家庭礼拝 2013年7月3日 ヨハネ5章19-30御子の権威
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起
前回の、ベトザタの池で病人をいやした奇跡の話は意外な方向へと展開していきます。安息日に癒しを行ったことをとがめられたイエス様は、ユダヤ人たちにこう答えたのです。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ」すると、ユダヤ人たちは怒りをもってますますイエス様を殺そうと思いました。なぜならば、イエス様が安息日を破るだけではなく、神様をご自分の父と呼んで、イエス様と神様とを等しいものとされたからです。そのような反感を持っているユダヤ人たちに対して、イエス様はご自分の正当性をこの5章の後半で述べていくのです。
ここで語られるイエス様の言葉はとても大切な言葉です。なぜならば、イエス様とは誰で、神様とは誰なのかを語っているからです。そしてその中にあって私たちとは誰なのかを語っているのです。ここで語られているイエス様の言葉は、実際にイエス様が語った言葉ではないかもしれません。こんなに長い話を、ヨハネが正しく覚えているとも思えないからです。このヨハネによる福音書は西暦100年ごろ、すなわち、イエス様がなくなってから70年もたって書かれたものだからです。ですが、その長い年月をかけて、ヨハネはイエス様の言おうとした本当の意味を理解しようとして、何度も考え、何度も思いめぐらせて、イエス様の語ろうとしたその言葉の本当の意味をヨハネはここで語ろうとしているからです。それは、まるで、イエス様がヨハネに乗り移って語っているようなものです。
イエス様は、今まではほとんど自分がメシアであるというようなことを口にしたことはありませんでした。ただ一度、サマリアの女と話をしていた時に、女がメシアが来られることは知っている、と言うとイエス様は「それは、あなたと話をしているこの私である。」と言ったことだけです。
ところがこの5章後半では全く違うのです。ご自分がメシアであることを声高らかに宣言しているのです。イエス様がご自分の事をどのように語ったのか、どのように認識していたのか、それがここに書かれていることであり、とても大切なことになります。それは私たちが信じるべき根幹となる事柄のものだからです。
承
イエス様は、ユダヤ人たちが、イエスは自分を神と等しいものにしているとつぶやき、敵意をもっているのを知って、こう言ったのです。19節と20節です。
ヨハ 5:19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
ヨハ 5:20 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
イエス様は安息日に働いているといって非難するユダヤ人に対して、「私の父は今もなお働いておられる。だから私も働くのだ。」と言ったのですが、どうしてそのようにするのかをユダヤ人たちに説明したのです。イエス様は、「自分は神様のしていることを見て、何でもその通りにしているのだ。そうでなければ何もできない。」と言ったのです。すなわち、イエス様のすることは、神様のしていることと同じことなのである、ということなのです。ですから、神様の事を知りたければイエス様がどのようにしたのかを見ればわかるのです。一方、イエス様の事を見て、イエス様に敵対する人は、神様に対しても敵対しているということなのです。これはまさしく、イエス様がメシアであることの宣言なのです。メシア以外にこのようにできる人はいないからです。旧約聖書にも、足萎えが、歩けるようになる奇跡というのはメシアの働きでしたが、神様はこんなことよりももっと大きなことを私に示して、それを行い、あなたたちが驚くようなことが起こるといいました。その驚くようなこととは21節です。
ヨハ 5:21 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。
これはイエス様が、神様と同様に、命を与えることのできるメシアであるという宣言です。これを聞いたユダヤ人たちはどれほど驚いたでしょうか。またはどれほど憎んだでしょうか。私たちがイエス様に出会って、その御言葉を聞いた時、私たちの反応は二通りなのです。その御言葉を聞いて恐れおののき、感謝と賛美のうちにイエスキリストを信じるか、その御言葉を拒絶し、イエスを憎み、殺そうとするかの反応なのです。前者は命を与えられ、後者は死に至るのです。
転
さらにイエス様は、神様がご自分に与えられた権威についてこう語りました。
ヨハ 5:22 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
ヨハ 5:23 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
これは驚くべき言葉です。誰がこのような言葉を言えるでしょうか。旧約聖書の神様は人を裁く神様でした。ですが、イエス様は、神様はもう誰も裁かないといっているのです。そして人を裁く権威は一切イエス様に任せられているというのです。私たちの罪が裁かれるというのは、ただイエスキリストの御前に立つということなのです。すなわち、イエス・キリストを信じるものは救われ、信じないものは裁かれるということになるのです。それは、イエス様を神様と同様に敬うようになるためであり、これをしないものは神様をも敬わないものである、と言ったのです。そして、24節と25節では、そのことをされに強調して、「はっきり言っておく」、と二度も続けてその言葉の大切さを語りつつ、イエス様の権能について言い表したのです。
ヨハ 5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
ヨハ 5:25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
イエス様がこのように権威を与えられて神様がこの世にお遣わしになった、ということを信じるものは永遠の命を得るといいました。そのことを強調して、はっきり言っておくといったのです。さらに死んだものでさえもが神の子の声を聴く、それは今である。その声を聞いたものは生きるようになる、と言ったのです。イエス様の御言葉にはそれほどの権威が委ねられているということなのです。それは今の私たちにも、あなた方はそれを信じるかと問われているのです。そして信じる者には永遠の命が与えられるのです。
そしてまた、イエス様はその権威について繰り返し語りました。26節から29節です。
ヨハ 5:26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。
ヨハ 5:27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
ヨハ 5:28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、
ヨハ 5:29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
これは、イエス様と神様がどのような関係にあるかを明確に述べるものでした。それはイエス様が、神の子キリストであることを表すものでした。そして最後に、またユダヤ人たちの最初のつぶやきである「どうしてお前は自分を神と等しいものにするのか、どうして律法を破って安息日に働くのか、」という問いに答えるのでした。それは30節です。
ヨハ 5:30 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。
イエス様はご自分にはご自分の意思は何もない、と言っているのです。ただ、お遣わしになった神様の意思を行っているだけなのだというのです。ですから、イエス様の意思は神様の意志であり、イエス様の語る言葉、行うことはすべて神様が行ったと同じなのです。私たちの信仰はこのことを信じるかどうかという信仰なのです。
結
ヨハネ福音書では、イエス様と神様の関係をどの福音書よりも詳しく、そして明確に語りました。イエス様こそ、神様の意志を忠実にあらわされた方であり、私たちが神様の事を知りたければイエス様のした事や語った事を見ればよいのです。イエス様は、神様の御心のみを行いました。そして、神様から委ねられて、裁く権威と命を与える権威を授けられたのです。ですから私たちは、イエス様のもとから命を与えられまた、許しをも与えられるのです。これを信じるものは永遠の位置を得ると約束されました。私たちは何を信じるでしょうか。信じないものではなく信じるものでいたいものです。そして、多くの人々と共に永遠の命にあずかりたいと思うものです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。イエス様はただあなたの御心のみを行いました。それによって、私たちは、あなたがどのような方でありイエス様がどのような方であったのかを知ることができます。イエス様には裁きと命とが委ねられました。私達がイエス様の御言葉を聞くとき、その裁きと命とにふれます。どうか私たちがイエス様と遣わされた神様を信じて永遠の命にいたることができますように。イエス様の行ったすべての事に、神様の姿を見ることができますように導いてください。イエス様がこの世に遣わされた神の子であることをすべての人が信じ受け入れることが出きますように。そして救われますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆御子の権威
ヨハ 5:19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
ヨハ 5:20 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
ヨハ 5:21 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。
ヨハ 5:22 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
ヨハ 5:23 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
ヨハ 5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
ヨハ 5:25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
ヨハ 5:26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。
ヨハ 5:27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
ヨハ 5:28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、
ヨハ 5:29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
ヨハ 5:30 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」