを喜ぶのです。そして恵みを与えてくださると言うのです。神様がそのような方であると言うことを信じつつ、神様の下で自分を低くして、応じるならば、かのときには高めていただけると約束しているのです。私たちの報酬は、この世で生きているときにいただくものではなく、かのときに、神様からいただくことを信じるものです。ですから、この世での評価はこだわらないのです。ですから、神様の御前で謙遜になり、互いに仕え合うことが出来るのです。神様から認められるだけで十分なのです。そうは言っても、若者たちにも悩みがあります。この世の問題を解決しきれない苦しみがあります。そのような若者たちに、「何もかも神にお任せしなさい。」と勧めました。7節から9節です。
1ペト 5:7 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
1ペト 5:8 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
1ペト 5:9 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。
ペトロの勧めは、それらの問題を自分の力で解決しようとして、長老たちと対立するのではなく、神様にお任せして、解決しなさいと勧めているのです。そうすると神様が本当に解決してくれるのだろうかと言う疑問を抱く人も出てきます。ペトロは、「神様は、あなた方の事を心にかけていて下さる。」と約束しました。神様はあなた方の悩みを皆知っているのだから、その解決を神様にお任せしなさい。と言っているのです。神様に任せきれずに、迷いの中にある時には、敵であるはずの悪魔が、迷っている者の心を食い尽くして、その魂を奪おうとしているのだと言います。だからそのような迷いの誘惑にかられそうなときには、身を慎んで目を覚ましていなさいと言います。目を覚ましていると言うのは、しっかりと神様の方を向いていると言うことです。眠ってしまったものは神様から心が離れてしまったものです。神様の事を忘れているものです。ペトロは再度言いました。「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」悪魔の誘惑を受けているとき、それは眠りに落ちるときのような甘美さがあるのです。このままでもいいと言った心のゆるみがあるのです。ですが、そのような時こそ、「目を覚ましていなさい。信仰にしっかり踏みとどまりなさい。悪魔に抵抗しなさい。」とペトロは叫ぶのです。そして、「そのような迷いや苦しみにあるのはあなた達だけではないのだ。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。」と言って、信仰にしっかり立つようにと励ましているのです。信仰にしっかりと立ち続けると言うのは、そのような悪魔との戦いがあるのです。
しかしこの戦いには希望があります。それはペトロがこのように言っているからです。10節11節です。
1ペト 5:10 しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。
1ペト 5:11 力が世々限りなく神にありますように、アーメン。
ペトロは、この苦しみはずっと続くわけではなくしばらくの間だけだと言っているのです。そして、あらゆる恵みの源である神様が、あなた方を完全なものとし、強め、力づけ、揺らぐことが無いようにしてくださると約束しています。だから、最後まで信仰に留まって、正しく、そして謙遜に歩みなさいと言っているのです。
そして最後の結びの言葉を述べました。ここに語られていることも印象深いものです。
1ペト 5:12 わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。
1ペト 5:13 共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。
この手紙は、最初に話しましたように、シルノワと言う信仰の兄弟によって、書き記されました。このシルノワと言う人は美しいギリシャ語を表現できる人でした。ペトロはギリシャ語が出来ないので、ペトロの語ったことを、シルノワがギリシャ語にして、手紙にしたためたのです。このシルノワはパウロと一緒に伝道旅行に行ったシラスと言う人と同じ人物です。その正式名称がシルノワなのです。パウロがシラスを同伴者とした一つの理由に彼がローマの市民権を持っていると言うことがありました。ですから、彼はそれなりの教養や財産や社会的地位もあった人なのだと思います。このような人が、自分は表に出ることなく、ペトロやパウロをずっと支えていたのです。
13節には「共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。」と書いてありますが、このバビロンと言うのはローマを指していると言う説が有力です。そしてここに書かれている私の子マルコと言うのは、本当にペトロの実の子のマルコだと言う説もあり、ペトロの説教したことを書き留めて、伝えたのが、マルコによる福音書だと言うことです。またこれは、使徒言行録に出てくるマルコと呼ばれるヨハネだと言う説もあります。
結
今日でこの手紙が終わりましたが、ペトロの手紙は一人一人を念頭に置いた、本当に心遣いを感じさせる手紙です。ですがその書かれた背景には、激しい教会への迫害があり、その中で、教会が分裂しないように、みなイエスキリストの下で一つになって、来るべき時の神の栄光を受けるようにと励ましているのです。長老たちにも、若者たちにもそれぞれ言い分があるのだと思います。ですが、それよりも大切なのは主の前に謙遜になり、互いに仕え合う謙虚さです。神様はそれぞれの正しさよりもその謙虚さの方を喜ばれるからです。私たちの正しさなどは神様の前では何の価値もないものだからです。私たちは、主の御前に会って、この謙遜を身に着けて、いかなる困難や苦難にであっても喜んでそれを受け入れていきたいと思うのです。それが御心です。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。このペトロの手紙によって、私たちは、互いに謙遜になり、互いに仕え合い、一つとなって主の前に生きる大切さを教えられました。それはいかなる困難苦難にも立ち向かえる力です。私たちは信仰によって、その困難苦難を、喜ぶことさえできます。そして聖なる生活をすることが出来ます。どうか私たちもあなたの御心にかなって歩むことが出来ますように。神様の恵みの良き管理者として、その恵みと賜物とを、良きことのために用いていくことが出来ますように。どうかあなたの御国で安らぐものでありますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ペトロ第一の手紙)>>
◆長老たちへの勧め
1ペト 5:1 さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
1ペト 5:2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。
1ペト 5:3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。
1ペト 5:4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
1ペト 5:5 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。
1ペト 5:6 だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
1ペト 5:7 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
1ペト 5:8 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
1ペト 5:9 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。
1ペト 5:10 しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。
1ペト 5:11 力が世々限りなく神にありますように、アーメン。
◆結びの言葉
1ペト 5:12 わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。
1ペト 5:13 共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。
1ペト 5:14 愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。