家庭礼拝 2013年7月10日 ヨハネ5章31-47イエスについての証し
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起
ベトザタの池で病人をいやしてからの、イエス様とユダヤ人たちの論争はまだ続いています。イエス様が、「私の父は今もなお働いている。だから私も働くのだ。」と安息日に癒しを行った理由を話してから、ユダヤ人たちはイエス様をますます憎み殺そうとさえ思っていました。イエス様は何の権威によってこのような業を行うのかをユダヤ人たちに説明しました。それは自分は、神様のしていることを見て、その通りしているだけだ、と言うことでした。そして、神様はイエス様に命を持つようにしてくださったのであり、裁きを行う権能をお与えになったのだと言ったのでした。
ですが、これらの議論は、イエス様が一方的に話していることであり、その権威にしろ、その裁きを行う権能にしろ、命にしろ、いったいどこに根拠があるのだという思いをユダヤ人たちは持ったのです。イエス様の言っていることは、自分で自分の事を証明しようとしているのであって、それはユダヤ社会の受け入れられる、証明の方法ではなかったのです。それで、今日の聖書の箇所ではその説明があるのです。それはその根拠はどこから来るのか、その証は真実なのかと言うことを、ユダヤ人の考え方に合わせて、イエス様が説明しているのです。
承
イエス様は、ユダヤ人が思っている批判を先取りして、こう語ったのです。31節と32節です。
ヨハ 5:31 「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。
ヨハ 5:32 わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。
イエス様は、ユダヤ人たちの考え方に合わせて、もし、私が自分自身について証しをするなら、その証は真実でない、と言いました。当時のユダヤ人社会での証言と言うのは2人または3人の複数の証人の意見でないとそれは真実としては扱われなかったのです。当然自分自身を証することも、一人だけの証人の意見も真実とはみなされなかったのです。それでイエス様は、私について証しをなさる方は別におられる、と言いました。そしてその方は真実な方であると言ったのです。いったいその複数の証人とは誰だったのでしょうか。
読み進んでいくと分かりますが、それは洗礼者ヨハネと神様なのです。このように、洗礼者ヨハネは、イエス様の証人として大切な人なのです。イエス様の証人となるためにだけ、洗礼者ヨハネは現れたのです。その洗礼者ヨハネについてはこう言っています。
ヨハ 5:33 あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。
ヨハ 5:34 わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。
ヨハ 5:35 ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。
イエス様は、あなたたちはヨハネに人を送って、その証を聞いているはずだ。彼は真理について証ししたのだ、と言ったのです。その証と言うのは「あなた方の中には、あなた方の知らない方がおられる、その人は私の後から来られる方で、私はその履物のひもを解く資格もない。」と言ったことでした。そしてその翌日にイエス様が来られるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。『私の後から一人の人が来られる。その方は私に勝る。私よりも先におられたからである』と私が言ったのはこの方の事である、」と証言したことを指しています。
ですが一方で、イエス様は、私は人間による証は受けない。と言ったのです。ですが、あなた方が救われるためにこのことを言おうといったのです。イエス様の語るすべての事は私たちが救われるために、なされていることなのです。そして洗礼者ヨハネの事を例えて、「ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。」と例えたのです。ヨハネは光を持っていたのです。神様と同じように光を持っていたのです。ですがそれは小さな光ですが輝いていました。ですがそれは燃え尽きる運命にあるともし火なのです。神様の光とは違うのです。イエス様は、ユダヤ人に対し、あなたたちはしばらくの間その光の下で喜び楽しもうとしていたのだ、と言ったのです。ヨハネの光は、神様の光を放っていましたが、その光はわずかな時の間に燃え尽きて消えてしまったのです。
転
しかし、イエス様が本当に言いたかった証しは他にありました。それが36節に言われている事です。
ヨハ 5:36 しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。
イエス様は、ユダヤ社会の慣習に合わせて、ヨハネを証人に上げましたが、もう一つの証しはヨハネの証しに勝るものだといいました。その証と言うのは、イエス様の行っている業そのものであるというのです。イエス様の行った業そのものが、神様がイエス様をお遣わしになったことを証しているのだというのです。その業は、神様がイエス様の成し遂げるようにと与えられたものでした。ですから、私たちもイエス様はいったい何者であり、どんな権威のある方なのかを知りたかったら、イエス様が何を語り、何を行ったのか、その業をしっかりと見つめればいいのです。それが神様から来たものか、人から来たものかをしっかりと見定めればいいだけなのです。その業を見て、この業は神から来たのでなければ人間にはすることができないと信じて、信仰に入った人もいれば、それを見ても、信じようとしない人もいました。これがイエス様の裁きなのです。イエス様に委ねられた裁きと言うのはイエス様の行われた業を見て、信じるものとなるのか信じないものとなるのかの裁きなのです。
さらにイエス様は「わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。」とさえも言いました。神様が、イエス様のことを証しているのは、聖書の中においてなのです。人は神様の声を直接聞くことができないのですが、神様の声を聖書の中で聞くことができるのです。だが、神様がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないから、命を得るためにわたしのところへ来ようとしないから、神様の言葉を自分のうちにとどめることができないのだ、理解することができないのだと言うのです。
どうしてそうなのか。それはあなたたちには神様に対する愛がないからだ、とイエス様はユダヤ人たちを糾弾しました。そしてあなたたちは、本物よりも偽物の救い主を好んでいるといいました。なぜならば、偽物の救い主は、彼らの好むことを語ってくれるからでした。そして、あなたたちはあなたたちの最も尊敬する預言者モーセをも信じていないといいました。「あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。」と言ったのです。モーセこそ自分たちを導いてくださる大予言者であり、律法を与えてくれた預言者だと信じていたユダヤ人に対し、むしろそのモーセが、神様にあなた方を訴えるであろうといったのです。
結
このように、イエス様は自分を証してくださるのは神様であり、そのことは神様を通してなされる業がその証であるといったのです。ですが、ユダヤ人たちはどのような証しを見ても信じることはありませんでした。それはユダヤ人たちが神様を愛することなく、むしろ偽預言者を愛しているからでした。私たちには、イエス様を証する一つの根拠が明確に与えられました。それはイエス様のなさった業が、イエス様を証しているということです。イエス様の語った言葉、イエス様の行った業が、イエス様が神様に遣わされたものであることを証しているのです。このことを信じるものは、救われて、永遠の命へと導かれるのです。イエス様の語った言葉、イエス様の行った業を、素直な心で、静かに見つめてみれば、それが人間から来るものか、神様から来るものか、きっとそのことが分かるのだと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちにはイエス様の神の子であることの根拠がわからなくなり、ユダヤ人と同じように、どこにその根拠があるのだと疑ってみたくなる時もあります。ですが、イエス様は、私の行った業が私を証していると、明確に語りました。イエス様の行った業を見れば分かるのです。それを分からないというのは、分かろうとせず、見ようともしないからなのかもしれません。神様、どうかそのイエス様の業を素直な気持ちで見つめることができ、その中にあなたの御業をも見ることができますように。そして、心から、信じるものとなることができますように。
世にある多くの人々も、どうか疑うだけではなく、素直にその業を見ることができますように。そして救われて、平安に入ることができますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆イエスについての証し
ヨハ 5:31 「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。
ヨハ 5:32 わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。
ヨハ 5:33 あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。
ヨハ 5:34 わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。
ヨハ 5:35 ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。
ヨハ 5:36 しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。
ヨハ 5:37 また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。
ヨハ 5:38 また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。
ヨハ 5:39 あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
ヨハ 5:40 それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
ヨハ 5:41 わたしは、人からの誉れは受けない。
ヨハ 5:42 しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。
ヨハ 5:43 わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。
ヨハ 5:44 互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。
ヨハ 5:45 わたしが父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。
ヨハ 5:46 あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。
ヨハ 5:47 しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」