家庭礼拝 2014年2月26日ヨハネ18章1-18裏切られ逮捕される

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イエス様は最後の晩餐をした後、ゲッセマネの園に行き、そこでついに捕えられました。それは、あらかじめ神様に計画されたことではありましたが、その時がついにやってきたのです。イエス様は、この時が来ることを何度も予告していました。弟子たちもそのことはよくわかっていたはずです。ですがその時、弟子たちは一体どのように行動したのでしょうか。そのことを、今日の聖書の箇所から、教えられたいと思います。

この時を迎えるにあたって、イエス様も、弟子たちもいろいろと考えていたはずです。ペトロは、その時の事を考えて、「あなたのためなら命を捨てます。」とさえ言ったのです。イエス様はまた、弟子たちに対して、「あなた方のうちの一人が私を裏切ろうとしている」と言って、ユダに対し「しようとしていることを、今すぐしなさい。」と言われました。そしてユダは裏切る決心をしたのです。イエス様は弟子たちのために執り成しの祈りをし、「弟子たちを悪いものから守ってください」と祈りました。他の弟子たちも、きっとペトロと同じように、イエス様のためなら命を捨てると決心していたのだと思います。ですが、その時がやってきたとき、弟子たちはどうしたのでしょうか。それが問題なのです。

イエス様は最後の晩餐をして、弟子たちのために執り成しの祈りをした後、ゲッセマネの園に向かいました。そこはイエス様がよく行かれる場所でした。1節です。

ヨハ 18:1 こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。

 ゲッセマネの園は、エルサレムの町からキドロンの谷を越えた山の中腹にありました。ここはイエス様たちがよく行かれる場所でした。多分誰か裕福な人の所有地であり、イエス様にそこに出入りすることを許可していたのだと思います。ガリラヤからエルサレムに旅をしてくるときにこの近くの山を越えるとエルサレムが眼下に広がって見え、その下のほうにこのゲッセマネの園があるのです。町の中に居るよりも安全だったのかもしれません。そこは当然、ユダも良く知っているところで、その日は最後の晩餐の後ここに戻ることも知っていたのです。2節と3節です。

ヨハ 18:2 イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。

ヨハ 18:3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。

ユダはイエス様をとらえようとしている人々を連れてきました。そこには、一隊の兵士と呼ばれているように、ローマ兵の一隊がいたのです。それと祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちがいました。彼らは神殿や要職の人々を警備する人々でした。全部合わせると数百人はいたのかもしれません。イエス様一人をとらえるために、何でこんなにも多くの人々が必要だったのでしょうか。きっと、イエス様の力を恐れていたのだと思います。彼らは、たいまつやともし火や武器を手にしていたのです。そしてついにゲッセマネの園で出会ったのです。4節から6節です。

ヨハ 18:4 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。

ヨハ 18:5 彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。

ヨハ 18:6 イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。

この様に、大勢の人々で、イエス様をとらえに来た人々は、イエス様がきっと恐れてどこかに隠れているに違いないと思っていたのです。それで松明や大勢の人々で、見つけ出そうとしていたのです。ところがイエス様は、そのような人々を少しも恐れることなく、しかもご自分の身に起こる事を何もかも知っていたので、逃げ隠れをするどころか自分から進み出ていったのです。そして、「誰を探しているのか」と言われたのです。彼らはそれがイエス様だとは気付かなかったのです。イエス様はきっと穴倉かどこかに隠れているに違いないと思っているからです。ところが、彼らが、「探しているのは、ナザレのイエスだ」と答えると、イエス様は、「私である」と言われたのです。彼らは、そのイエス様の大胆さと、奇跡を行う力を知っていたので、驚き恐れて、後ずさりし、慌てふためいて地に倒れたのです。この時イエス様は、大勢の捕えに来ていた人々に対して、絶対的な優位に立っていたのです。ですからそのまま立ち去ろうと思えば立ち去れたのです。ですがイエス様はまた尋ねたのです。7節から9節です。

ヨハ 18:7 そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。

ヨハ 18:8 すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」

ヨハ 18:9 それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。

 イエス様はまた尋ねられたのです、「誰を探しているのか」と。これはイエス様が自ら捕えられようとしていることを示しているのです。彼らは「ナザレのイエスだ、」と言うと、「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」と言ったのです。イエス様は逃げるつもりは全くないのです。むしろご自分の言った予言が実現するようにしたのです。そして、弟子たちを指して、この人々は去らせなさい、と言いました。ところが突然ペトロは剣を抜いて、大祭司の手下に打ってかかったのです。どうしてでしょうか。相手は何百人もいてとても太刀打ちできる相手ではないのに、どうしてそんな無茶をしたのでしょうか。恐怖でおかしくなったのでしょうか。10節と11節にはこう書かれています。

ヨハ 18:10 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。

ヨハ 18:11 イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」

 ペトロは、イエス様から、サタンよ退けと言われて叱られたり、イエス様を3度知らないと言って、後悔して泣いたり、愚かな弟子として、聖書には書かれています。ですがそうなのでしょうか。私たちも一緒になって、笑ってしまっていいのでしょうか。ペトロが剣を抜いたのは、イエス様を一人にして捕えさせてはいけないと思ったのです。同じ捕えられ殺されるならば、イエス様と一緒でありたいと思ったのです。「あなたのためなら命を捨てます。」と言った言葉は本当だったのです。ほかの弟子たちが何もできないでいるときに、ペトロは勇気を振り絞って、この大勢の敵に立ち向かって行ったのです。これは誰にでもできることでしょうか。そしてそのあとイエス様が捕えられて連れていかれるときも、他の弟子たちはどこかに隠れてしまいましたが、ペトロは、その後をついていったのです。これも命をかけた大変な勇気のいることでした。しかも、敵の真っただ中の大祭司の庭の中にまで忍び込んだのです。これほどの勇気と、イエス様と共に居たいと言う思いを示した弟子が他にいたでしょうか。イエス様に従いたいと言う思いを示したその姿勢は他の弟子たちをはるかにしのいでいるのです。ですがその中でも、イエス様を3度知らないと言う間違いを犯しました。それはペトロも恥じている事なのです。そのような間違いは誰にでもある事です。ですがその間違いだけで、このペトロの勇気とイエス様に対する忠誠を反故にしてしまっていいものでしょうか。このペトロの勇気は恐るべきものなのです。

その様な勇気を示して、剣で切りかかったペトロに対して、イエス様は「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」と言って、神様の計画に従うべきことをペトロに悟らせたのです。

 さて、イエス様はついに捕えられて大祭司のもとに連れていかれました。12節から14節です。

ヨハ 18:12 そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、

ヨハ 18:13 まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。

ヨハ 18:14 一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。

 イエス様をとらえた人々の中には千人隊長もいました。これはローマ兵が、このイエス様の事を重大な政治的混乱を引き起こす、政治犯としてとらえていたことを意味します。決して宗教的な意味ではないのです。そしてまず、イエス様はアンナスのところに連れていかれました。この人はその年の大祭司カイアファのしゅうと言うことで、実はこの人が黒幕だったのです。ですから一番最初に連れていかれました。神殿での利権を持っていた人とも言われています。一方のカイアファは「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だ」と言って、何が正しいかではなく、何が好都合かで判断する、利己的な人だったのです。

 さて弟子たちはどうしていたかと言うと、シモン・ペトロともう一人の弟子が、イエス様の後をつけて行って大祭司の家まで行ったのです。ほかの弟子たちはもう影も形もなくなっていますから、これは本当に勇気のいることだったのです。イエス様と一緒に死ぬ覚悟をしていたのだと思います。15節と16節です。

ヨハ 18:15 シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、

ヨハ 18:16 ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。

 ペトロのほかにもう一人の弟子、と言うのが出てきます。一般的な解釈では、これはこの福音記者のヨハネであろうと言われています。はっきりは分からないのです。ただこの弟子が大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ることが出来ました。ところがペトロは多分そこで止められて、門の外に立っていたのです。すると、もう一人の弟子が、門番の女に話をして、ペトロを中に入れたと言うのです。このもう一人の弟子は、この家の人々とよく通じており、信用させることのできた人なのです。この門番の女も、男ではなく女であることから、それほど厳しい警備ではなかったのかもしれません。いずれにしても、ペトロは大祭司の中庭に入り、イエス様の近くにいることが出来ました。ですが入る時には、その女の門番に疑われたのです。17節と18節です。

ヨハ 18:17 門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。

ヨハ 18:18 僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。

 これが第一回目のペトロの否認です。イエス様の弟子ではないと言ったのです。ですがこのような状況の中で、だれが一体「そうであると」言う人がいるでしょうか。自分の将来を知っているイエス様くらいではないでしょうか。この状況の下で、違うと言ったからと言って、だれがペトロを非難できるのでしょうか。ですがこれがために、ペトロは鶏が鳴く前に3度知らないと言った男と言うことで、周りからも、鶏の鳴き声であざけられたりして、侮辱されたという伝説も残っているのです。ペトロはこのような状況のもとでも、敵の中で、僕や下役たちと一緒に火にあたっていたのです。それは、火の明かりで、素性がばれてしまう極めて危険な行為であったのですが、ペトロは大胆にもそんなことをしたのです。ペトロは本当に大胆で勇気のある人だったのです。それは何よりも、イエス様と共に居たいと言う情熱のもとにあったからです。

 今日の聖書の箇所からは、イエス様の勇気と、ペトロの勇気を知りました。イエス様の勇気は、神様の計画に従うと言う思いから生まれました。ペトロの勇気はイエス様に従いたいと言う思いから生まれました。本当に従うものはその命を捧げてでも従いたいと言う勇気が与えられるのです。私たちは何に従おうとしているでしょうか。私たちは何に対して本当の勇気を示すことが出来るでしょうか。ペトロが自分の恥となる、三度の否認をさえも、隠すことなく伝えることが出来たのは、むしろこの命を捧げてでもイエス様に従いたいと言う思いがあったからだと思います。イエス様もそのことをよく理解していたのだと思います。これらの従順と勇気を賛美したいと思います。

 

(一分間黙想)(お祈り)

 天の父なる神様。イエス様は、神様の計画を成就するために逃げ隠れせずに、十字架の道を勇気を持って歩み通されました。ペトロは、人が何を言おうとも、イエス様に従うためにその危険を顧みず、イエス様に従っていきました。ペトロは決して愚かでも、裏切者でもなく、本当に勇気のある人でした。私たちの信仰もまた、その命を捧げて惜しくない思いで、信じ従っていくものでありますように。この勇気ある人々によって与えられた信仰に感謝いたします。私たちも勇気をもってあなたに聞き従っていくものでありますように。

この祈りを、主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。


 

<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>

◆裏切られ、逮捕される

ヨハ 18:1 こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。

ヨハ 18:2 イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。

ヨハ 18:3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。

ヨハ 18:4 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。

ヨハ 18:5 彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。

ヨハ 18:6 イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。

ヨハ 18:7 そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。

ヨハ 18:8 すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」

ヨハ 18:9 それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。

ヨハ 18:10 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。

ヨハ 18:11 イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」

◆イエス、大祭司のもとに連行される

ヨハ 18:12 そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、

ヨハ 18:13 まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。

ヨハ 18:14 一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。

◆ペトロ、イエスを知らないと言う

ヨハ 18:15 シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、

ヨハ 18:16 ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。

ヨハ 18:17 門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。

ヨハ 18:18 僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。