家庭礼拝 2013年9月18日 ヨハネ8章21-38 あなたたちは来ることが出来ない。
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起
今日の論争もまた、姦通の女が引き出された後の論争の続きです。ヨハネによる福音書はこのような論争が多いことが一つの特徴になっており、その論争の中で、イエス様の信仰の核心が話されているのです。今日の箇所は論争のみとなり、出来事がないので、ちょっと分かりづらいかもしれません。
先週の箇所の姦通の女の出来事の後で、イエス様は、証しと裁きについていくつかの事を言っていました。一つ目は、イエス様の証しは真実である、と言うことです。二つ目はイエス様は誰をも裁かない、と言うことです。三つめは、裁いたとしてもイエス様のさばきは真実である、と言うことでした。そして18節でこういったのです。
ヨハ 8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
今日の聖書の箇所は、イエス様をお遣わしになった父との関連で話を進めているのですが、聞いているユダヤ人にはこの父とは神様であることがなかなか呑み込めなかったのです。そして今日の論争が続いていくのです。
承
イエス様は21節でこういわれました。
ヨハ 8:21 そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」
私たちはイエス様が死んだのち天に上られたことを知っているので、この言葉はすぐにイエス様が神の国すなわち天国に行くことを言っているのだと思います。ですが聞いているユダヤ人たちは、イエス様がどこかに行ってしまうのだろうか、それとも死んでしまうのだろうかと漠然と考えているのです。イエス様は、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる、と言って、天国には入れないことを言っているのです。そして私の行くところ、すなわち天国にはあなたたちは来ることが出来ないといっているのですが、ユダヤ人たちにはまだイエス様の言葉が呑み込めないでいました。そしてこう言いました。22節と23節です。
ヨハ 8:22 ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、
ヨハ 8:23 イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
イエス様が21節で、あなたたちは地獄に行き、私は天国に行くといっているのですが、ユダヤ人達はそれがまだ理解できなくて、その逆に考えているのです。「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と言っているのは、自殺したものは地獄に落ちると言われているので、自分たちは天国に入るのだけれども、このイエスは自殺して地獄に行くのであなたたちは来ることが出来ない、と言っているのではないかと解釈しているのです。それでイエス様はもう一度、その関係を理解できるように、「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。」と言ったのです。イエス様は神の国に属しており、あなたたちはこの世に属しているのだと言ったのです。そして続けてこう言いました。24節です。
ヨハ 8:24 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
この言葉の中で、「『わたしはある』ということを信じないならば」、と言うところが理解しにくいのです。分かりやすく書いてあるリビングバイブルでは、もっとストレートにこう書いてあります。それは、「私が神の子、メシアであることを信じなければ」と訳しているのです。すなわち、「私はある」というのは「メシア」であるということなのです。この「私はある」と言うのは神様が自分の事を説明するのに用いた言葉なのです。それはモーセが神様からエジプトに遣わされる時に、いったい誰から遣わされたのだと問われたら何と答えればいいですかと言った時の言葉なのです。出エジプト記3章14節にこう書かれています。『神はモーセに「私はある。私はあるという者だ。」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。「私はある」と言う方が私をあなたたちに遣わされたのだと」』このように神様自身が自分の事を「私はある」という者だと教えているのです。ですから24節の意味としては「私がメシアであることを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」と言っているのです。ですがユダヤ人たちはこの事が理解できないのです。何故かと言うと、ユダヤ人たちは自分たちはアブラハムの子孫であり、その子孫は自動的に天国に行くものと思っているからなのです。それ以外に考えられないのです。ですからイエス様の言っている言葉は受け入れられず、むしろ反対に理解してしまうのです。ですが、中にはイエス様の権威ある教えに、この人は只者ではないと感じる人たちもいたのです。ですから、「あなたは、いったい、どなたですか」と問う人もいたのです。イエス様が、いくら熱心に繰り返し「わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」と言っても、この私をお遣わしになった方とは神様の事であり、イエス様が神様のもとからやって来て、神様のもとに帰ろうとしていることを理解する人はいなかったのです。またそのことをストレートに言うものなら、イエス様を神様を侮辱する不敬罪で捕えようとしている人々もいたのです。
ですがイエス様は、あきらめずに語り続けました。28節から30節です。
ヨハ 8:28 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
ヨハ 8:29 わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
ヨハ 8:30 これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。
ここでもまた、『わたしはある』と言う言葉が使われています。イエス様は、ご自分が十字架で死なれ天に上った後で、私がメシアであることがわかるだろう、と言ったのです。生きている間に理解されるとは思っていないのです。そしてイエス様の語っていることは自分勝手に語っていることではなく、神様に教えられたとおりに話していることがわかるだろうと言いました。そして私をお遣わしになった神様は、私と共に居て下さって、私を一人にしては置かれないのだ。それは私がいつも神様の御心にかなうことをしているからなのだ、と権威ある言葉で語ったのです。これを聞いていた民衆は多くの人がイエス様を信じたと書かれています。ですがその理解は十分なものではありませんでした。すぐに躓くのです。
転
イエス様は、その後自分を信じたユダヤ人たちに対してこういわれたのです。31,32節です。
ヨハ 8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
ヨハ 8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
これはとても大切な言葉です。私たちが信仰を求めるにしても、哲学や科学によって真理を求めるにしてもその行きつく先は真理によって自由になることなのです。苦しみからの自由、恐れからの自由、罪からの自由、自分や他人からの自由、自分を縛り付けるものから何とか解き放たれたいと思い自由を求めて真理を知ろうとしているのです。宗教でも、神様と言う真理を知ることによって、あるいは解脱と言う無を知ることによって、その縛り付けるものから自由になろうとしているのです。その真理は一体どのようにして得られるのでしょうか。いろいろな人がいろいろなことを語っているでしょう。私たちはキリストを信じるものとして、イエス様の言葉を信じるのです。それは「私の言葉に留まるならば、あなたたちは本当に私の弟子となり、真理を知るものとなる。そして自由なものとなる」と言うことなのです。その真理を知るためにはイエス様の言葉に留まる事なのです。ふらふらといろいろな言葉に流れ歩くのではなく、しっかりとイエス様に繋がって、イエス様の言葉に留まるのです。そうするとイエス様は私たちを弟子として受け入れて下さって、何時しか真理を知るものとして、自由にしてくださるのです。これが私たちが究極的に求めているのです。私たちの本当の幸せは、この自由の中にあるのです。たとえ状況がどうであろうとも、恐れも不安もない罪から解き放たれた自由な世界なのです。私たちはこの世界を目指しているのです。
ですがイエス様を信じたユダヤ人たちでさえもこの言葉を誤解しました。なかなかイエス様の言葉に留まることが出来なかったのです。33節ではこう言っています。
ヨハ 8:33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
イエス様が、あなたたちは自由なものになると言ったために、ユダヤ人たちはそれなら私たちは奴隷なのかと思ったのです。そして、「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」と反論しました。ユダヤ人たちはアブラハムの子孫であることに大きな誇りを持っているので、自分たちは奴隷などにはなったことがない、と言ったのです。実際にはエジプトで奴隷になり、アッシリアによって捕囚となっているのですが、多分それでも奴隷ではないと思っているのです。イエス様は心の自由を言ったのですが、この言葉に敏感なユダヤ人たちは、肉体的な奴隷だと言われたと思ったのです。イエス様はこの言葉を言い直してこう言いました。34節です。
ヨハ 8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
イエス様は罪を犯すものは罪の奴隷だと言いました。ですが実際には罪を犯している人は罪の奴隷だとは思っていません。自分は自由に好きなことをしているだけだ、と思っているのです。それほどまでに罪にコントロールされているのです。ですから奴隷なのです。逆らう考えさえも起こらないのです。そこから自由になるには、イエス様によって自由にされるほかないのです。イエス様はそこから解放するためにこう約束されました。36節です。
ヨハ 8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
イエス様の与えてくださる自由のみが本当の自由になるのです。その自由の中にあって、私たちは、恐れや不安や執着や罪や利己的な思いから解放されて、本当に愛に満たされた生き方ができるのです。
結
イエス様は、神様のもとから来て、神様のもとへ帰っていく方です。その方が私の弟子となって、私の言葉に留まりなさい。そうすれば真理を知るようになり自由となると約束してくださいました。その自由は私たちが本当に求めているものであり、ほかのものはその代替品でしかありません。イエス様の与えてくださる自由の中に恐れのない、深い愛に満ちた世界があるのです。イエス様は私の言葉に留まりなさい、と言い続けました。それはもうしばらくするとイエス様は天に上げられるからです。ですがイエス様の言葉に留まるものはイエス様の弟子となって真理を見出し、本当の自由を得るのです
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちを真実へと導き、罪から解き放ち、本当の自由へと導いてください。どうか、イエス様のみ言葉のうちに留まることが出来ますように。イエス様はこの世に属していないと言いました。私たちもこの世に属するものから解き放たれて、イエス様の居られる世界で生きることが出来ますように。イエス様の真の弟子となって従っていくことが出来ますように。いろいろな理屈を言うことが出来ても結局私たちは弱いものです。最後に支えになるのはあなたのみ言葉です。どうかそのみ言葉によって真実へと導かれ自由なものとなることが出来ますように。そしてその自由な世界の中で、あなたの御心を十分に行うことが出来ますように。私たちが互いに愛し合い助け合うものとなることが出来ますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆わたしの行く所にあなたたちは来ることができない
ヨハ 8:21 そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」
ヨハ 8:22 ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、
ヨハ 8:23 イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
ヨハ 8:24 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
ヨハ 8:25 彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。
ヨハ 8:26 あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」
ヨハ 8:27 彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
ヨハ 8:28 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
ヨハ 8:29 わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
ヨハ 8:30 これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。
◆真理はあなたたちを自由にする
ヨハ 8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
ヨハ 8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
ヨハ 8:33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
ヨハ 8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
ヨハ 8:35 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
ヨハ 8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
ヨハ 8:37 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。
ヨハ 8:38 わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」