家庭礼拝 2014年1月29日 ヨハネ16章4:15 聖霊の働き
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起
今日の箇所は、私たちの信仰にとって、とても大切な聖霊についてイエス様が語っている箇所です。聖霊と言うのは目に見えないものなので、いったいどこでどんな働きをしているのかを、とらえどころのない気持ちで、見ているところがあります。ですがこの聖霊こそが、私たちに信仰を与え、心を開き、イエス様がどなたであるのかを教え、信仰によって歩む導きをしてくださる方です。私たちが、信仰によって歩むと言うとき、それは聖霊の導きに従って歩むと言うことです。聖霊の導きに従って歩むとは、いつも聖霊に、歩むべき道を尋ねて、従っていくと言うことなのです。今私たちと直接かかわり合う方は、聖霊なのです。今この身近におられるのはこの聖霊なのです。ですから聖霊についてしっかり理解していないと、なかなかキリスト教の本質に触れることが出来ません。
教会によっては、聖霊について語ることを、あまりしないところもあります。それは聖霊と言うのは教えてわかるものではなく、体験によって知られるものだからです。するとその体験は場合によっては独りよがりの体験になり、信仰から外れてしまうような事態にもなりかねないのです。ですが、ホーリネス系の教会や、カトリック系の教会ではこの聖霊体験を重んじ、その指導者もしっかりしているので、聖書にもとづいた聖霊信仰の指導をきちんとやっているところもあるのです。ですがほかのプロテスタント系の教会では、必ずしも聖霊体験をしている牧師がいるわけでもなく、教会の牧師一人ではなかなかこのような聖霊の問題を指導していくことが出来ないのです。教会で起こる、信徒の聖霊に対する考え方の暴走を食い止めることが難しいのです。それで、聖霊の問題を避けて教理中心の信仰となりがちです。これですと何を教えてどうしたらよいのかがはっきりするからです。ですがこれだけでは、生き生きとした信仰を得ることはできません。聖霊体験によって信仰はその命を得るからです。聖霊体験に関しては、きちんと教理を踏まえ、より高い信仰者の指導を受けて、独りよがりにならないように注意することが必要です
イエス様の聖霊に関する話は、ここが初めてではありません。すでに14章の16節で、聖霊を与える約束をなさっています。前にもお話ししましたが、今日の聖書の箇所の16章は、話の流れからすると13章や14章よりも前に来たほうが自然な箇所なのです。ですから、今日の「聖霊の働きの話」は、14章の「聖霊を与える約束」の前に、その説明している箇所ととらえたほうが良いと思います。ほかにも順番が前後している箇所があるので、注意して読んでいきましょう。
承
では、聖書の箇所を学んでいきましょう。4節と5節です。
「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
ヨハ 16:5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。
この言葉を語る前に、イエス様が何を言っていたのかと言うと、「弟子たちは、世に憎まれ、迫害を受けるであろう」と言うことでした。そしてこの時も、以前に学んだ15章26節で聖霊についてこう語っています。参考に見てみましょう。
ヨハ 15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」
ここでは、弟子たちが迫害にあった時でさえ、イエス様が神様のもとから遣わした聖霊が「イエス様が神の子である」ことを証するだろうと言うことを言っているのです。聖霊は、真実を証する聖霊なのです。だから疑わず安心して信じなさいと言うことです。
イエス様は弟子たちが迫害されることをあらかじめ言っておきました。それは1節にもあるように、「あなた方を躓かせないためである。」と言いました。そして、今日の4節では、「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。」と言いました。弟子たちが迫害に会うことは、イエス様には最初から分かっていたのですが、イエス様が一緒にいる間は、イエス様がその迫害の中心でした。ですから弟子たちにそれを言う必要はなかったのです。弟子たちには責任がないと考えられるからです。ですがイエス様がいなくなった後の迫害は弟子たちが中心になります。ですから今ここでイエス様は弟子たちがその迫害を受けることを告げたのです。ですが、弟子たちには、イエス様がいなくなった後と言うのが理解できませんでした。それでイエス様は5節で「今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。」と言ったのです。
イエス様は弟子たちが、イエス様が本当にこの世からいなくなるのを信じていないと考えたのです。ここで、文脈の乱れが生じます。イエス様が、あなた方は誰も、「どこへ行くのか、と尋ねない」、と言っているのですが、すでに、ペトロもトマスもこの質問をしているのです。ペトロは13章36節で、トマスは14章4節で、この質問をしているのです。「主よ、どこへ行かれるのですか。」と言っているのです。ですから13章と14章は今日の16章よりも後にくるほうが自然なのです。順番が入れ替わっています。
転
さてここからイエス様は、聖霊について語りだします。
ヨハ 16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。
ヨハ 16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
イエス様は、自分が死んで神様のもとに帰ると言い出したので、弟子たちは悲しみました。ですがイエス様は、自分が死ぬことは、かえって、弟子たちのためになる事なのだと言うのです。それはなぜかと言うと、聖霊である弁護者が弟子達のところに来ることが出来るからだと言うのです。死ねば、その聖霊をあなたたちのところに送ることが出来ると言うのです。肉体と言うのは有限のものです。時間的にも空間的にも有限であり制限されているのです。ですがその肉体から解放されて聖霊となれば、時間も空間も超えて働き、弁護者として助けてやることが出来ると言っているのです。ですから、イエス様は、自分が死んで肉体から解放されることは良い事なのだと言っているのです。そして、イエス様はこの聖霊の三つの働きの事を言いました。今日の話は、この三つの聖霊の働きの事が中心です。聖霊の働きの、
一つは、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。と言うこと。
二つ目は、真理をことごとく悟らせる。と言うこと。
三つめは、イエス様に栄光を与える。と言うことでした。
まず最初の一つ目ですが、8節から11節です。
ヨハ 16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
ヨハ 16:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、
ヨハ 16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、
ヨハ 16:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
イエス様は、聖霊が来れば、「罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」と言いました。これは、イエス様が世の人々から、罪について、義について、誤解されて、世の裁きに会っているからなのです。それを、イエス様が正しいのか、世が正しいのかを聖霊がやって来て、明らかにすると言ってるのです。イエス様が死を逃れようとして自分で釈明するではなく、聖霊がそれを明らかにすると、落ち着いて言っておられるのです。
そして、罪とは何かというと、世の人々は、イエス様が安息日などの律法を守らないことを言っていたのですが、イエス様は、世の人々がイエス様を信じないことが罪だと言いました。それを聖霊が教えてくれると言うことです。そして義とは何かというと、世の人々はイエス様を迫害することを義と思っていたのですが、イエス様は、その迫害に抵抗せずに、神様の命じるままに従順に十字架の上での死を受け入れることだと言ってるのです。そして、最後のさばきとは、この世の人々は、イエス様を罪人として裁く事だったのですが、イエス様はこの世の支配者が断罪されることだと言いました。この世の支配者とはローマなどの政治的な支配者の事ではありません。人間の心をこの世的な欲望で支配するサタンの事です。すなわち、この世的な欲望が裁かれると言うことです。これらの事をするのは聖霊であって、聖霊によって、罪について、義についてさばきについて正しいことを行い、世の誤りを明らかにすると言っているのです。
イエス様の言った、聖霊の二つ目の働きとは、13節の、真理を悟らせる、と言うことです。
ヨハ 16:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
ヨハ 16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
イエス様は、すべてを弟子たちに教えたわけではないのです。それは弟子たちに理解できることがらには限りがあるからです。ですが必要なことを必要な時に教えてくれるのが聖霊なのです。しかも聖霊に従うならば、真理をことごとく悟らせてくれるのです。これから起こる事をも教えてくれるのです。それは聖霊が神様から聞いたことを私たちに語ってくれるからです。ですから、私たちはもっともっと聖霊に、いろいろなことを相談し、教えてもらうことが大切なのです。
イエス様の語った聖霊の働きの三つめは、イエス様に栄光を与えると言うことです。14節15節です。
ヨハ 16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
ヨハ 16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
私たちは聖霊の導きによって真理を悟り、そのことによって、聖霊を賛美するのですが、それはとりもなおさず、イエス様を賛美し、神様を賛美することであると言うのです。なぜならば、神様のものはすべて、イエス様のものであり、聖霊が語ることは、すべてイエス様が与えたものだからです。ここにも三位一体の事が語られていますが、聖霊による働きは、すべてイエス様に栄光を帰するべきものなのです。
結
イエス様は、これらの事を、もう自分は死ぬと言う決意のもとで話されました。ですがそこには悲壮感よりも、新しい時代の幕開けのようなものを予感させます。それはこれからは聖霊の時代がやってくると言うことです。聖霊が真実をことごとく知らせて下さり、イエス様の御心を直接私たちの魂に教えてくれるのです。イエス様は「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。」とさえ言いました。それは聖霊による導きは、いつでもどこでも受けられるからです。ですから私たちは、困った時には、いつでもどこででも、聖霊にその道を尋ねればいいのです。それが信仰的に歩むと言うことです。とても簡単なことで誰にでもできることです。ですが、聖霊の導きがないとできないことです。これが少しでもできているならば、その人には聖霊が宿っているのです。ますます多くの事を聖霊の導きに委ねればいいのです。私たちに与えられたこの聖霊の導きに委ねないほうはありません。その道は、私たちの利己心によって考えた道よりもはるかに確かな豊かな道を教えてくれるのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちに聖霊が与えられて、導かれていますことを感謝いたします。イエス様は2千年も前に、十字架の上で私たちの罪の贖いとして、その命を捧げられましたが、私たちには聖霊を送ってくださいました。私たちはそのおかげで、今もなを、祈り信じ、従っていくことが出来ます。神様、どうか私たちがこの聖霊の存在を、もっと身近に感じていくことが出来ますように。そしてその聖霊の働きが、イエス様によって行われていることを信じていくことが出来ますように。主を崇め、聖霊に聞き従うことが出来ますように。聖霊によって、あなたの大いなる業を行うことが出来ますように。
この祈りを、主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆聖霊の働き
「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
ヨハ 16:5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。
ヨハ 16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。
ヨハ 16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
ヨハ 16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
ヨハ 16:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、
ヨハ 16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、
ヨハ 16:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
ヨハ 16:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
ヨハ 16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
ヨハ 16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
ヨハ 16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」