家庭礼拝 2013年8月14日 ヨハネ6章60-71永遠の命の言葉
賛美歌434 主よみもとに聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌436 十字架の血に
起
今日の場面は5千人の食事をした、翌日の話です。5千人の食事の場面とは、言ってみればイエス様の活動の頂点にあたるような場面です。多くの人々がイエス様の祝福にあずかり、誤解があったとしても、多くの人々がイエス様を支持して、王様になってもらおうとさえした時なのです。大勢の人々が、男も女も子供も老いも若きも病気の人もみんなイエス様のもとに集まってきたのです。
ところがその翌日の話はそれから打って変わって、イエス様から人々が離れていく場面になります。これから後は、まるでイエス様が十字架まで一気に失速してしまうようなそのようなターニングポイントにあたる場面になるのです。いったいここで何が起こったのでしょうか。
ヨハネ福音書には、人々のイエス様に対する誤解の話がたくさん出てきます。イエス様が何をしても、何を語っても人々はそれを誤解し、イエス様の行おうとしていることとは反対の事に捉えてしまうのです。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。それはイエス様が霊の事を語り、霊的なことを行ったのに、人々はそれを肉的なもの、この世的なものととらえたからでした。このすれ違いがいつもイエス様への誤解となったのです。
5千人の食事もまた霊的なものでした。ですが、人々は腹を満たすパンだけに関心があったのです。イエス様にパンを求めて追いかけてきた人々に、イエス様が、私が命のパンであるといった時も人々は誤解しました。それを霊的なものとは理解できませんでした。そして、イエス様が「私は、天から下ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉の事である。」と言った時、それでもそのパンが霊的なものであり、イエス様のみ言葉であることを理解できなかったのです。人々とイエス様の話はずっとすれ違ったままなのです。そして、決定的なことが起こりました。イエス様が「はっきり言っておく、人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに命はない。私の肉を食べ、私の血を飲むものは、永遠の命を得、私はその人を終りの日に復活させる。」
これを聞いた人々は、イエス様の言っておられることが霊的なものであることを最後まで理解できなかったのです。そして、実際にイエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲むと言う非人間的なことを想像したのです。この言葉を聞いた人々はユダヤ人だけでなく、イエス様に従っていた弟子たちにも躓きになったのです。そして、この時から弟子たちも、ユダヤの人々もイエス様から離れていくようになったのです。
承
6章60節では、こう書いてあります。
ヨハ 6:60 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」と言ってイエス様から去っていったのです。
イエス様の弟子たちにもいろいろいたのです。イエス様が何をするか、ということに関わらず、ただイエス様を慕い、イエス様を信じて従ってきた弟子たちと、イエス様が与えてくれる奇跡の恵みを受け取ろうとして、イエス様に従ってきた人々です。言ってみれば、後者の弟子たちはご利益があればついていくし、ご利益がなければ去っていく人々なのです。私たちは一体どちらなのでしょうか。イエス様が、祈りをかなえてくださるからイエス様に従うのでしょうか。イエス様が私たちを愛してくださっているからイエス様に従っているのでしょうか。これが信仰の分かれ道になるし、苦しい時の分岐点にもなるのです。
イエス様は、イエス様の語ったことで、弟子たちがつぶやいているのに気づいて、あなたたちはこのことに躓くのか、と失望されました。それでも、イエス様は弟子たちに真実を伝えようとして話をされました。63節です。
ヨハ 6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
イエス様は、弟子たちにイエス様の語っていることは霊の事であり、肉の事は何の役にも立たないといったのにもかかわらず、それでも弟子たちはそのことを理解できなかったのです。と言うよりも霊や言葉では腹は満たされない、イエス様に従っていってもいいことはないと考え始めたのです。結局最後まで、いくら説明をしても肉を求めるものは肉にしか興味がなかったのです。霊的な世界には興味がなくて、この世の世界にしか関心がなかったのです。
転
イエス様は、いくら説明してもいくら奇跡の出来事を表しても、イエス様を信じることなく、ただ自分の欲望のみを満たしたいと思っている人たちがたくさんいることを知っていました。誰が信じておらず、だれが裏切るかも知っていたのです。それでこのように言いました。64節から66節です。
ヨハ 6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。
ヨハ 6:65 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
ヨハ 6:66 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
イエス様を信じることが出来るのは、神様から許された人だけだというのです。それほど信じるものと信じないものとがはっきり分かれていたのです。そして信じないだろうと思われた弟子たちは、その多くのものがイエス様から離れ去っていったのです。ご自分を裏切るものとは必ずしもイスカリオテのユダだけではなかったでしょう。多くの弟子たちがイエス様を裏切ったのです。イエスを十字架にかけろと叫んだ群衆の中にも、この弟子たちがいたのかもしれません。
イエス様のもとにはわずかの弟子たちが残されたのです。イエス様はその残された弟子たちに言いました。67節から69節です。
ヨハ 6:67 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。
ヨハ 6:68 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
ヨハ 6:69 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
イエス様が12弟子にあなた方も離れていきたいのかと言われたのです。ですが、シモン・ペトロが「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と答えたのです。イエス様を去って行った弟子たちは、パンが得られないならば、イエスは関係ないと思って去っていったのです。ですが残った12弟子たちはパンよりもイエス様とともに居る事を選んだのです。イエス様と伴に居ること以外には、行く場所がなかったのです。それは、イエス様と伴に居るときに、本当に生きていると感じることが出来、本当の命を味わうことが出来たからです。
ヨハネ福音書には12弟子の任命の記事は書かれていません。一般的には12弟子が任命されたのは宣教の初期のころですが、遠藤周作などは12弟子が選ばれたのは、弟子たちが去って行って残されたものの中から選ばれたに違いないと言っています。ですがその中にはイエスを裏切るイスカリオテのユダもまた選ばれているのです。ユダはイエス様に失望していたかもしれませんが、イエス様から去るところまではいかなかったのです。ある意味で、ユダはイエス様の十字架のために、特別に用いられた人なのかもしれません。そして、裏切者のすべての汚名を一人でしょっていった人なのかもしれません。
結
イエス様から、何かを得ようとしていた人たちは、皆、イエス様を誤解していました。イエス様の言葉を、この世的な意味にしかとらえることが出来ませんでした。ですから、自分の求めているものが得られないと知ると、手のひらを返したように去っていくのです。私たちはイエス様に何を求めているのでしょうか。それとも何かを捧げようとしているのでしょうか。私たちがイエス様にこの世的なものを求めている限り、イエス様の霊的な御言葉は理解できないかもしれません。ユダヤの群集と同じになってしまうのです。そうではなくて、イエス様に5つのパンと2匹の魚をささげた子供のように、自分の持っているものを感謝を込めて捧げるならば、そこに本当に霊的なパンを見ることが出来、受け取ることが出来るのかもしれません。イエス様の世界は、霊的な世界なのです。このことを一時でも忘れてはいけないのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様が人々に命のパンを与えようとなさいましたが、人々はそれを理解せず、それを受け取ろうともしませんでした。イエス様はそれでも、ご自分の命をささげてさえも、その命のパンを私たちに与えてくださいました。私たちが、この世的なものを求めている限り、イエス様の与えようとした命のパンの事は理解できないかもしれません。神様どうか、イエス様が本当に私たちに与えようとしていた、命のパンの事を理解し受け取り、永遠の命につながるものとさせてください。どうかイエス様を与えられて、イエス様と一つとなることが出来ますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆永遠の命の言葉
ヨハ 6:60 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」
ヨハ 6:61 イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。
ヨハ 6:62 それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。
ヨハ 6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
ヨハ 6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。
ヨハ 6:65 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
ヨハ 6:66 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
ヨハ 6:67 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。
ヨハ 6:68 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
ヨハ 6:69 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
ヨハ 6:70 すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」
ヨハ 6:71 イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。