家庭礼拝 2014年3月19日ヨハネ18章38-19章16 死刑の判決

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今日の聖書の箇所は、イエス様がローマの裁判にかけられる場面です。宗教的な裁判の場合はユダヤ人の衆議会であるサンヒドリンで裁判が行われます。そこではイエスは、神を冒涜したかどで、有罪とされました。この時の処刑の仕方はユダヤの方法では石打の刑なのです。律法の罪を律法によって裁くことはローマもユダヤ人たちに認めていたのです。ですが、ユダヤ人たちはその刑ではなく、ローマによる十字架刑を求めたのです。なぜでしょうか、十字架刑のほうが石打の刑よりも残虐で、その苦しみが長く続き、しかもその処理はハゲタカやカラスの餌食にする言う無残なものだったからでしょうか。ユダヤ人たちの憎しみはそこまでイエス様を追い込もうとしていたのでしょうか。それともイエス様の罪が、宗教的なものであることからそらして、政治的なものにしたかったのでしょうか。いずれにしても、ローマの裁判にかけるためには、それは宗教的なものではなくて、政治的なものにしなければなりませんでした。ですからその罪状は、神を冒涜した罪ではなく、自分を王として、ローマに謀反を働いた、と言う罪にしなければならなかったのです。

ですがピラトは、この騒動が、宗教的なものであることは分かっていたのです。ですからそんなことには巻き込まれたくありませんでした。ピラトはユダヤ人たちに、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言ったのです。ですがユダヤ人たちは「私たちには、人を死刑にする権限がありません」と言ってローマによる処刑を望んだのです。多分そこにはイエスを死刑にしたのは自分たちではなくて、ローマだと言う、言い逃れの道を残しておいたのではないかと思います。このユダヤ人たちの狡猾な考え方に対して、ローマの権威や権力を有しているポンテオ・ピラトは何も抵抗することが出来なく押し切られてしまうのです。私たちのよく知っている「使徒信条」の一句に、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と言う言葉がありますが、これを、「ポンテオ・ピラトによって苦しみを与えられた」と理解して、ポンテオ・ピラトを悪者の代表のように理解している人もいるそうですが、むしろポンテオ・ピラトは、なんとかして、イエス様を許そうとしたのですが、ピラトの力をもってしても、ユダヤ人たちに押し切られてしまうのです。このことを取り上げて、イエス様を十字架につけたのは、イエスを裏切ったユダなのか、イエスを殺したいと思っていたユダヤ人なのか、イエスを許せるはずだったピラトなのかと言う議論もあります。ですがこれは意味のない議論です。イエス様が十字架につけられたのは神様の計画であり、イエス様もそのことを了解していたのです。これらの人々はただ、神様の道具として、用いられたにすぎないのです。このような観点からこの話は理解すべきです。

ピラトはイエス様に対する尋問の中で、イエス様に罪のないことを知り、そしてイエス様に「真理とは何かと」問いかけてから、その答えを聞くまでもなくユダヤ人たちのところに戻ったのです。そして、言いました。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」と言いました。ピラトは総督ですから、自分が何の罪をも見出せなければ無罪であると宣言できるのです。ですが、それをするとユダヤ人たちの反発が来ることを恐れたのです。それで、自分で判決を出すのではなく、ユダヤ人たちの判断に委ねてうまく解決できるような提案をしたのです。それは、「過ぎ越し祭には誰か一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。」と言うことです。ピラトは当然ユダヤ人たちがこの罪のない人を有罪にするとは思わなかったので、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいか」と言ったのです。それはローマに謀反を起こそうとしているユダヤ人の王ならば、あなたたちの味方ではないか、その人を釈放してほしいだろう、と当然のように思ったのです。すると思っていたのとは全く違った反応が返ってきたのです。ユダヤ人たちは「その男ではない。バラバを」と大声で言い返したのです。バラバと言うのは強盗であったと書かれていますが、これはただの強盗ではなく、ローマにたてつく野盗のようなものの首領格だったのです。ユダヤ人たちにとって本当にローマに謀反を起こしてユダヤ人たちの味方になってくれるのはバラバであって、イエス様ではなかったのです。ですから罪状書きとは全く反対の事が起こっているのです。するとピラトは突然、ありえないことをし始めたのです1節から3節です。

ヨハ 19:1 そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。

ヨハ 19:2 兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、

ヨハ 19:3 そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。

 ピラトはイエス様が無罪であることを知っていたのですから、鞭で打たせることはなかったのです。当時のむち打ち刑はむごいものでした。たたかれるたびに皮も肉もそがれていくようなむち打ちだったのです。イエス様は血だらけになりました。そのうえ、兵士たちはわざわざいばらの冠をかぶせ、紫の服をまとわせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って平手で打って侮辱したのです。ピラトがこのようなことをしたのは、なんとかイエス様をユダヤ人たちの憎しみから許してもらおうと思ってしたのです。何の罪もないものが、こんなにひどい目にあわされたのを見れば憎しみに歪んでいるユダヤ人でも正気に戻って赦してくれるだろうと思ったのです。ピラトは、自分の権威でイエス様を許すのではなく、なんとかユダヤ人たちの気持ちを宥めることでで赦しを得ようと考えていたのです。どうしてピラトは、ユダヤ人に対してこんなにも弱腰だったのでしょうか。それは前回も話しをしましたが、ユダヤ人に対する失政のために、ピラトは皇帝にユダヤ人たちから提訴された前歴を持ち、弱みを握られていたのです。ユダヤ人たちからは、今度、自分たちに逆らうようなことをしたなら、もう一度皇帝に提訴して、あなたを失脚させてやる、と言う脅しを受けていたのです。ですからピラトはユダヤ人たちが自分たちから許してやると言うように導こうとしたのです。

 そしてピラトはユダヤ人たちに言ったのです4節と5節です。

ヨハ 19:4 ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」

ヨハ 19:5 イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。

 ピラトはこの時一体何を考えていたのでしょうか。なぜ鞭打たれて、無残な姿になり、しかもいばらの冠で血を流した哀れな王様の格好をしたイエス様をどうしてユダヤ人の前に出したのでしょうか。ピラトは、無実の人間をここまで苦しめ辱めれば、ユダヤ人の憎しみも消えるだろうと思ったのです。ユダヤ人の憎しみをピラトが代わりに晴らしてあげたと思っているのです。だからピラトは得意になって「見よ、この男だ。」と言ったのです。この言葉は、「この人を見よ」と言う言葉にも翻訳されて、いろいろな本や歌に取り上げられている言葉です。ピラトが「見よ、この男だ。」と言った時、その言葉には、「この男こそ王だ」、と言う意味と、「この哀れな男を見よ、もう許してやれ」、と言う意味が含まれているのです。ピラトは当然、ユダヤ人たちが賛同してくれると思ったのです。ところがその反応は全く違っていました。6節7節です。

ヨハ 19:6 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」

ヨハ 19:7 ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」

 ユダヤ人たちは前よりまして、「十字架につけろ。十字架につけろ」と言ったのです。ピラトはどうしようもなくなって、「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」と言って、自分たちで処刑するように言ったのです。するとユダヤ人たちは本音を言いました。イエス様は神の子と自称したから、律法によって死罪に当たると言ったのです。これは政治的な罪ではなくて宗教の問題なのだと言っているのです。それでいながらローマの手によって十字架につけろと言うのはとても矛盾した言い方なのです。

 ピラトはユダヤ人たちの言った「イエスがご自分を神の子と言っている」と言う言葉を聞いて恐れました。そして、「お前はどこから来たのか」と尋ねたのです。本当に神の子なのかと尋ねたのです。ピラトと言う人はこのような事には影響されやすい人だったのです。イエス様は答えませんでした。するとピラトは言ったのです。10節から12節です。

ヨハ 19:10 そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」

ヨハ 19:11 イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」

ヨハ 19:12 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

 ピラトはイエス様が答えないので、お前を釈放する権限も十字架につける権限もこの私にあるのだぞと、脅したのです。するとイエス様は、核心的な事を言ったのです。それは、「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」と言ったのです。ピラトは無実の人を有罪にするような罪を引き受けたくはなかったのです。ですがイエス様はそれを理解していました。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い、と言ったのです。それはまさにピラトが思っていたことでした。ピラトはイエス様に自分の苦しみを理解してもらえたと思ったのです。そしてこの時、ピラトは本当にイエス様を釈放しようと思ったのです。ですがユダヤ人たちはピラトの一番弱いところをついてきました。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。」と言う言葉でした。ピラトは、ユダヤ人たちと対立する勇気はありましたが、皇帝と対立する勇気は全くなかったのです。その弱さをついてきたのです。「王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」と言われて、ピラトの恐怖心は最高潮になってしまったのです。その結果はどうなったでしょうか。もうピラトには選択の余地がなくなったのです。ピラトはイエス様を釈放せず、裁判を開いたのです。13節から16節です。

ヨハ 19:13 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。

ヨハ 19:14 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、

ヨハ 19:15 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。

ヨハ 19:16 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。

 ここにはもう、ピラトの諦めの姿しかありません。その裁判の席でピラトはユダヤ人たちにこう言いました。「見よ、あなたたちの王だ」ここにはむしろあざけりと言うよりも、あなたたちの本当の王はこの人だ、と言う意味さえ感じられます。ですがユダヤ人たちは「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」と言い続けました。ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えました。これこそまさに神を冒涜する言葉であることを祭司長たちは気づか無いのです。ユダヤ人たちは本当の主は神様だけであると言って、ローマの皇帝を主と呼ぶことを命を懸けて抵抗してきたはずなのです。それなのに、イエス様を十字架につけるためには、このような神様を冒涜する言葉を平気で言っているのです。ピラトはこれにはすっかりまいってしまいました。そしてイエス様を十字架につけるために渡したのです。

 なんという恐ろしいことが行われるのでしょうか。なんという不条理なことが白昼堂々と行われるのでしょうか。神様の権威を守ると言う目的で、神の子として遣わされた罪の無い人を「皇帝こそ王です」と神様を冒涜するようなことを言ってまでも、十字架の上で殺そうとしているのです。そのことをユダヤ人たちは、自分たちは神の前に正しいことをしていると思ってしているのです。むしろその不条理に気が付き抵抗しようとしていたのはピラトでした。ですがピラトもまた人の子で、自分の弱みを握られると何の抵抗もできずにイエス様を見捨ててしまうのです。イエス様がピラトに、「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もない」と言ったように、神様が許されなければ何も起こらないのです。このことは神様が許されたことであって、神様の深い計画の内にあるのです。私たちには、ふつうは理解できないことなのです。私たちの周りにも、とても理解できない不条理が起こります。なぜこの人が死ななければならないのかと理解に苦しむことも起こります。ですがそこにも神様の赦された計画があることを心静かに見つめ受け入れていくことが大切なのではないでしょうか。そのことの意味が知らされる時があるのではないでしょうか。

 

(一分間黙想)(お祈り)

 天の父なる神様、私たちの世界にはとても人間の理解では受け入れることのできないような出来事が起こります。ですがそのような出来事の中にもすべて神様のご計画があることを思います。イエス様は、矛盾だらけの裁判の中で、苦しめられ、侮辱され、十字架へと渡されました。このことは私たちには理解できないことでしたが、その事のうちにあなたの救済の計画が隠されていたことを思います。神様どうかあなたの計画を受け入れて、あなたに従順に聞き従っていくものでありますように。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

 

<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>

ヨハ 18:38 ピラトは言った。「真理とは何か。」

◆死刑の判決を受ける

ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。

ヨハ 18:39 ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」

ヨハ 18:40 すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

ヨハ 19:1 そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。

ヨハ 19:2 兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、

ヨハ 19:3 そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。

ヨハ 19:4 ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」

ヨハ 19:5 イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。

ヨハ 19:6 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」

ヨハ 19:7 ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」

ヨハ 19:8 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、

ヨハ 19:9 再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。

ヨハ 19:10 そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」

ヨハ 19:11 イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」

ヨハ 19:12 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

ヨハ 19:13 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。

ヨハ 19:14 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、

ヨハ 19:15 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。

ヨハ 19:16 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。