家庭礼拝 2014年7月2日ペトロ第一4章1-11 神の恵みの良い管理者

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このペトロの手紙は、ローマ皇帝ネロによるキリスト者に対する迫害が迫ったころに書かれたものですから、この迫害に対して、いかに心を強くして信仰に立つかを意識して、書かれています。当然、この迫害の中で、多くの苦しみに会うのですが、この苦しみをどのように理解すればよいのか、信仰を得たのにどうして苦しまなければならないのか、すべてを失わなければならないのかという疑問と不安とを持つ信徒に応えているのです。

前回の3章の後半では、「義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり心を乱したりしてはいけません。」と言っています。苦しみや迫害を受けるのは、決して悪いことではない、むしろ、偽のために苦しみを受けるのは幸いなのだと言っているのです。それは、神様の栄光を現すことであり、人々にその苦しみを通して、本当の神様の事を伝える、良い機会となるからです。苦しみを逃げるばかりの悪いものとしてではなく、むしろ積極的に苦しみを評価しなさいと言っているのです。

今日の箇所もまた、そのような苦しみの中でどのように歩んでいったらよいのかを語っています。キリスト教は、これを信じれば幸せがやって来て、いろいろな恵みに生かされる喜ばしい宗教、というだけものではありません。もしそのように考えているならば、苦しみがやって来た時には、真っ先にそれを手放すでしょう。むしろキリスト教は、信じることによって、苦しみが増し、その十字架を背負って生きる宗教です。ですがその苦しみは清めの苦しみであり、神の栄光を現す苦しみなのです。その苦しみの中で、どのようにそれを受け止めていくべきかを今日の聖書の箇所から学びたいと思います。

まず最初に、ペトロはこう言います。4章1節と2節です。

1ペト 4:1 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。

1ペト 4:2 それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。

 苦しみを受けるのは私たち人間だけでなく、キリストもまた、肉に苦しみをお受けになったと言いました。ですから、苦しみを受けた時に、どうして私だけがと言う、言い方はできないのです。むしろ、キリストも肉に苦しみをお受けになったのですから、あなた方もそのことを覚悟していなさい、ということになるのです。ペトロはそれよりも、もっと強い調子で、「キリストと同じ心構えで武装しなさい、」と言っているのです。武装すると言うのは戦うことです。単に受け身で苦しみと対峙するだけでなく、信仰を武具にして、どんな苦しみがやって来ても、立派に耐えることを覚悟するのです。この武装は、苦しみと戦って、苦しみを征服する戦いではないのです。むしろ苦しみを受け入れ、それを立派に耐え抜く戦いなのです。そのような心構えをしっかりと持ちなさい。キリストでさえも苦しまれたのだから、ということなのです。

どうして、そのようにしてまで、肉の苦しみに耐えねばならないのかと言うと、「もはや人間の欲望にではなく、神の御心に従って生きるようになるため。」なのです。人間の肉的な欲望や苦しみを、その苦しみを通して、脱ぎ捨て、神様の御心のみを目指して生きるものとなるために、その苦しみは肉による生活の清めとなるのです。

それまでの、肉の欲望に捉われた生活は、異邦人が好むような、「好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝など」でした。ですが、ペトロは、もうそれは十分だと言って、新しい生き方をするように薦めます。しかし、そのように新しい生き方に変えると、仲間だと思っていた者たちが、あなたがたを何とか引き留めようとして、あなたたちをそしるでしょうと言いました。3節から5節です。

1ペト 4:3 かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。

1ペト 4:4 あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです。

1ペト 4:5 彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。

 このように、正しい生き方をしようとするものをそしるのは、その人たちが自分たちの生き方に不安を感じているからなのです。こんな生活をしていては裁かれるのではないか、とどこかで思っているのです。ですから、そのような生活から抜け出そうとするものを引き留め、みんな同じことをしていれば、安心だと言う気持ちになるのです。それで、あなたたちをそしり、昔の生活をさせようとするのだと言うのです。ですが、ペトロは言います。「彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。」昔の肉の欲による生活をしているものは、いつか、神様の前で、そのような生活をしていたことの申し開きをしなければならないと言うのです。私たちは皆、神様の前で申し開きをしなければなりません。ですからそれにふさわしい生活をする必要があるのです。ペトロの薦めるように、肉の欲を捨て、苦しみを通して、その生活を改めるのです。

それは、福音を知らずに死んでしまったものに対しても、キリストは陰府にまで下って、福音を告げ知らされたのです。それは、霊において生きるようになるためでした。6節と7節です。

1ペト 4:6 死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。

1ペト 4:7 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。

 このように、生きているものにも死んでいるものにも皆、福音が告げ知らされ、新しく生きることを求められたのですから、それでも新しい生き方をしなかった者は、最後の時に、神様の前で、その事の申し開きをしなければならないのです。たとえ死んだとしても、霊において生きるようになるためです。

ペトロは言います。このように福音が述べ伝えられたのちに、万物の終わりが迫っていると言うのです。すべて物質的なものは終わり、通り過ぎてしまうのです。そして霊的なものだけが残るのです。そして主の再臨があるのです。そこで私たちは、自分たちの人生に対して、申し開きをしなければなりません。それならば、私たちはどのように生きるべきでしょうか。ペトロは言います。「思慮深くふるまい、身を慎んで、良く祈りなさい。」ペトロは、思慮深くふるまいなさい、と言いました。このように最後の時が来ると分かったら、何が大切で何が必要でないかをしっかりと見極めて、思慮深くふるまいなさいと言うのです。最後の時がやって来るのに、無駄な虚しい生き方をしていてはいけないと言うのです。そして身を慎んで生きなさいと言いました。これはもともと、しらふで生きると言う言葉の意味なのだそうです。酔いから目を覚まして、しらふになり正気になって行動しなさいと言うことです。そして最後に良く祈りなさい、と言いました。これは自分の願いがかなえられるように祈るのではなく、神様の御心を知るように祈りなさいと言うことだと思います。すなわち、このような終末の時、再臨の時がやってきたら「思慮深くふるまい、身を慎んで、良く祈りなさい。」と言われているのですが、それは、「神様のみ旨に従うように行動し、目覚めた正気な心をもって、神様の御心を知るように祈り続けなさい。」と言うことではないでしょうか。そのように、神様に正しく向き合うときにのみ、主の再臨に応えていくことが出来ると言うことではないでしょうか。私たちは何時か主の御前に立つ時が来るのですから。

そしてペトロは、そのような再臨の時、終末の時を迎えるに当たって、この世の生活を、どのように送ったらよいのかを述べています。それは、まず、8節と9節です。

1ペト 4:8 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

1ペト 4:9 不平を言わずにもてなし合いなさい。

 私たちのこの世でなすべき生活は、何よりもまず心を込めて愛し合いなさい、ということが薦められています。それは、愛が多くの罪を覆うからだと言うのです。この言葉はいろいろに解釈することが出来ます。

一つ目は、愛するものは、相手の罪を許すことが出来ると言う意味です。愛すれば愛するほど、許すことは容易になるのです。反対に愛することがなければ、その罪を憎みその人をも憎んでしまい赦すことはなくなるのです。ですから、愛することは、人々の多くの罪を許すことになるのです。

二つ目は、私たちが他の人々を愛するならば、神様は、私たちの中にある、多くの罪をも許してくださるに違いないと言うことです。イエス様の足を罪深い女が涙で洗い髪で拭いた話にあったように、多く愛するものは多く許されているのです。

三つめは、神様の愛が、私たちの多くの罪を許してくださると言うことです。だから私たちは心を込めて、愛し合うことが出来るのです。最初に神様が許してくださったからです。

この様に、終末の時を迎えて、行うことは心を込めて愛し合うことなのです。それが神様が喜ばれることなのです。ですから、ペトロはこう言いました。「不平を言わずにもてなし合いなさい」。それは、心から愛することは心からもてなすことだからです。愛するとは、何もべたべたしたり、愛の表現をすることだけではありません。このように心からもてなすことが愛することなのです。それなのに、もてなすことに不平を言っていては愛することにはならないのです。

ペトロはそれに続いて、仕えること奉仕することを薦めました。ペトロが私たちに薦める、この世での終末を迎える生き方は、互いに愛し合いそして互いに仕えることなのです。そしてその仕えることに関しては、ちょっと変わった表現を用いています。それは、「神の恵みの管理者として仕えなさい」と言うことを言っているのです。どうしてでしょうか。10節と11節です。

1ペト 4:10 あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

1ペト 4:11 語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。

 ペトロは、私たちが、それぞれ、神様から、賜物を預かっており、そのさまざまな恵みの良い管理者として、仕えなさい。その賜物を生かして互いに仕えなさい、と言っているのです。私たちが仕えるのは、すでに仕えるために必要な賜物の恵みを与えられているからなのです。その賜物を使って互いに仕えるようにされているのです。それなのに利己的になり、自分のものは自分のものと思って、仕えるのを嫌がったら、神様はそれを取り上げてしまうかもしれません。神様はその賜物を私たちに預けてその管理者として、それを上手に使うようにと命じているのです。「語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。」とペトロは言いました。私たちがその賜物の良き管理者として用いることは、神様に栄光を帰すことなのです。このような善き業をイエスキリストを信じることによって行うことが出来るとは、何と神様は素晴らしいのだろうと、人々は神様を崇め、神様の栄光を指し示すことが出来るのです。ですから私たちは自分のたまものをよく管理し、自分のものとしてではなく、神様のものとしてそれを正しく良く用いなければならないのです。私たちは自分の賜物を、自分のものとして扱うのではなく、神様から与えられた恵みの管理者として扱うことが大切なのです。自分のお金も、能力も、財産も、時間も、体も、健康も、家族も、仲間も、信仰も、持っているものはすべて、神様から与えられた、恵みであり、私たちはその管理者なのです。そして、その管理者として、互いに仕えることの為にそれを用いるのです。それが命じられていることなのです。

ペトロは、その与えられている賜物の大きさ、恵みの大きさを思って、神様を賛美しました。「栄光と力とが、世々限りなく神にありますように。アーメン」。ペトロはこの溢れる恵みを思い起こす時、神様を賛美せざをる得ない気持ちになるのです。この感謝の思いが、自然と互いに奉仕するものとさせ、互いに愛するものとさせるのです。私達もまた、この与えられている恵みの大きさに感謝し、互いに愛し仕えるものとなりたいと思うのです。

 私たちがキリスト者として歩むならば、主にあって苦しみを受け入れることを覚悟しなければなりません。武装して準備しなければなりません。それは必ずやってくるのです。その準備をしておきなさいと言うことなのです。そして万物の終わりの時が近づいているので、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい、と言いました。目を覚まして、いつも神様に心を向けていなさいと言うのです。ですが、この世に生きている間は、心を込めて互いに愛し合いなさい、奉仕し合いなさいと言いました。私たちは奉仕に必要な賜物がそれぞれ与えられているので、その良き管理者として、その賜物を奉仕のために用いなさいと言いました。もうすぐこの世の時が終わる、その時に、私たちがどのように生きたらよいのかを教えてくれたのです。

 もう一度ペトロの教えを確認しましょう。それはこういうことです。「終わりの時が来るのです、そして苦しみもまたやって来るのです。そのことを覚悟して信仰をもって準備しなさい。そして、その時まで、この世にあっては、互いに愛し仕え合い、賜物の良き管理者として歩みなさい。」このことは、終末を迎える者たちに対して、語った、心構えなのです。これは私たちにも必要なことです。私たちもこのことを思って、緊張感をもってこの世を生きることが出来るようにと願っています。

(一分間黙想)(お祈り)

 天の父なる神様。私たちが、終末の時を迎えるにあたって、ペトロは私たちに大切な心構えを教えてくれました。人間はいつか死ぬものです。それなのに、そのことを忘れて、つまらないことに夢中になり、大切な時を浪費してしまいます。神様、どうかペトロの教えを心に抱き、最後の時を迎える準備をすることが出来ますように。そしてこの世にあっては、どうか、心を込めて愛し合い、仕えるものでありますように。心からもてなすことが出来ますように。私たちに与えられたすべての力、財産、能力、そして人々はすべてあなたから奉仕のために与えられたものであることを思い起こすことが出来ますように。そして良き管理者としてそれを奉仕のために用いることが出来ますように導いてください。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン

 

 


<<聖書の箇所(新約聖書:ペトロ第一の手紙)>>

◆神の恵みの善い管理者

1ペト 4:1 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。

1ペト 4:2 それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。

1ペト 4:3 かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。

1ペト 4:4 あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです。

1ペト 4:5 彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。

1ペト 4:6 死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。

1ペト 4:7 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。

1ペト 4:8 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

1ペト 4:9 不平を言わずにもてなし合いなさい。

1ペト 4:10 あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

1ペト 4:11 語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。