家庭礼拝 2014年2月5日 ヨハネ16章16-33
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起
ヨハネによる福音書の最後の晩餐の場面は非常に長く、この場面と十字架の場面のためにこの福音書は語られていると思うほどです。ヨハネ福音書の全21章の内、13章から最後の21章までがこの場面です。ですから、ヨハネ福音書の約半分弱は、この最後の晩餐から後の事なのです。特に最後の晩餐は13章から17章まで続いています。この一晩の食事の時の話だけで、5章もあるのです。全体の四分の一がこの最後の晩餐の時の話に費やされているのです。
17章はイエス様の祈りだけになりますので、最後の晩餐の時にイエス様が弟子たちに語っている場面は今日の箇所で終わりになります。すなわち、イエス様が最後に弟子たちに教えられた言葉なのです。ここでイエス様が何を語られたのかの文脈をつかんでおくと、イエス様が神様のもとに帰られると言う言葉を聞いて、不安になり、戸惑っている弟子たちに励ましを与えていると言う場面になります。今まさに死のうとしている人が、生きている人に励ましの言葉を与えるのですから、普通ではありえないことです。私たちも、いつか自分の死の順番がやってきたときに、その自分の死の恐れに捉われるのではなく、不安を抱いている周りの人々を、信仰によって安心させ、励まして、死んでいけるようになれたら素晴らしいと思うのです。それは自分だけではなく神様の栄光を現すことだと思うのです。そしてクリスチャンはそれが出来るはずなのです。それを今日の聖書から、学んでいきたいと思います。
先ほど、今日の話が最後の晩餐で語ったイエス様の最後の言葉だと言いましたが、この聖書の順番だとその通りなのです。ですが、何度か言ったように、17章の後、この後14章が続くとなると最後の晩餐の最後に語った言葉は「聖霊を与える約束の言葉」と言うことになりますのでそのことも一応頭に入れておく必要があります。
承
さてイエス様は、聖霊の働きについて教え、その方がご自分がいなくなった後は、あなた方を導いてくださると言うことを告げました。そして、イエス様は不思議な言葉を語ったので、弟子たちは理解できず動揺しました。16節から18節です。
ヨハ 16:16 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」
ヨハ 16:17 そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」
ヨハ 16:18 また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」
弟子たちは、イエス様が死なれて神様のもとに戻られるのだろうと言うことは大体理解していました。ですが、また戻ってこられると言うことは全く理解できなかったのです。イエス様のラザロの復活の奇跡などを見ていて、死人が蘇えることも知っていたのですが、イエス様自身が復活すると言うことは、全く想像もできませんでした。ですから弟子達は互いにこの言葉の意味を確かめようとして、「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」と言って話し合っていたのです。ですが皆目見当がつかなかったので、イエス様にそのことを尋ねたいと思っていたのです。するとイエス様は尋ねられる前にその心を知って、こう言いました。19節から22節です。
ヨハ 16:19 イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。
ヨハ 16:20 はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。
ヨハ 16:21 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。
ヨハ 16:22 ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
イエス様の答えは、弟子たちの疑問に直接答えるものではありませんでした。ですが、その答えは、「あなたたちは私がいなくなって悲しむけれども、その悲しみは喜びに変わる。その喜びのために苦しんだことも思い出さなくなる。それは、私が再びあなた方と会うので、心から喜ぶことになる。その喜びは誰にも奪い去ることが出来ない。」というものでした。それはとにもかくにも、またイエス様との出会いが予定されており、それは心からの喜びとなると言うことでした。弟子たちは安心したのではないでしょうか。そして、その時何が起こるのかを予言し約束されました。これは私たちにとっても大きな約束であり、クリスチャンとしての大きな恵みなのです。23節と24節です。
ヨハ 16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。
ヨハ 16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
それまで、弟子たちは、神様に直接尋ねたりお願いすることが出来ませんでした。すべて、イエス様に頼んで、神様に尋ねて答えてもらっていたのです。ですが、もうイエス様に尋ねる必要がなくなると言うのです。なぜならば、イエス様はここではっきりと言っておくと前置きしてこう言ったのです。「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。」と言ったのです。イエス様の名によって願うならば、神様に直接お願いすることが出来るようになったのです。今まではイエス様の名で願わなかったけれども、これからはイエス様の名によって願いなさい、と勧めたのです。そうすればあなた方は喜びで満たされる、と言っているのです。私たちは、喜びで満たされるために、イエス様の御名によって神様に願うことを薦められているのです。ここで大切な事は、「イエス様の御名」によって願うと言うことです。これはただ、イエス様の名を語ればいいと言うこととは違います。その願いは、イエス様の御名にふさわしいものでなければならないのです。信仰的でなければならないのです。そうでないと、イエス様の御名によって祈る事にはならないのです。私たちの祈りが、イエス様にふさわしい祈りであるのかを、顧みてみる必要があります。祈ったのにかなえられなかったと言うとき、その祈りが、イエス様にふさわしい祈りであったのかを顧みる必要があるのです。自分の損得のためにだけ祈るのがふさわしいのか、人々の幸せのために祈るのがふさわしいのか、イエス様の愛に照らせばすぐにわかる事です。私たちはイエス様の御名によって、イエス様にふさわしく神様に祈り求めれば、何でも叶えてくださるのです。
転
イエス様の教えは、ある時期を境に大きく変化します。イエス様の宣教は、最初ユダヤ人たちだけが対象だったのです。それがいつの間にか世界宣教となりました。最初はユダヤ人たちを救うための教えだったのが、全人類を救う教えとなりました。その変化はどこから起こったのでしょうか。そして、今日の聖書の箇所でもある時から、何かが変わると教えました。25節から28節です。
ヨハ 16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。
ヨハ 16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。
ヨハ 16:27 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。
ヨハ 16:28 わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」
ある時を境に、例え話を用いて教えてきたものが、例えによらずにはっきりと知らせるようになる事や、その時まではイエス様がみんなのために神様に願って下さっていたのが、弟子たちが直接神様にイエス様の御名によって願うことが出来るようになることを教えたのです。
この境の時と言うのは、イエス様が生きていた時と、死んで天に上られた時の境の事なのです。イエス様は死ななければできなかった大きなことがあったのです。世界宣教の事も、私たちが直接神様に祈ることも、実はイエス様が死ななければできなかったことなのです。
私たちが、神様に直接願うことが出来るようになったのですが、その時に大切な事は、私たちがイエス様を愛し、イエス様が神様のもとから出てこられたことを信じていると言うことです。このことがあるから、父なる神様は私たちを愛してくださり、イエス様の御名によって願うことを叶えてくださるのです。もし私たちが、イエス様を愛することなく、イエス様が神様のもとから来られた方であることを信じていないならば、神様は私たちを愛することなく、その願いをも聞いてくださらないのです。神様に願う前に、イエス様を愛し信じることが大切なのです。そしてこれらの事を言った後に、28節で「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」とはっきりとおっしゃったのです。
このイエス様の答えを聞いて、弟子たちは大きな驚きをもってこう答えたのです。29節と30節です。
ヨハ 16:29 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。
ヨハ 16:30 あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」
弟子たちは突然何かを悟ったようです。それまではイエス様の言うことを、「何のことだろう」とか「分からない」とか言って論じ合っていたのです。それが突然、悟ったのです。そして、「私たちは信じます。」と信仰告白したのです。この変化は、いったい何によってもたらせられたのでしょうか。この弟子たちの驚きは、イエス様が、弟子たちの心を読んで、弟子たちが疑問を尋ねる前に、的確にそれに応えていったからです。尋ねる前から、その心をすべて知られていると言う驚きが、弟子たちの言った、「あなたが何でもご存知で、だれもお尋ねする必要のないことが、今、わかりました。」と言う告白の言葉になって出てくるのです。それは、尋ねる前から、あなたは何でもご存知であると言うことが、神様でもなければできないと言うことがわかりましたと言うことなのです。その驚きの言葉なのです。そしてその驚きによって、「あなたが神のもとから来られたと、私たちは信じます。」と言う信仰告白となって表れたのです。
やっと弟子たちが、イエス様の言っている意味が分かり、イエス様が本当に、神の子なのだと言うことを告白したことによって、イエス様は安心して次の言葉を言われました。31節から33節です。
ヨハ 16:31 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。
ヨハ 16:32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。
ヨハ 16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
イエス様は、弟子たちが、ようやく信じるようになったのを喜ばれましたが、大切な事を警告し予言しました。それは、弟子たちがイエス様を捨てて逃げ去るだろうと言うことです。なぜこんな厳しいことを言ったのでしょうか。弟子たちの信仰告白に水を差すような言い方です。ですがそうではないのです。もしイエス様がこの警告をしないで死んでしまわれたら、弟子たちにはとんでもない悲しみが襲ってくるからです。それは自分たちが、イエス様を捨てて逃げ去った。イエス様を見殺しにしたと言う、後悔と自責の念に捉われて、もう立ち上がることが出来なくなるからです。
イエス様は、もしそうなってもあなたたちは悲しんではならない、私は一人ではない、父が共に居て下さるのだ、と言っているのです。そして、あなたたちは散らされて、私を見捨てるが、それは、あなた方のせいではなく、予定されていることなのである、と予言しているのです。ですから、弟子たちが本当にイエス様を見捨てて逃げ去ってしまい、イエス様が十字架で死んでしまっても、そこから立ち直ることが出来たのです。むしろイエス様の予言された通りだと言って、イエス様を崇めたのです。それを言っているのが33節の言葉です。
ヨハ 16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
これらの事を話したのは、あなた方が私によって平和を得るためである、と言いました。このことを聞かなかったならば、一生平和でいることが出来なかったのです。そして最後の励ましの言葉を言いました。「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と言う言葉です。イエス様は、負けて死ぬのではない。死んでも、この世にも、死に対しても私は勝っていると言う勝利の言葉です。だからこの世でどんなに大きな苦難にあっても、勇気を出しなさい、と弟子たちを励ましているのです。
結
最初、イエス様の言葉に不安になった弟子たちには、イエス様の言葉の意味が皆目分からず、受け入れることもできませんでした。何を言っているのだろう、どういうことなのだろうと動揺するだけでした。ですが、イエス様が弟子たちの心の中で思っていることを尋ねる前から答えたことに驚きました。こんなことは神様でもなければできないと言う驚きです。そして、弟子たちは、やっとイエス様の言っていることの意味が分かりました。それはイエス様が神様のもとから来られた方であることを信じることによってでした。そのことによって、イエス様が、神様のもとから来て今神様のもとへ帰られると言うことを受け入れることが出来たのです。信じるためには、時として驚きが必要なのかもしれません。その最たるものがイエス様の奇跡なのかもしれません。驚きの目をもって、この方は神様ではないかと思うとき、本当の信仰が目覚めるのかもしれません。実は信仰の世界はこのような驚きに満ちた世界です。それは、私たちが、イエス様を信じて祈った時に、驚きに満ちた答えを返してくるからです。私たちの心を幼子のように素直にして、イエス様の驚きの世界を受け入れていきたいと思います。そしてどんな困難にあっても、イエス様が「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と言った言葉を思い出して希望をもっていきましょう。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちの心は、いつも自分たちの思いで覆われており、あなたの御業に気づかずにいます。そして、何か問題があれば、何のことだろう。どうしたらいいのだろうと怖じ惑ってしまいます。ですが、あなたの御業によって驚かされ、目からうろこが落ちた時、私たちは本当の主の姿を仰ぎ見ることが出来ます。その時私たちはこう告白します。あなたは神様のもとから来られた方です。そうでなければ、このような預言が出来るわけもなく、もしそうでなければ、これほど長い間、人々があなたを信じ従うはずもありません。多くの人々があなたの御業に驚きを覚えて、その信仰を告白してきたのです。神様、どうか素直な心で、イエス様の御業を振り返ることが出来ますように。これが本当に人間にできることなのかどうかを顧みることが出来ますように。私たちの愚かな考えを捨てて、ただあなたの御業のみに心を止めさせてください。そして、イエス様が約束してくださったように、喜びに満たされて、イエス様の御名によって、神様に願っていくことが出来ますように。
この祈りを、主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆悲しみが喜びに変わる
ヨハ 16:16 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」
ヨハ 16:17 そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」
ヨハ 16:18 また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」
ヨハ 16:19 イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。
ヨハ 16:20 はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。
ヨハ 16:21 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。
ヨハ 16:22 ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
ヨハ 16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。
ヨハ 16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
◆イエスは既に勝っている
ヨハ 16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。
ヨハ 16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。
ヨハ 16:27 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。
ヨハ 16:28 わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」
ヨハ 16:29 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。
ヨハ 16:30 あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」
ヨハ 16:31 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。
ヨハ 16:32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。
ヨハ 16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」