家庭礼拝 2014年7月9日ペトロ第一4章12-19 キリスト者として苦しみを受ける
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起
今日の聖書の箇所は、このペトロの手紙の真髄です。ペトロが伝えたかった一番大切な事です。それは「キリストの苦しみにあずかれば与るほど喜びなさい」と言うことです。こんなことを言う宗教は他にあるのでしょうか。普通宗教は、苦しみを取り除き、喜びと平安を与えてくれるご利益宗教として求められているものです。それなのに、「この教えを信じれば苦しむことになる。だがこの苦しみにあずかれば与るほど喜びなさい。」と教えている宗教なのです。私たちはそのような苦しみを感じ、そしてその苦しみ故に喜んだことがあるでしょうか。これがこの宗教のすごいところであり、数限りない苦しみと困難の中にあっても、その信仰を幾世代にも受け継ぐことのできたところではないかと思います。そして、苦しみには意味がないと思っていた私たちに、その苦しみには意味があることを教えてくれてもいるのです。それは、キリストの栄光が現れるときに、喜びに満ち溢れるためなのです。
このペトロの教えは、当然その当時の激しい迫害の中にあっても、その信仰に意味を見出し、苦しみの中にあっても、喜びを見出し、信仰を守り通せるようにと励ましている教えなのです。そこには、この世の事はもうすぐすべて過ぎ去り、キリストの栄光が現れるときが近いと言う終末の信仰に支えられているところが大きいのです。
ペトロは、この世の苦しみの向こう側にある、キリストの栄光を指さして、信仰者を励ましました。もうすぐその時がやって来ると励ましました。その時まで善を行って正しく歩みましょうと言いました。この時のペトロの息遣いを感じながら、この聖書の箇所を学んでみたいと思います。
承
まず、12節です。そこには迫害の激しさが思い起こされるような言葉が語られています。
1ペト 4:12 愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。
この時の信仰者たちには迫害がありましたが、それをペトロは「身に降りかかる火のような試練」と言いました。この迫害は試練であると言うことです。それも、心も体も溶かし去るような厳しい火の試練なのです。それは清めの試練なのです。それは信仰を試すために、試みるために与えられた、試練なのです。本物の信仰に練り浄められるための試練なのです。ユダヤ人たちの歴史は、ずっとこの試練の連続でした。ですから、信仰によって試練を受けると言うのはいわば当然のことだったのですが、今ペトロが差し出している手紙の相手は異邦の地の異邦人たちです。この人たちは、そのような信仰のせいで試練が与えられるなどと言うことは、全く思いがけない事だったのです。信仰によって平安が与えられるかと思ったら、火のような試練が与えられたと言うのです。もし私たちにもこのような試練が与えられたら、その時どのように思うでしょうか。どうして私がこのような苦しみに会わなければならないのかと嘆くでしょうか。信じて損したと思うでしょうか。それとも、それを神様の試練として受け取ることが出来るでしょうか。ペトロは、それを、「何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。」と言いました。落ち着いて、信仰をもって受け止めるようにと諭したのです。
そしてこう言いました。13節と14節です。
1ペト 4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
1ペト 4:14 あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
これはキリスト教の真骨頂です。その試練を受け止めるのに、逃げたり避けたり嘆いたりするのではなく、「むしろ、キリストの苦しみにあずかれば与るほど喜びなさい。」と言っています。この当時ではクリスチャンにとって、迫害は避けることのできない出来事なのです。その苦しみは、私自身によって受ける苦しみではないのです。キリストによるものなのです。ですから、ペトロの言っていることはこうなのです。「この試練は、私たちの内にいるキリストが苦しみを受けているのです。だからその苦しみはキリスト共に受ける苦しみなのです。だから、その苦しみにあずかれば与るほど喜びなさい」と言っているのです。苦しみが多いほどキリストと共に歩んでいると言うことになるのです。そしてそのことは、キリストの栄光が現れるとき、そのことによって喜びに満ち溢れるようになるためだ、と言っているのです。そしてこうも言いました。「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」すなわち、キリストの名によって非難される時、それは神の霊があなた方の上に留まっている時なのだから、と言うのです。だから幸いなのです。このような迫害、非難、苦しみにじっと忍耐して耐えているとき、神様の霊は私たちの上に留まってくれているのですから、この上もない幸いなのです。
転
ペトロは、ここで、誤解の無いように釘を刺して言います。それは苦しみに耐えている時、神様の霊が留まって守ってくれるのならば、どんな復讐でもしようではないか。どんなことでもやってやろうではないかと考えてしまい人がいるからです。それはそうではないとペトロは言います。15節と16節です。
1ペト 4:15 あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。
1ペト 4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
苦しみには悪い苦しみと、良い苦しみがあるようです。ペトロは、あなた方のうちだれも、人殺しや泥棒、悪者、他人に干渉するものとして苦しみを受けることが無いようにしなさいと言いました。この様な事は必要な苦しみではありません。むしろ罪の結果の苦しみです。避けるべき苦しみです。ですが同じ苦しみでも、キリスト者として受ける苦しみは意味のある苦しみです。決して恥ずべき苦しみではありません。むしろキリスト者だと言われ、そのことによって苦しみを受けるならば、そのことを栄光に思って神様を崇めなさい。そのようなキリストによって苦しみが与えられていることを喜びなさいと言っているのです。
そしてその苦しみがどのようにして始まっているのかを語りました。17節と18節です。
1ペト 4:17 今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
1ペト 4:18 「正しい人がやっと救われるのなら、/不信心な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
ペトロは、今クリスチャンが受けている迫害苦しみは、人類全体が受けるべき苦しみの始まりなのだと言っています。人間はすべて裁かれるのです。そして、終末の神様のさばきは、旧約聖書に預言されているように、まず、神の家から始まるのだ。と言うことなのです。その神の家とは、神様にもっとも近い人々、すなわちクリスチャンから始まっているのだと言う認識なのです。ですから、神様の福音に従っている者たちが今裁かれて苦しみにあるけれども、これから、神様の福音に従わない人々のさばきが始まったら、一体どれほどの苦しみになるのだろうと畏れているのです。それは旧約聖書にも、「正しい人がやっと救われるのなら、/不信心な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりなのだと言うことです。ですから、今起きているこの試練の苦しみは、とても軽いものであって、これから本格的な試練がやって来て、福音を信じない人々に与えられる裁きを思いなさいと言うのです。
そしてペトロは、その苦しみに対する正しい態度としてこのように言いました。19節です。
1ペト 4:19 だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。
ペトロの薦める、試練にある信仰者の態度とはこうなのです。それは、「善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねる。」と言うことなのです。すなわち、状況がどうであろうと、迫害があろうと、困難があろうと、非難があろうと、苦しみがあろうと、それには捉われないで、善い行いをし続けなさい、と言うことです。そして、本当にそのことに応えてくださる、真実であられる創造主に自分の魂を委ねなさい、全幅の信頼をもって、信じ続けなさいと言うことなのです。
結
ペトロにとって、苦難は試練であり、それは信仰を試すものでした。それは神様からやって来るものなので避けることはできないのです。ただその試練に立派に対応する事だけが大切なのです。むしろその試練が与えられれば与えられるほど喜びなさいと言われました。キリストの栄光と共にあることが出来るからです。その試練はクリスチャンだけでなくすべての人類に与えられる試練です。ですがまず最初に福音を信じたクリスチャンから始まったのです。その試練が与えられているときは喜びなさいと言われました。なぜならその時、神様の霊が共に居られるからなのです。どんな状況にあっても良い行いをし続けなさいと言われました。神様は真実であられるから、自分の魂を神様に委ねなさいと薦められました。
このように、ペトロは苦しみを喜びに変えました。そして、どんな状況でも良い業を行えるようにしました。私たちはこのキリスト教の神髄を受け継ぐものです。試練に会っても、つぶやくことなく、神様を賛美し続けたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、あなたの御言葉に感謝いたします。試練に会って挫けてしまいそうになる弱いものですが、その弱いものをもあなたはあなたの霊を送ってくださり支えてくださいます。どうか試練の中にあっても信仰を忘れることなく、あなたが与えてくださいます試練の意味をよく悟り、むしろ喜んでその試練を受け入れていくことが出来ますように。私たちがどのような状況の中にあっても、それに振り回されるのではなく、キリスト者として、あなたを見上げてあなたに委ねて、ただ正しい良い行いをし続けることが出来ますように。信仰によって守られますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ペトロ第一の手紙)>>
◆キリスト者として苦しみを受ける
1ペト 4:12 愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。
1ペト 4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
1ペト 4:14 あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
1ペト 4:15 あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。
1ペト 4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
1ペト 4:17 今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
1ペト 4:18 「正しい人がやっと救われるのなら、/不信心な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
1ペト 4:19 だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。