家庭礼拝 2014年6月4日ペトロ第一2章1-9 聖なる国民
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起
今日の箇所でも、ペトロはクリスチャンがどう生きなければならないのかを教えています。前回も、今回も、「だから」という言葉を使って始めています。「だから私たちはこのように生きましょう」と勧められています。ペトロの言っている「だから」と言う言葉は、何かを得るために、「だから、こうしなさい」と命令的に言っている言葉ではないのです。この「だから」の前に語られているのは、「あなたたちには主によって、既に大きな恵みが与えられている。その恵みがあるのだから、こうすべきではないか。」と応答することを求めているのです。これは「律法主義に生きる」ことと「恵みに生きる」こととの大きな違いです。律法主義者は、律法を守ることによって、救いを得ようと頑張ります。ですが恵みに生きるものは、すでに恵みが与えられていることの感謝として、主の御心に応える生き方をするのです。実は十戒などもこのような恵みに応える生き方を示しているのです。それは「あなたたちは既に神様に愛され救われている、だから神のみを愛しなさい、父と母を敬いなさい。」などと言う戒めなのです。
今日の聖書の箇所は、その恵みに応えて生きるクリスチャンがどのように答えて行ったらよいのかを、ペトロは詳しく語っているのです。この背景には、何度か話をしていますが、クリスチャンに対する迫害がどんどん厳しくなっていると言うことを忘れてはいけません。その中で、恵みに応えるクリスチャン生活をするようにとを励まし、そして薦めているのです。
承
ペトロは今日の聖書の箇所で、まずこう言いました。1節と2節です。
1ペト 2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
1ペト 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
このだから、という言葉は、前節の、「あなた方は、神の変わる事のない生きた言葉によって新たに生まれたのです。その主の言葉こそ、あなた方に福音として告げ知らされた言葉なのです。」と言う言葉を受けています。すなわち、あなたがたには、主の言葉と言う大きな恵みが福音として与えられているのだから、このようにしなさいと薦めているのです。
その具体的な内容は、悪意、偽り、偽善、妬み、悪口を皆捨て去りなさい、ということです。この捨て去るように薦められている、悪い行いは、実は日常生活においてごく普通にみられるものです。私たちはそのことを特に悪いと思ってしていることではなく、ごく普通の事だと思ってしていることです。私たちの中で、妬みや、悪口を経験したことのない人がいるでしょうか。ですから私たちはこの事を、無理に捨てたり矯正したりしようとは思わないのです。人間ならば誰でもしていることとして、受け入れてしまっているのです。実は、善行を行っているはずの教会の中にこそ、このような、偽善、妬み、悪口が大手を振って横行しているのです。大きな罪は侵さないが、このような小さな罪には弱いのです。教会にこそこのようなことはないと思って教会に来た求道者は、この現実を見て驚くのです。それほどこのような習慣は根深く捨て去ることが難しいのです。
ペトロは、主の福音の恵みに感謝し応えていくためには、そのようなことを皆捨て去りなさいと薦めます。ここに、悪意、偽り、偽善、妬み、悪口といろいろ書いてあるので沢山あるので難しいと思ってしまいますが、実は一つをなくせば皆無くなってしまうものです。例えば、悪口を言わなくなれば、それに伴って、悪意も偽りも、偽善も妬みも、皆無くなってしまうのです。一番根本的な感情は妬みでしょう。この妬みがイエス様を十字架につけました。ですが同じ妬みを教会の兄弟達の間で持っているのが現実なのです。ですから私たちの一番気がつきやすい言葉に心を止めて、それが起こらないようにしましょう。一番お互いに分かりやすいのは悪口です。悪口をお互いに言わないようにするだけで、この様な悪い思いを捨て去ることが出来るのではないでしょうか。それをお互いに注意しあうか、自分で毎日反省してみたらどうでしょうか。それだけで、恵みに生かされて応えていく生き方が出来るのではないでしょうか。それをやめるだけで、悪意や、偽りや、偽善や妬みもなくなるのではないでしょうか。
そして、パウロは、「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」と勧めました。これは、余計な事は何も考えずに、赤ん坊のように、ただひたすらに、神の霊を求めて行きなさい、ということです。余計な事を考えてしまって、そうすればどうなるのかとか、それだけでいいのかなどと言う雑念は抱くことなく、ただひたすらに信頼して、神の霊を求めていくのです。迫害の中にあって、疑心暗鬼になってしまう人々の中には、それだけでは、滅びてしまうのではないのかと心配する人もいたはずです。ですがペトロは生まれたばかりの乳飲み子が、自分が死んでしまうことなど考えずにただひたすらに母の乳を慕い求めるように、あなた方も、ただひたすらに霊の乳を慕い求めなさいと薦めたのです。それが結局は信仰の成長を促して、救いへと至らせるのだから説いているのです。
転
さて、ペトロは、私たちをそして主をも「生きた石」と言う言葉を使って表現しようとします。この石とは、何でしょうか。イエス様が語った印象深い石の引用の話に、詩編118編の22節からの引用があります。これは、マタイにもマルコにもルカにもほとんど同じ表現で、「ブドウ園と農夫のたとえ」の中で語られており、このように言われました。マタイ21章42節からです。
「イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのをまだ読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石
これが隅の親石となった。
これは、主がなさったことで、私たちの目には不思議に見える』
だから言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、
それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」
このように言ったのです。この捨てられた石こそイエス様で、それが神様に用いられて、隅の親石となったのです。
ペトロは、その生きた石と言う言葉を用いて、このように語ったのです。3節から5節です。
1ペト 2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。
1ペト 2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
1ペト 2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
この言葉が語られた時のクリスチャンたちは、世から見捨てられた人々だったのです。迫害を受け、この世から抹殺されようとしている人々だったのです。ペトロは、イエス様の例を出して、イエス様も人々から見捨てられたのですが、神様にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。と言いました。そして、あなた方自身も生きた石として用いられて、霊的な家に作り上げられるようにしなさい。と言ったのです。憐み深い神様が、人々からは見捨てられても、イエス様を親石とし、信仰者たちをその家を建てる生きた石として用いてくださるのだから、そのことに希望を持って生きなさいと励ましました。そして、神様に喜ばれる霊的な生贄を、イエス・キリストを通して捧げなさいと言いました。これは実際に何かの生贄をささげると言うことではなく、その生活全体を、全人格を神様にささげていきなさいと言うことです。ロマ書12章1節にはこう書いてあります。
ロマ 12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
これもまた同じことです、単に体を捧げると言うよりも、その生活全体を人生のすべてを捧げることが、為すべき礼拝なのだと言うことなのです。
ペトロは聖書に根拠を置いてこう語りました。6節から8節です。
1ペト 2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、/シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」
1ペト 2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、/「家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった」のであり、
1ペト 2:8 また、/「つまずきの石、/妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。
ペトロは、この石こそイエス様であり、神様に選ばれた尊いかなめ石であると言っているのです。そして、それを信じるものは、決して失望することはなく、信じない者にとってはつまずきの石、妨げの石となるだろうと言っています。そしてそれは以前から定めらえていることなのだと言うのです。
一方で、信じる者たちをペトロはこのように言いました。9節と10節です。
1ペト 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
1ペト 2:10 あなたがたは、/「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」のです。
ペトロはイエス様を信じる人々を、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民と称えます。この人々はこの世からは捨てられた石であるけれども、神のものとされ、選ばれた民、祭司、聖なる国民とされたのです。それは単にそれだけではなく、使命も与えられていました。それは、暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れて下さった方の力ある業を、広く伝えると言う使命なのです。私たちは何時でも、恵みを与えられたものとしての使命をも与えられています。それはその恵みを与えて下さった方を広く伝えると言う使命、伝道の使命なのです。どんな小さな方法でもいいのです。この事を言い表していくことが、この恵みに応えていくあゆみなのです。
結
私たちは、すでにイエス様の福音の恵みのもとにあることを学びました。そして、その恵みに応えて、妬みや悪口を全て捨て去るようにと教えられました。それは救われているのだから、その感謝の応答としてその様にしなさいと言うことです。
そして、この世にあっては世に捨てられたものであっても、イエス様のように、生きた石とされ、神様のものとされて用いられています。そして、選ばれた者として、祭司として、聖なる国民として歩んでいくことを教えられました。
この世には多くの苦しみがあるかもしれません。理解できないこともあるかもしれません。そうであっても神様は私たちを憐れんでくださり神様のものとしてくださっていることに希望をもって、生きていくことが出来るのです。そして暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れられていることに気がつくのです。そのことを述べ伝えなさいとパウロは薦めています。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。あなたの恵みに感謝いたします。私たちには、応えきれないほどの多くの恵みに溢れています。あなたはその福音を私たちに与えて下さって、私たちが悪意を捨て善意をもって生きることが出来るようにしてくださいました。ですが、まだその悪い習慣が体にこびりついています。どうか綺麗に捨て去って、純粋にあなたの霊の恵みを受け取ることが出来ますように導いてください。そして、この世においては、捨てられた石となろうとも、あなたに用いられる生きた石となって、あなたの御国を築いていくことが出来ますように。どうかあなたの恵みに感謝し、あなたの恵みに応えていく生活が出来ますように導いてください。
世の中が、争いに満ちた利己的な力による支配を得ようとする勢力が増えてきておりますが、どうか、平和の主であるあなたの御力によって、世に平和が与えられますように。何よりも心の平和が与えられますように導いてください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ペトロ第一の手紙)>>
◆生きた石、聖なる国民
1ペト 2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
1ペト 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
1ペト 2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。
1ペト 2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
1ペト 2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
1ペト 2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、/シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」
1ペト 2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、/「家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった」のであり、
1ペト 2:8 また、/「つまずきの石、/妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。
1ペト 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
1ペト 2:10 あなたがたは、/「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」のです。