家庭礼拝 2013年6月19日 ヨハネ4章43-54役人の息子をいやす
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起
イエス様は、サマリアの女との出会いの中で、思いもかけずサマリアの人たちの歓迎に出会いました。サマリア人とユダヤ人は仲たがいしており、言葉も交わさない間柄でしたが、サマリアの女の「あの人はメシアかもしれない」という言葉に誘われて来たサマリア人たちは、イエスをメシアだと認めたのでした。ユダヤ人でもなかなか受け入れない中で、むしろ敵対関係にあったサマリア人のほうが素直に信じたのでした。そしてそこで二日間歓迎を受けて、またそこからガリラヤに出発しました。ガリラヤに入るとすぐイエス様の故郷のナザレや結婚式が行われたカナの町があります。ですがイエス様は、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきり言われたのでした。この言葉は当時のユダヤの諺だったそうです。ほかの共観福音書では確かに敬われておらず、彼は大工の子ではないか、マリアの子ではないか、と昔から知っていることによって、決して敬われず、奇跡もわずかしか行われなかったことが書かれています。ですがヨハネ福音書では、「ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。」と歓迎した理由について書かれています。イエス様が、自分の故郷では敬われないものだといったその言葉の背後には、その歓迎が、単にエルサレムで、奇跡を見て喜んだ表面的なものであり、サマリア人のように直接イエス様の言葉を聞いて信じた信仰とは違うものを感じたのかもしれません。
承
イエス様は、そこから婚礼の行われたカナの町に入りました。そこは、イエス様の最初の奇跡である水をぶどう酒に変える奇跡が行われました。それが一回目のしるしです。そして今日のこの箇所で、二回目のしるしとなる奇跡が行われるのです。
それは、カファルナウムに居る王の役人の息子が病気で死にそうになっており、その役人がイエス様のところに、救いと癒しとを求めて来たのです。このカファルナウムという町は、イエス様のガリラヤ伝道の中心的な場所です。シモン・ペトロの実家のあるところで、イエス様もそこに何度か行っています。ペトロの姑を癒したこともありました。このカファルナウムからカナまでは結構遠く、30q位はあったのかもしれません。この役人は息子の病気を癒してもらうために、その遠いところから、イエス様のところにやってきたのです。王の役人と言われていますから、地位の高い人だったのだと思いますが、そんなことは考えもしないで、ただ息子の命のためにやってきたのです。
この話は、マタイとルカに似たような話が書いてあります。それはイエス様がカファルナウムに入った時に、百人隊長が、その僕のために、癒しを懇願する話です。これはもともと同じ話ではないかという説もありますが、違う話かもしれません。でも、最終的に、イエス様の癒しの言葉だけを信じて帰ったところ癒されていたというのがとても印象的なのです。このことがそっくりだといえるわけです。
転
さて、その役人ですが、カファルナウムからイエス様のいるカナまで旅をしてやってきました。そしてイエス様のところにやって来て、「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてほしいと」と頼みました。彼の息子が死にかかっていたからでした。ところがイエス様は思いがけない言葉を言いました。それは、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」という言葉でした。これは一体何を言おうとしているのでしょうか。この役人は、息子を癒してもらうためには、イエス様にカファルナウムまで下ってもらいそこで癒しの業を行ってほしいと願っていたのですが、これは信仰的にいけなかったのでしょうか。医者ならば、医者に来てもらわなければ直せません。ですがイエス様は信じるものを癒す、神の預言者なのです。ですから、イエス様に医者と同じように来て癒してほしいということは、決して信仰的ではなかったのかもしれません。ですから、この役人に対しても周りで見ている人々に対しても、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言ったのだと思います。ですがその言葉の意味も分からずに、その役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と必死になって言いました。するとイエスはこう言われました。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」
この言葉をいわれた時に、この役人は一瞬戸惑ったと思います。子供が死なないうちに、おいでくださいといったのに、イエス様からは冷たく、「帰りなさい。あなたの息子は生きる」、と言われたのです。この役人はこのイエス様の言葉を信じるべきか、何が何でもカファルナウムまで来て息子を生かしてもらうのかと迷ったことだと思います。その時先ほど言われたイエス様の言葉が響いたのではないかと思います。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言った言葉です。この役人は、自分が決して信じないものではなくて、信じるものになってイエス様のみ言葉を受け取るのが、息子を生かす道だと気が付いたのかもしれません。この役人は、このイエス様の言った、「あなたの息子は生きる」、と言った言葉に賭けました。信じることにしたのです。そしてその長い道をまた戻り始めたのです。すると次のような不思議なことが起こりました。51節から53節です。
ヨハ 4:51 ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。
ヨハ 4:52 そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。
ヨハ 4:53 それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。
これを皆さんはどのように受け止めるでしょうか。信じない人々は、それは単に偶然に過ぎないとか、たまたまだ、というかもしれません。ですが、この役人は、癒されることを信じて立ち去り、癒されたことを聞いて、彼も家族も信じるようになったのです。信じない人々は、このようなことが何度続いても信じないのです。偶然の偶然だとしか思わないのです。ですからそこから何の進歩もありません。ですが信じる人々にとっては、それは神の力であり、そのようなことが起こるたびに信仰は強められ、その奇跡はさらに頻繁に起こるようになるのです。そして、神様がこのことをなされたといって神様を賛美し、神様によって与えられた恵みに感謝するのです。信じない人々には何も与えられません。与えられるとすれば、貧しい自尊心のみです。私たちはどちらを選ぶべきでしょうか。信じて、救われる道を選ぶべきではないでしょうか。そして、信じて救われた人々を見て、私もあのようになりたいと思う人々がまた信じるようになってくるのを願うべきではないでしょうか。
結
イエス様のみ言葉だけを信じて、またカファルナウムに帰る役人の思いに不安がなかったとは思いません。ですが、必死になってイエス様にすがりついたように、必死になってその御言葉を信じたのだと思います。これを信じなければ息子は死んでしまうという思いで信じたのだと思います。イエス様は、私たちの小さな信仰を足掛かりとして、大きな奇跡をおこなわれる方です。私たちのほうに、その信仰をささげることがなければ何も起こらないのです。信じることをお捧げする、そのことがイエス様の奇跡につながる道なのだと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、カファルナウムの役人はその息子の命を助けるために、イエス様のみ言葉を信じました。そして信じることによって、息子の病は癒されました。私たちが信じるのは、そのイエス様のしるしや不思議な業を見たからでしょうか。ですがイエス様は、それを見ないで信じるものであることを望まれています。信じるものがしるしや不思議な業を見るのです。私たちが、このような信仰のうちに立って、多くの恵みのうちに生きることができますように導いてください。私たちは、このようにイエス様の恵みをいただいていると言い表すのを聞いて、多くの人々が、共にその救いにあずかるものとなることができますように導いてください。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆役人の息子をいやす
ヨハ 4:43 二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた。
ヨハ 4:44 イエスは自ら、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきり言われたことがある。
ヨハ 4:45 ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。
ヨハ 4:46 イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。
ヨハ 4:47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。
ヨハ 4:48 イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。
ヨハ 4:49 役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。
ヨハ 4:50 イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。
ヨハ 4:51 ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。
ヨハ 4:52 そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。
ヨハ 4:53 それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。
ヨハ 4:54 これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。