家庭礼拝 2013年11月6日 ヨハネ11章1-37 ラザロの死

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イエス様は、子供のころは別にして、大人になってからは家庭というものを持っていませんでした。母親と、兄弟はいましたが、彼らはイエス様が狂ったのではないかと思って、捕えにくるような人々でした。ですから、イエス様が安心して、休めるような家庭はなかったのです。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」と言ったのです。ですがそのようなイエス様に、兄弟のように愛し、安心して過ごせる家があったのです。それがベタニアに住むマルタとマリアそして、ラザロと言う兄弟の家でした。ベタニアと言うところはエルサレムの近くにありました。エルサレムからはわずか3qしか離れていませんでした。イエス様はエルサレムにくるときには、ここに時々立ち寄っては休息をしているのです。そして、そのように立ち寄った時にマリアがあまりイエス様のそばを離れずマルタを手伝ってくれなかったので、イエス様に文句を言った時、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」と言った有名な言葉もそのような時だったのです。そして、このマリアは、もう少し後で、イエス様に香油を塗り髪の毛でイエス様の足をぬぐった女の人としても後に知られるようになった人です。

ですがそのような仲の良い、愛する兄弟の一人ラザロが重い病気にかかってしまったのです。そしてあの有名なラザロの復活の話が起こるのです。ところがこのような重大な話なのに、共観福音書にはこの話は書かれていないのです。同じ名前のラザロの名で書かれている話は、ルカ福音書には別の話として書かれています。それは「金持ちとラザロの話」で、死んだのちにつらい思いをして生きていたラザロは天国に行き、金持ちで楽をしていた金持ちは地獄に行く話です。

このラザロの復活の話は、11章だけでなく、12章にもわたって書かれています。これだけ多くの事がラザロの復活に関して書かれていることは、このことがヨハネによる福音書にとってとても大切な事であることを示しています。それは、ファリサイ派や祭司長たちがイエス様を殺そうと考えた決定的な事件がこれであると述べていることです。共観福音書では、イエス様を殺そうと考えた決定的な事件は、宮清めの話なのです。この点においてもヨハネ福音書は独自の視点を持っているのです。復活と言う視点なのです。

このラザロの復活の話は共観福音書には一言も書かれていないので、比喩的な話ではないかとも言われています。特に、金持ちとラザロの話が、「たとえ死人の中から蘇ってくるものがあっても、ユダヤ人たちは信じないだろう」と言う言葉で終わっており、その続きの話として、このラザロの復活の話が、比喩的につづけられているのではないかとも言われていますが、本当のところは誰にもわかりません。このベタニアの町は後にエル・アザロすなわちこの復活したラザロの名前に変わっているので、この復活の事件がきっかけになっているのかもしれません。

マルタとマリアがイエス様にラザロが病気だと知らせをよこした時、イエス様はヨルダン川の東側、すなわちヨハネが洗礼をしたところの近くに隠れていたのです。それは、生まれつき盲人の人を癒した後で、ユダヤ人たちと論争を繰り返し、ユダヤ人たちから石打で殺されそうになってそれを避けるためにエルサレムを離れたのです。ですから、この時イエス様にとって、エルサレムの近くに行くことは危険な事でした。ラザロはその近くに住んでいたのです。マルタとマリアはイエス様に知らせをよこした時、「病気なのですぐ来てください、」とはいませんでした。「主よ、あなたの愛しておられるものが病気なのです。」とだけ伝えたのです。イエス様には、こうしてください、ああしてくださいと言わなくても、状況を伝えればすべてわかってくれるという思いがあったのです。そしてそれを聞いてイエス様は「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と言ったのです。イエス様はラザロが死ぬのを知っていたのです。そしてむしろ、ラザロが完全に死んで、だれも疑いようのない状態になってから、ベタニアに行こうと言われたのです。それはその知らせが届いてから二日の後なのです。

イエス様が「もう一度、ユダヤに行こう」と言われた時、弟子たちはその危険を知っていました。そして、「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」と言ったのです。イエス様は、「ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」と言ったのです。弟子たちはその言葉を理解できませんでした。するとイエス様はハッキリと「ラザロは死んだのだ。」と言いました。するとトマスは「私たちも行って、一緒に死のうではないか」と言ったのです。この時エルサレムの近くに行くことは決死の思いだったのです。多分、少人数の弟子だけがついていったのです。

 イエス様がベタニアに着かれた時にはラザロは墓に葬られて4日もたっていました。4日と言うのは体が腐りかけて、もう魂は二度と戻ってこないと言われる本当の死の状態なのです。マルタとマリアの家には多くのユダヤ人たちが集まっていました。イエス様は直接その家にはいかず、村の入り口から離れたところで、待っていました。マルタやマリアと静かに話をしたかったのです。知らせを聞いて最初マルタがやってきました。そしてすぐに恨み言を言いました。「主よ、もしここに居て下さいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」そう言って、イエス様がすぐに来てくれなかったことを恨んだのです。ですがすぐに「しかし、あなたが神にお願いになる事は何でも神はかなえてくださると、私は今でも承知しています。」と信仰に戻りました。そしてマルタはイエス様の言葉で、信仰告白へと導かれるのです。23節から27節です。

ヨハ 11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、

ヨハ 11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。

ヨハ 11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

ヨハ 11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

ヨハ 11:27 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

 ここでイエス様の言われた言葉は何度聞いても深い感動を覚えるものです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」この言葉を私たちはどのよう受け止めているでしょうか。このことを信じるかと言われて、私たちはどのように答えるでしょうか。マルタは見事に答えました。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」と言ったのです。これ以上の信仰告白はありません。

 マルタは、家に戻って、マリアにイエス様が来ていることを耳打ちしました。周りのものに聞かれないようにしたのです。大勢のものが来ると話が出来なくなるからでした。マリアはそれを聞くとすぐに立ち上がって、イエス様のもとに行きました。それでもそれに気が付いたユダヤ人たちの一部はマリアが墓に泣きに行くのかと思って心配してついてきたのです。マリアはイエス様のおられる所に来て、足もとにひれ伏して、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」とマルタと同じことを言ったのです。イエス様はマリアが泣き、ついてきたユダヤ人たちが泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮し、そして涙を流されたのです。イエス様が何に憤りを覚えたのかはわかりません。ですがこれほどまでに感情に支配されているイエス様は見たことがないのです。涙まで流されているのです。神と言われる人が、これほどまでに感情に流されることはふつうありえないのです。むしろ感情を超越するのが神なのです。ですが、ヨハネはあえてこれを書きました。イエス様は、人々と同じ感情を分かち合う神様なのです。私たちと違う感情を持つ神様ではないのです。それを見てユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言いました。その感情に流される姿は、いかに深く愛していたかを表すものだったのです。私たちの救い主イエス様は、そのように深く愛する救い主なのです。

 イエス様は言われました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」私たちの信仰はこの事を問われているのです。このことを信じるかと問われているのです。この事を忘れて他の議論にすり替えてはいけないのです。真正面からこの問題に取り組まなくてはいけません。マルタのように答えられなくても、自分なりの信仰告白は持たなければなりません。ヨハネ福音書はこの事を強く問いかけているものと考えられるのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

 天の父なる神様。イエス様は、私を信じるものは死んでも生きると言われました。これを信じるかと言われました。どれだけ真実に信仰告白できるでしょうか。形ばかりの信仰告白ではなく真実の信仰告白が問われています。どうかこの問いかけをいつも心に抱き、あなたの問いかけに答えていくことが出来ますように。いい加減にごまかしたり、忘れ去ったり、すり替えたりすることなく、真正面から取り組んで応えていくことが出来ますように導いてください。私たちの信仰が、どうか形だけのものではなく、真実のものとなりますように。

この祈りを、主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>

◆ラザロの死

ヨハ 11:1 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。

ヨハ 11:2 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。

ヨハ 11:3 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。

ヨハ 11:4 イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」

ヨハ 11:5 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。

ヨハ 11:6 ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。

ヨハ 11:7 それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」

ヨハ 11:8 弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」

ヨハ 11:9 イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。

ヨハ 11:10 しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」

ヨハ 11:11 こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」

ヨハ 11:12 弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。

ヨハ 11:13 イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。

ヨハ 11:14 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。

ヨハ 11:15 わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」

ヨハ 11:16 すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

◆イエスは復活と命

ヨハ 11:17 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。

ヨハ 11:18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。

ヨハ 11:19 マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。

ヨハ 11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。

ヨハ 11:21 マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

ヨハ 11:22 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」

ヨハ 11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、

ヨハ 11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。

ヨハ 11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

ヨハ 11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

ヨハ 11:27 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

◆イエス、涙を流す

ヨハ 11:28 マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。

ヨハ 11:29 マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。

ヨハ 11:30 イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。

ヨハ 11:31 家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。

ヨハ 11:32 マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。

ヨハ 11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、

ヨハ 11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。

ヨハ 11:35 イエスは涙を流された。

ヨハ 11:36 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。

ヨハ 11:37 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。