家庭礼拝 2013年6月12日 ヨハネ4章1-42サマリアの女
賛美歌356 インマヌエルの主イエスこそ聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌357 力に満ちたる
起
イエス様は、洗礼者ヨハネがしていたように、多くの人々に洗礼を施し、そして多くの弟子をも集めていました。今日の聖書の箇所では、洗礼を授けていたのは、イエス様自身ではなく弟子達であることも書かれています。前回の話の中では、イエス様たちが洗礼を授けていることをヨハネの弟子たちが、ヨハネに伝え、そして危機感をもってこう言いました。「みんながあの人のほうへ行っています。」 ですがそれ以上に危機感を持っていたのはファリサイ派の人々でした。ファリサイ派の人々は、ヘロデと協力してヨハネを捕えて牢に入れる計画を進めていました。暴動が起こる前にその芽を摘もうとしていたのです。捕えるには十分な口実もありました。ヨハネはヘロデ王を批判していたからでした。ところが、ヨハネの後継者と思われるイエスが多くの弟子たちを集めて力をつけてきているとの噂を、ファリサイ人たちは聞きつけたのです。そして、彼らはヨハネの後継者と思われるイエス様をも殺そうと狙い、捕えて牢に入れようと狙っていたのです。ファリサイ派のそのような不穏な動きを知って、イエス様は活動の地をユダヤから、ガリラヤの地へと移そうとしたのです。それで、急いでガリラヤに出発することになりました。
当時のイスラエルの形は、とても変な形になっていました。エルサレムのあるユダヤの地とイエス様と弟子たちの出身地であるガリラヤの地の間に、仲たがいしているサマリアの地があるのです。それぞれ東側の国境はヨルダン川までだったので、人々はみな迂回して、ヨルダン川を越えて、サマリアの地の反対側を移動し、そしてまたヨルダン川を越えて、目的地に行ったのです。まっすぐサマリアを越えていけば3日で行けるところが、深い谷の向こう側のヨルダン川を越えていかなければならないので、6日ほどかかったそうです。ですがイエス様はサマリアを通らなければなりませんでした。その理由が、ファリサイ派から狙われていたためなのか、サマリアの人々の救いのためなのか、神様からの別なご命令があったのか、あるいはもっと違った理由があったのかハッキリと語られていません。しかしそこには4節にあるように、「しかし、サマリヤを通らなければならなかった」と書いてあり、運命的な理由があったのです。
承
サマリアのちょうど真ん中付近にあるシカルという町まで来ると、イエス様は旅につかれて井戸のそばに座っておられました。弟子たちは食べ物を買うために町に行って誰もいませんでした。この井戸というのは由緒ある井戸でヤコブが掘ったといわれる井戸です。この井戸はとても深くて30mほどもあったそうです。するとそこに正午ごろサマリアの女が水を汲みに来ました。聖書ではさりげなくこう書かれていますが、これは実は変な話なのです。町からこの井戸は遠いのに、しかも暑くて誰も来ない正午ごろに、人目を避けて一人の女が水を汲みに来たのです。イエス様は、この女が人目を避けて水を汲みに来たのであり、その心に救いを求める渇きのあることに気が付いたのです。そしてイエス様は、敢えて、そのサマリアの女に「水を飲ませてください」と言いました。イエス様はとても喉が渇いていたのでしょうか。ユダヤの人がサマリアの人に声をかけることは普通はあり得ないのに、ましてやそのサマリアの女に声をかけるなどということは考えられないのです。外で男性が女性に声をかけるのは不作法であるだけでなく、宗教的にも禁じられてることだったのです。ですから、普通ならばイエス様がサマリアの女に声をかけるということは考えられないことなのです。それ以上に、信仰的な話を女性にすることなどありえなかったのです。ですが、イエス様はサマリアの女の心の渇きを強く感じました。そしてその渇きに気づかせるように「水を飲ませてください」とあえて言ったのです。するとその女はとても驚いて「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言ったのです。ここからイエス様とサマリアの女の話が続きますが、話の展開はユダヤ人の議員のニコデモがイエス様を訪れて話をした時の様子とよく似ているのです。すなわち、イエス様の言ったことを理解しないで女は返事をし、それでもイエス様はそれに対し、また理解できない言葉を言うという形です。
イエス様は言いました。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
ヨハ 4:11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
ヨハ 4:12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
ヨハ 4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
ヨハ 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
ヨハ 4:15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
イエス様は、この女に霊的な水の事を語り、なんとかそのことに気づかせようとしているのに、この女は体の水の事しか理解できないのです。そして最後にはこの女はイエス様が言った「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」といった言葉を冗談と思ったのです。自分が水をくむものもなく乾いているのに、私が与える水を飲むものは決して乾かないなどとよく言えるものだと思ったのです。そして、そんな偉そうなことを言うなら「その水をください」と言ったのです。もはやイエス様とサマリアの女との議論は成り立たなくなっていました。信仰の話は議論では解決しないのです。
転
すると突然、イエス様はこういったのです。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」。この言葉はサマリアの女を現実に引き戻しました。この女は弱みを突かれたのです。人に知られたくない部分を突かれたのです。これこそ、この女が人目を避けてこの井戸に来ていた理由なのです。そして、
ヨハ 4:17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。
ヨハ 4:18 あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」
ここに出てくる5人の夫というのにはいろいろな解釈があります。5人の夫というのは五感の事だという人もいます。また、サマリアに移住して雑婚をした5つの部族だという人もいます。ですが、素直にふしだらな女が夫を5人も替えたのだと考えたいと思います。この女には本当に夫と言えるものがいなかったので、それを指摘されて驚きました。そして、イエス様を預言者と信じたのです。そしてこう言いました。19節と20節です。
ヨハ 4:19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。
ヨハ 4:20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
ここでやっと、このサマリアの女は自分が抱えている信仰的な問題に向き合ったのです。自分の渇きを訴えたのです。この女は自分の罪を知っていましたが、どこで神様の許しを得たらよいのかが分からなかったのです。サマリアには、ゲリジム山と言われる神殿のあった山があるのです。サマリア人はこの山こそ、本来礼拝する場所だといっていましたが、ユダヤ人たちは礼拝すべき場所はエルサレムだと争っていたのです。サマリアの女は心を決められず、悩んでいたのです。イエス様は言われました。21節から23節です。
ヨハ 4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
ヨハ 4:22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
ヨハ 4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
イエス様の答えは、場所は大切ではないということでした。本当に大切なのは霊と真理をもって神様を礼拝することであるといったのです。このことは私たち信仰者にとって大切なことです。私たちが、どの教会に属するのか、どこの教会で礼拝するのかと迷っているとき、そんなことよりも大切なのは霊と真理をもって礼拝することこそが大切だといわれているからなのです。なぜならば、神様は霊だからなのです。その女は、その教えに驚いてこういいました。
ヨハ 4:25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
ヨハ 4:26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
ここの話で、とても大切なことがあります。イエス様は、自分の事をメシアだとは言いませんでした。誰かがメシアだといったとしても、そのことを言わないようにというだけでした。ところが、サマリアの女がメシアの事を言った時、「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」とはっきりと肯定し、宣言しているのです。ユダヤでは言えなかったことが、サマリアでは言えたのかもしれません。そして、これはイエス様のメシア宣言なのです。
結
この後、このサマリアの女は町の人々にイエス様のことを知らせに行きました。イエス様と出会った人はイエス様の事を伝えずにはおられなくなるのです。あんなにも人目を避けていた人が、イエス様に出会うと、そんなことにはお構いもなく、人々の前に大胆に告げ知らせずにはおれなくなるのです。信仰において大切なのは学ぶことでも、知識を持つことでもなく、このようなイエス様との出会いなのです。私たちは、このイエス様と出会うことができるのです。イエス様が、今も生きて、私たちのそば近くに居て、見守ってくださっていることを信じるならば、私たちは出会うことができるのです。そして私たちが見たくもない自分の真実の姿に立ち向かわせ、その姿を指摘するのです。私たちが本当の自分の姿に立ち向かった時、その人は変えられていくのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。イエス様はサマリアの女が井戸にくる前から、そこで待っておられました。そしてイエス様の与える水は、心の渇きを癒す、永遠の命にいたる水が湧き出ることを教えられました。私たちは、信仰が霊的なものであることをしばしば忘れてしまい、現実の物質的なものが確かなのだと思い込んでしまいます。ですが、神様が霊であり、信仰もまた霊であることを理解しなければ決して正しい信仰ではありえません。それを教えてくださるのが、聖霊なのだと思います。神様、どうか、聖霊によって導かれ、霊と真実をもって、礼拝するものとさせてください。聖霊によって、真実を理解させてください。どうかすべての人々の上にあなたの聖霊の導きがありますように
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆イエスとサマリアの女
ヨハ 4:1 さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、
ヨハ 4:2 ――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――
ヨハ 4:3 ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。
ヨハ 4:4 しかし、サマリアを通らねばならなかった。
ヨハ 4:5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。
ヨハ 4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
ヨハ 4:7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
ヨハ 4:8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。
ヨハ 4:9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
ヨハ 4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
ヨハ 4:11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
ヨハ 4:12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
ヨハ 4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
ヨハ 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
ヨハ 4:15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
ヨハ 4:16 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、
ヨハ 4:17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。
ヨハ 4:18 あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」
ヨハ 4:19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。
ヨハ 4:20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
ヨハ 4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
ヨハ 4:22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
ヨハ 4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
ヨハ 4:24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
ヨハ 4:25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
ヨハ 4:26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
ヨハ 4:27 ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。
ヨハ 4:28 女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。
ヨハ 4:29 「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」
ヨハ 4:30 人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。
ヨハ 4:31 その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、
ヨハ 4:32 イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
ヨハ 4:33 弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
ヨハ 4:34 イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。
ヨハ 4:35 あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、
ヨハ 4:36 刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
ヨハ 4:37 そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。
ヨハ 4:38 あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
ヨハ 4:39 さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。
ヨハ 4:40 そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。
ヨハ 4:41 そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
ヨハ 4:42 彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」