家庭礼拝 2013年9月25日 ヨハネ8章39-59 アブラハムの子ら

  賛美歌463 わが行く道聖書朗読  祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り  賛美歌464 ほめたたえよう

 

8章はすべて、姦淫を犯した女の話とそれに続くユダヤ人とイエス様の論争です。なぜヨハネ福音書は、ここまで長い論争を続けているのでしょうか。それは、それぞれに自分たちは正しいとしているところの根拠を主張しあって、自分たちが、神の側にあるのか悪魔の側にあるのかのきわどい議論となっているからです。ここでは、イエス様が、私は神様のもとから来たものであり、あなたたちは悪魔の子であるという一方で、ユダヤ人たちは自分たちはアブラハムの子孫で、神の子とされているものである。イエスこそサマリア人であり、悪霊に憑りつかれていると主張しているのです。この論争は、それぞれが神の子となるか、悪魔の子となるのかの論争なのです。ですから、イエス様の語る言葉に対抗して、ユダヤ人たちも必死に反論して、イエス様こそ悪魔の子としようとしているのです。いったいどちらが本当のアブラハムの子であり、神の子なのでしょうか。

結局、この論争は最後まで平行線であり、最後はイエス様の言った言葉を理解することが出来ずに、怒り狂ったユダヤ人たちが、イエス様に石を投げつけようとしたところで、終わるのです。イエス様は神殿の境内から出ていったのです。

 この論争では、イエス様が、神の子であることの根拠がくわしく語られているのです。そういった意味で、イエス様を理解する上で大切な箇所になります。イエス様の言葉は、ユダヤ人たちだけではなく、私たちにとっても理解しがたい不思議な言葉に満ちています。ユダヤ人たちにとって、理解しがたい言葉は神様を侮辱するものと受け取られたのですが、私たちは、その理解しがたい言葉を、イエス様を信頼する立場で理解していく必要があるのです。

 最初の議論は、ユダヤ人たちが、「私たちはアブラハムの子孫であり、神の子孫である。」と言う主張に対して、イエス様がそうではないと反論しています。ユダヤ人たちがそう言ったのはイエス様が、「真理はあなたたちを自由にする。」と教えたのに、「私たちは奴隷になどなったことはないアブラハムの子孫だから。」と反論することから始まっています。イエス様が、ユダヤ人たちはアブラハムの子ではないと言いました。その根拠は、アブラハムは、神様の真理に従っているのに、あなたたちはその神様の真理を語っているイエス様を殺そうとしているからだと言ったのです。するとユダヤ人たちは「私たちは姦淫によって生まれたのではない」と反論しました。これは、イエス様が私生児であることを暗に非難したのか、サマリア人のような混血となった偶像礼拝者ではないと言ったのです。ユダヤ人たちは自分たちの純潔を誇り、だからこそ、神の子なのだと主張したのです。「私たちの父は、神です」と言ったのです。このことは旧約聖書に何度も出てくることなのです。ユダヤ人たちは聖書を根拠に、このただ一人の神様が父であることをとても誇りにしていたのです。ですが、イエス様はそれに対しても反論します。ユダヤ人たちは神の子ではないというのです。その根拠は、「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。」と言うのです。その理由は私は自分で来たのではなく、神様から遣わされてきたものだからであると言ったのです。イエス様は、人類を救おうと自分からやってきたのではなく、神様に遣わされてやってきたのです。だから、神様とイエス様は一つだというのです。

 そしてついにイエス様は嘆き悲しんで「わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。」と言ったのです。どんなに説明しても、それを聞こうともせず、分かろうともしないユダヤ人たちを嘆いたのです。そして、ついに「私の言葉を聞くことが出来ないのは、あなたたちは、悪魔である父から出た者であるからだ。」と言ったのです。そして、「神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」と言ってユダヤ人たちを痛烈に非難したのです。この言葉は、ユダヤ人たちとイエス様の間の溝を決定的にしました。イエス様が、ユダヤ人たちを悪魔の子と決めつけたからです。もうこの後は、非難の応酬です。ユダヤ人たちも負けてはいないのです。

 イエス様の言った、「あなたたちは悪魔の子孫だ」と言った言葉を聞いて、ユダヤ人たちはあきれてしまったのです。そして、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と反論したのです。正統的なユダヤ人に対して、悪魔の子だと言うあなたこそ、あの混血で、偶像礼拝をするサマリア人と同じように悪霊に憑りつかれているのだ、と反論したのです。それに対して、イエス様は二つの根拠をあげて、自分は悪霊に憑りつかれていないと反論するのです。その一つは、「私は父を重んじている」と言うことです。二つ目は「私は自分の栄光を求めていない」というものです。すなわち、イエス様は、自分のことなど考えずにひたすら神様の栄光を求めているということなのです。だから悪霊に憑りつかれているはずはないと言っているのです。そして不思議な言葉を言ったのです。51節です。

ヨハ 8:51 はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」

 この言葉をどのように理解したらよいでしょうか。もちろんその意味はユダヤ人が理解したように、 肉体的な死を意味するものではありません。イエス様の言葉を守るならば、イエス様と一つになることが出来るということではないでしょうか。それは霊的なものであって、その霊的なものは決して死ぬことはないと教えられたのではないでしょうか。そこは神様との関係の世界、イエス様との関係の世界であって、時間に捉われることなく永遠の世界となる事なのではないでしょうか。だからその人にはもう死のようなものはないのです。

 ところがユダヤ人たちには、イエス様の真意を理解しようとする余裕はありませんでした。すぐさまそれに反論するのです。「アブラハムも死んだし、預言者たちも死んだ。それなのに、あなたは死なないなどと言えるのか。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。自分をそんなに偉いと思っているのか。」と非難したのです。ユダヤ人たちにはイエス様が言った言葉が、私は神様のように偉い、と言っているように聞こえたのです。ですからイエス様は、「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。」と言ったのです。そして、「私に栄光を与えてくださるのは父なる神様である」と言いました。ところが「その神様をあなた方は「我々の神だ」と言っているけれども、あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。」と言ったのです。イエス様は、神様を直接知っているのです。そのイエス様を信じるのかどうかが私たちに問われているのです。私たちが直接神様を知るのは難しいことです。ユダヤ人たちと同様に難しいのです。ですが、私たちは神様を直接知っているイエス様を通して、神様を知ることが出来るのです。ユダヤ人たちはイエス様を拒絶したために、神様の事を知ることが出来なかったのです。そしてイエス様はさらにまた、不思議な言葉を語ったのです。56節です。

ヨハ 8:56 あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」

 この言葉は、私たちには理解しがたいことですが、ユダヤ人たちはすぐに分かったのです。なぜなら、ユダヤ人たちは「アブラハムは神様によって一つの幻を与えられており、その幻の中で彼はメシアが来るのを知っていた」と信じていたからでした。イエス様は、「それは今の私の事である」といったのです。これは明確なメシア宣言なのです。そして「アブラハムはそのことを見て喜んでいる。」と言ったのです。ユダヤ人たちは、そのイエス様の言葉を聞いて「あなたはまだ若いのに、千年以上も前のアブラハムの事を知っているとでもいうのか」と言って反論したのです。するとイエス様はもっと不思議なことを言いました。58節です。

ヨハ 8:58 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」

 この言葉は、ユダヤ人たちには、からかっているとしか思われない言葉でした。このヨハネによる福音書を読むことのできた人たちにとっては、1章1節の「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」と言うことからも、イエス様はこの言葉であり、天地創造の前からおられたということを知っています。そして、『私はある』と言うことが、神様を示すものであることも8章24節でイエス様が「『私はある』と言うことを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」と言われた言葉より知っています。ですがユダヤ人たちにとって、それは、イエス様が「アブラハムの生まれる千数百年前から、私はいた、」と言う風にしか理解できなかったのです。今の私たちにもこのことの真意が本当には分からないかもしれません。これは単なる存在を表すものではないからです。それは時間を超えた存在を表しています。永遠の命のようなものです。

 このイエス様の言葉を聞いたユダヤ人たちは怒り狂い、イエス様に石を投げつけようとしたのです。イエス様は身を隠して、神殿の境内から出て行かれました。ユダヤ人たちはついにイエス様を理解することが出来なかったのです。

 イエス様は、神様のもとから遣わされ、神様の御心を行う人でした。イエス様と出会った人々は、イエス様を信じる人々と信じない人々へと分けられました。イエス様を信じイエス様の言葉を守る人は、決して死ぬことはない、との約束を与えられました。死を越えた永遠の命に生きることが出来るのです。一方、信じない人々は真理を拠り所とせず、偽りものであり、悪魔から出たものであると言われました。イエス様を信じるのか信じないのかの信仰的決断を問われるのです。

 イエス様は、ずっと昔から、『私はある』と言われる方です。この言葉の意味をもう一度深く考えてみたいと思います。そのことの中に、永遠の命の秘密が隠されているのだと思うからです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。私たちがヨハネ福音書によって、永遠の命の秘密を教えられていることに感謝いたします。イエス様の御言葉はユダヤ人たちだけでなく、私たちにもなかなか理解しがたい言葉です。ですが、最後はイエス様を信じるのか、信じないのかに行きつくのだと思います。私たちは神様を本当には知る事が出来ません。ですがイエス様は、神様を知っているとおっしゃった方です。私たちはそのイエス様を信じて、神様の事を信じていきたいと思います。どうか信仰によってそのことが与えられますように。あなたの御心がなりますように

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>

◆反対者たちの父

ヨハ 8:39 彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。

ヨハ 8:40 ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。

ヨハ 8:41 あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、

ヨハ 8:42 イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。

ヨハ 8:43 わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。

ヨハ 8:44 あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。

ヨハ 8:45 しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。

ヨハ 8:46 あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。

ヨハ 8:47 神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」

◆アブラハムが生まれる前から「わたしはある」

ヨハ 8:48 ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、

ヨハ 8:49 イエスはお答えになった。「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。わたしは父を重んじているのに、あなたたちはわたしを重んじない。

ヨハ 8:50 わたしは、自分の栄光は求めていない。わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。

ヨハ 8:51 はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」

ヨハ 8:52 ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。

ヨハ 8:53 わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」

ヨハ 8:54 イエスはお答えになった。「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、『我々の神だ』と言っている。

ヨハ 8:55 あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。

ヨハ 8:56 あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」

ヨハ 8:57 ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、

ヨハ 8:58 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」

ヨハ 8:59 すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。