家庭礼拝 2013年8月21日 ヨハネ7章1-24イエスの兄弟たちの不信仰
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起
今日の聖書の舞台は、ユダヤの仮庵祭と言う大きな祭りを背景にしています。このお祭りは9月の終わりから10月の初めにかけて8日間行われる収穫祭のようなお祭りです。ですがただ単なる収穫祭ではなく、ユダヤ人の先祖が荒野をさまよった時の苦しみを思い出すため、野外に小屋を建て、その中で暮らして、先祖の経験した苦しい体験を忘れないように、ともに体験していこうというお祭りなのです。それで、仮庵の祭りと言う名前も付けられているのです。このお祭りには法的な義務も伴っていて、エルサレムから32km以内に住むすべての成人男子は、それに出席しなければならないことになっていました。そうでなくても多くのユダヤ人たちは進んでその祭りに参加することを願っていました。そのような大きなお祭りでしたので、この時期になると、みんなエルサレムに向かって旅をしたのです。
今日の聖書の箇所には、不思議なことに弟子たちが現れてきません。どこへ行ってしまったのでしょうか。イエス様に派遣されていっていた時期なのでしょうか。この箇所にはイエス様の弟子達ではなくて、イエス様の兄弟たちが出てきます。しかもイエス様とその兄弟たちとの会話が載せられている箇所なのです。イエス様はこの時、弟子たちとではなく兄弟たちと一緒に住んでいたのでしょうか。いったいイエス様の兄弟たちはイエス様の事をどう思っていたのでしょうか、理解されていたのでしょうか、それとも信用されていなかったのでしょうか。イエス様の家庭の中の様子を知ることのできる、珍しい箇所なのです。
承
この仮庵の祭りが近づいてきたころ、すなわち9月の末に近いころ、イエス様はガリラヤ地方で宣教活動をしていました。弟子たちの事は書かれていませんので一人で宣教していたのかもしれません。そして、エルサレムのある、ユダや地方には行こうとなさいませんでした。なぜならば、聖書にも書いてあるように、ユダヤ人がイエス様を殺そうと狙っていたからでした。ユダヤ人がイエス様を殺そうとしていたのは、イエス様が律法を守ろうとしてないとユダヤ人たちが思っていたからでした。
仮庵の祭りなのにエルサレムにもユダヤ地方にも行こうとしないイエス様を見て、イエス様の兄弟たちが、こう言いました。3節から5節です。
ヨハ 7:3 イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。
ヨハ 7:4 公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」
ヨハ 7:5 兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。
イエス様の兄弟たちは、イエス様に対して批判的にこう言ったのです。「イエス様が神の国を伝えるのならば、こんなガリラヤのような地方でこそこそ活動するのではなく、堂々とエルサレムに行って、そこにもいるあなたの弟子たちにも、あなたの奇跡の業を見せてやりなさい。自分が何をしようとしているのかを世の中にもっとはっきりと示しなさい。」そう言ったのです。イエス様の兄弟たちはイエス様の事を信じていませんでした。むしろ、律法学者たちの言っている事を信じて、イエス様が悪霊にとらわれていると考えていたのかもしれません。そうでなくとも、ガリラヤでしか活動しない人にはどうせたいしたことはできないのだと、タカをくくっていたのかもしれません。それで、挑発的にやれるものならもっとはっきりやってみろとけしかけたのです。
転
そこで、イエス様が答えられたのは、「私の時はまだ来ていない」と言うことだったのです。イエス様は何時も神様の声を聴き、神様の指示に従いました。イエス様が自分の感情や思いで、勝手にすることはないのです。イエス様はその時はまだ神様の指示される時でないことを知っていました。それで私の時はまだ来ていないと言いました。兄弟たちはイエス様がエルサレムに行かないのは臆病だからだと思っていたのですが、イエス様は神様の示される時を待っていたのです。私たちは、何かを行うときに、神様の示される時を待っているでしょうか。自分で勝手に焦ったり、嫌がったりしてはいないでしょうか。何かをするには神様からふさわしい時が与えられるのです。その時がベストなのです。それをいつも待ちながら生きるのが信仰者なのです。そしてイエス様は兄弟たちにこう言われたのです。6節から9節です。
ヨハ 7:6 そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。
ヨハ 7:7 世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。
ヨハ 7:8 あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」
ヨハ 7:9 こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
イエス様は、兄弟たちにあなたたちにはいつでも好きなように行くことができるのだから、祭りに行くがよいと言いました。ですが、イエス様自身は、私が世の行っている業が悪いと証しているので世に憎まれている。だから私はこの祭りには上っていかない。まだ私の時が来ていないからである、と言ったのです。私の時とはどんな時なのでしょうか。それは捕えられ十字架につけられるときのエルサレム入場の時ではなかったのでしょうか。イエス様はこの祭りには上っていかないといっているのです。イエス様はガリラヤに留まられたと書かれているのです。
それでは、10節からの記述は一体どういうことなのでしょうか。イエス様が祭に上られたことが、10節から13節にこのように書かれているのです。
ヨハ 7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。
ヨハ 7:11 祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。
ヨハ 7:12 群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。
ヨハ 7:13 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。
兄弟たちが祭に上って行った後しばらくしてから、イエス様も人目を避け、隠れるようにして上って行かれたのです。イエス様の時とは公に、エルサレムに上られる時の事を言っていたのかもしれません。この祭りの時はイエス様がエルサレムで何をしているのかは誰にもわからなかったようです。もしかすると過ぎ越しの祭りの時のいろいろな準備をしていたのかもしれません。小ロバの事や最後の晩餐をする部屋の事などです。
ですが、7章14節から最後までの記述はエルサレムで公に活動をしています。ここの箇所については本来5章47節から続いているのではないかと言われています。このヨハネによる福音書は、5章、6章、7章の順番がどうも入り乱れてしまい、そこに編纂の間違いが起こったようです。ここからの話は、ベトザタの池で、池に入れなくて38年間も病気であった人を癒すことの続きのようです。一応そのことを念頭に置きながら、この後の話を読んでいきたいと思います。
イエス様が神殿の境内に登って、教えておられると人々は驚きました。どうして聖書をこんなによく知っているのだろうと驚いたのです。イエス様は答えました。「私の教えは、自分の教えではなく、私をお遣わしになった方の教えである。」と答えたのです。イエス様の教えは、神様から直接聞いた教えなのです。そして、「自分勝手に話すものは、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求めるものは真実な人であり、その人には不義がない。」と答えられました。神様に聞いて行うものは真実なものとなり、義となることが出来るのです。
結
私たちは何時も神様に心を向けていることが大切なのではないでしょうか。私たちが何かを語るときには、それは神様の言われたことを語るのであり、何かを行うときには、神様がよしとされる時に行うのです。いつも神様がどのように指示されているのかに心を止めて、そのように行うときに、私たちは信仰に生きることが出来るのではないのでしょうか。その時私たちは自分の栄光を求めるのではなく神様の栄光を求める真実なもの義なるものとなることが出来るのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちは自分の都合や考え方で行動し、結果を得ようとしてしまいます。ですが、イエス様は、自分の考えや都合ではなく、いつもあなたの時を見出し、あなたの言葉に耳を傾けていました。そして行うことはそのことに基づいて行っていたのです。私たちの行いはすぐに自分勝手な利己的な行いに陥ってしまいますが、神様どうか、静かに落ち着いて、あなたの指示される時を見出し、あなたのみ言葉に聞き従うことが出来ますように。どんなときにもあなたの御心に思いを向けることが出来ますように導いてください。
世の中では、多くの人々が自分の思い通りに生きられない苦しみを味わっています。どうかあなたにゆだねて、あなたに従って生きる喜びが与えられますように。あなたの平安がありますように。一人一人の上にあなたの導きがありますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆イエスの兄弟たちの不信仰
ヨハ 7:1 その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。
ヨハ 7:2 ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。
ヨハ 7:3 イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。
ヨハ 7:4 公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」
ヨハ 7:5 兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。
ヨハ 7:6 そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。
ヨハ 7:7 世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。
ヨハ 7:8 あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」
ヨハ 7:9 こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
◆仮庵祭でのイエス
ヨハ 7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。
ヨハ 7:11 祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。
ヨハ 7:12 群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。
ヨハ 7:13 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。
ヨハ 7:14 祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。
ヨハ 7:15 ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、
ヨハ 7:16 イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。
ヨハ 7:17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。
ヨハ 7:18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。
ヨハ 7:19 モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。」
ヨハ 7:20 群衆が答えた。「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。」
ヨハ 7:21 イエスは答えて言われた。「わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。
;ヨハ 7:22 しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。
ヨハ 7:23 モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。
ヨハ 7:24 うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」