家庭礼拝 2014年4月2日ヨハネ19章31-42 墓に葬られる
賛美歌294 人よ汝が罪の 聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌306 あなたもそこにいたのか
起
イエス様は、十字架の上で死なれました。今日の聖書の箇所には生きたイエス様は出てきません。使徒たちも現れてきません。ですがここにも一つの奇跡が起こったのです。今日の聖書の箇所の主人公はアリマタヤのヨセフとニコデモです。どちらもサンヒドリンすなわちユダヤ衆議会の議員です。イエス様の死刑の判決に立ち会ったのかどうかは分かりませんが、そこでは一言もありません。なぜならば、この二人はイエス様の弟子でしたが、それを隠していたのです。それを知られることを恐れて、ひた隠しに隠していたのです。ニコデモはかつて、夜になって人目を忍んでイエス様のところに来て、教えを訪ねた時に、ヨハネ3章3節にあるように、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言われた人です。
いったいこの二人にどんな奇跡が起こったのかと言うと、あれほどイエス様の弟子であることを知られるのを恐れていたアリマタヤのヨセフは勇気を奮い起こして、総督ピラトのもとにイエス様の遺体を引き取りに行ったのです。ニコデモは、イエス様を葬るための没薬と沈香(じんこう)と亜麻布を大量に持ってきたのです。これらはとても高価なものなので、弟子たちの貧しい財力ではどうしようもなかったのですが、ニコデモはこれを用意しました。このことはきっとユダヤ中に知れ渡ったに違いないのです。
この二人は、イエス様の十字架での死を見て変えられたのです。勇気を与えられたのです。今までは隠れて、いろいろ理由をつけながら、こそこそとイエス様を信じていたのですが、この時から、もう隠すことをやめて、イエスの弟子であることを明らかにして、今イエス様のためにできることを精いっぱいしたのです。この時、12弟子達でさえも恐れて隠れて出てこなかったときに、彼らは大胆にも、その葬りの準備をしたのです。彼らが変えられた一番の事は、何かをしたと言うことではなくて、もう隠さなくなったと言うことです。正直にイエス様を信じて行こうとしたことです。これが、死んだイエス様が最初に行った奇跡です。イエス様は人の子は上げられると、ご自分の最後を予言した時にこう言ったのです。ヨハネ12章32節です。「私は地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」と言ったのです。そのことが、アリマタヤのヨセフとニコデモに起こって、大胆な行動へと走らせたのです。
イエス・キリストのこの十字架の死を、虚心に見るものは、その心が変えられずにはいられないのです。私たちもそのように、イエス様の十字架を見つめていきたいと思うのです。
承
さて、聖書に戻ると、31節にはこう書かれています。
ヨハ 19:31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
普通ローマ式の十字架刑は、一度十字架にかけると死ぬまでそのまま放っておくのです。中には何日も生きているものもあるのですが、それでもそのままにしておくのです。そして死んだなら、そのまま地上に放り投げられて、野の鳥や動物の餌食となるに任せるのです。それを葬るようなことはしないのです。ところがユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た、と書いてあります。それは、ユダヤの律法では、死体を夜中に放置してはならないとなっているのです。申命記21:22−23にはこう書いてあります。「もし人が死にあたる罪を犯して殺され、あなたがそれを木の上にかけるときは、翌朝までその死体を木の上にとどめておいてはならない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。」と書いてあるのです。ユダヤの律法のほうがローマのやり方よりもよほど憐れみ深いのです。夜にとどめておくのを禁止するだけでなく、墓に埋めることも命じているのです。ですが、ここではひとつ恐ろしいことが起こります。もしその死刑囚が生きていた時には、足や腰の骨を砕いて殺してしまうのです。十字架では容易に死なない犯罪人の足を木槌で打ち砕き、これを死ぬまで行うのです。
この死刑執行の日は金曜日なので、次の土曜日は安息日であり特にこの日は過ぎ越しの日でした。ですから、その間に死んでしまったりすると、この律法に反して夜中じゅう死体を木にとどめておくことになるので、足を砕いて殺し、十字架から取り下ろしたいとピラトに願い出たのです。そして兵士たちは命じられてその様にしたのです。32節から34節です。
ヨハ 19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
ヨハ 19:33 イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
ヨハ 19:34 しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
イエス様と一緒に十字架につけられは犯罪人は、まだ生きていたので、脚の骨を死ぬまで砕かれて殺され、そして十字架から降ろされました。ところがイエス様はすでに死んでいたのです。ですから足を折る必要はありませんでした。ですが、兵士の一人は念のために、本当に死んでいることを確認するために脇腹を槍で刺しました。ここではわき腹と書いてありますが、心臓の事です。するとすぐ血と水とが流れ出た、と書いてあります。この血と水と言うのはキリスト教にとっては大切な象徴的な意味があります。そこには罪の清めの意味があるのです。水と言うのは洗礼による清めであり、血と言うのは、聖餐式のパントぶどう酒の清めの意味があるのです。ヨハネは、この血と水と言う言葉に、そのような意味を感じているのです。
十字架の上では、人はふつうどのようにして死ぬのでしょうか。釘が手のひらに打ち込まれている絵を見ることがありますが、これでは人の体重は支えられないのだそうです。それで手首の骨を通してくぎは打ち込まれるのです。そうすると体重は支えられるのですが、そのうち脚の力もなくなって腕だけで体重を支えるようになると、肩の関節は外れ、胸の筋肉が引っ張られて、だんだん呼吸が出来なくなって、最後には窒息死するのだそうです。中には心臓破裂と言う人もいるのだそうです。イエス様が実際どのようにして死んだのかはわかりませんが、このような死に方をしたのかもしれません。
ヨハネはこの事を目撃して次のように言いました。35節から37節です。
ヨハ 19:35 それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
ヨハ 19:36 これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
ヨハ 19:37 また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。
ヨハネは、それを目撃したものと言う言葉を使って、このことは真実であることを証しました。そしてそれはただそれだけではなく旧約聖書に預言されていた言葉が実現したのだと言っているのです。それは、「その骨は一つも砕かれない」と言う予言であり、「彼らは、自分たちの突き刺したものを見る」と言う予言通りだったと言うのです。イエス様は、預言された通りに死んでいったのです。
転
さて、いよいよアリマタヤのヨセフの登場です。このヨセフは他には登場してこないのですが、この場面だけに登場してきます。彼はイエス様の弟子でしたが、ユダヤ人たちを恐れてそのことを隠していました。このようなユダヤ人たちがたくさんいたのかもしれません。ですがその彼に変化が起こりました。38節です。
ヨハ 19:38 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
イエス様は死んだのに、だれもイエス様の遺体を引き取ろうとはしません。12弟子たちは姿がありません。いるのはイエス様についてきた婦人たちだけです。多分ヨハネもそこにいたのだと思います。すると、驚いたことに、それまで自分をひた隠しに隠していた、アリマタヤのヨセフがイエス様の遺体を引き取るために、総督ピラトに願い出たのです。アリマタヤのヨセフは、イエス様の十字架での死を見て、もう自分の信仰を隠しているのはやめたのです。そんなことはイエス様に対して申し訳ないと思ったのでしょう。ピラトはヨセフに引き取りを許したので、ヨセフは行って遺体を取下ろしたのです。そして、買って来た亜麻布に包んだのです。そこには信仰の仲間は誰もいませんでした。このことは四つの福音書に皆書かれています。イエス様を十字架から降ろして葬ったのは、アリマタヤのヨセフであると皆書いています。ところが、ヨハネ福音書だけにはニコデモの事が書いてあります。39節と40節です。
ヨハ 19:39 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
ヨハ 19:40 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
ニコデモもまた、州議会議員であり、人目を忍んでイエス様に会いに来た隠れクリスチャンです。ニコデモはこのアリマタヤのヨセフの勇気に触発されたのでしょうか。高価な没薬と沈香(じんこう)を持ってきたのです。ニコデモももう隠れていることが出来なくて、勇気をもってその葬りに立ち会ったのです。二人はなぜ、隠れることなく出てきたのでしょうか。イエス様の死の様を見て、ローマの百人隊長が思いもよらずつぶやいた「本当に、この人は神の子だった。」と言う思いと同じ思いか、それ以上の思いが与えられたのではないでしょうか。この二人は、このイエス様の死の姿を見て、隠れていることよりも、危険はあっても主に仕えるほうを選んだのです。ニコデモの持ってきた沈香と没薬と言う言葉で何か思い出しませんでしょうか。イエス様が生まれてきたときに、東方の三人の博士が持ってきたのが、これと同じ乳香、没薬そして黄金なのです。そしてヨセフとニコデモが用意したのは沈香、没薬、そして亜麻布なのです。不思議な象徴的な意味を感じないでしょうか。
イエス様についてきた婦人たちは、イエス様の遺体を引き取りに来た、このアリマタヤのヨセフについていきました。そして、ニコデモとともにその葬りに参加したのです。40節から42節です。
ヨハ 19:40 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
ヨハ 19:41 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
ヨハ 19:42 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
亜麻布と言うのは、高価な布でした。ふつうは金持ちしか着ることのできないものですが、葬儀の時にはこのように亜麻布で包んであげたのです。墓は岩を掘って作った横穴式の墓で、ふつうはそこに何人もの遺体が収められます。マタイによる福音書ではその墓はヨセフの新しい墓だと書いてありますが、ヨハネによる福音書では、ゴルゴタのすぐ近くの墓であると書いてあります。この当時、ゴルゴタには処刑された犯罪人の遺体を入れるための墓がいくつもあったのだそうです。その一つがまだ新しい墓であったのだと思います。この日はもうすぐ安息日が始まるので、急いでその近くの墓に入れたのだと思います。考えてみれはイエス様は、生まれた時には馬小屋で、死んだときには近くの有り合わせの墓に入れられたのであり、どちらもきちんとしたところではなく、間に合わせの場所なのです。ともかくも、アリマタヤのヨセフのおかげで、イエス様は墓に埋葬され、ついてきた婦人たちとニコデモもそこに立ち会うことが出来たのです。12弟子たちはそこには立ち会えなかったのです。多分ヨハネ以外は。
結
イエス様は、預言書通り、脚を折られることなく葬られました。それはアリマタヤのヨセフの勇気ある行動によって行うことが出来ました。イエス様の死はアリマタヤのヨセフの信仰を変えたのです。そしてニコデモの信仰をも変えたのです。二人は、その信仰を隠すことのない、勇気ある信仰者となったのです。イエス様の十字架を見ているとき、私たちの中で、何かが変わってくるのです。今まで大切にしていたものが、消え去って、今まで見えていなかったものが輝いて見えてくるのです。アリマタヤのヨセフとニコデモはそれを見たのです。これらの事はこのことを見た証言者によって書かれました。そしてその証は真実であると語っているのです。その目撃者はイエスに愛された、若きヨハネなのです。彼はこれらの一部始終を見ていて、そのことを後世にヨハネによる福音書として伝えたのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。アリマタヤのヨセフとニコデモは変えられました。イエス様の十字架の姿によって変えられました。そして勇気ある信仰者として、ピラトの前に立ち、イエス様の葬りを行いました。それは理屈でも考え方でもありません。そうせざるを得ないような、イエス様の大きな愛が迫ってきたのです。神様、私たちもそのことを知ることが出来ますように。何も隠すことなく、勇気と賛美をもってイエス様をたたえていくことが出来ますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆イエスのわき腹を槍で突く
ヨハ 19:31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
ヨハ 19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
ヨハ 19:33 イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
ヨハ 19:34 しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
ヨハ 19:35 それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
ヨハ 19:36 これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
ヨハ 19:37 また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。
◆墓に葬られる
ヨハ 19:38 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
ヨハ 19:39 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
ヨハ 19:40 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
ヨハ 19:41 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
ヨハ 19:42 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。