家庭礼拝 2013年6月5日 ヨハネ3章22-36イエスと洗礼者ヨハネ

  賛美歌353 父子聖霊の聖書朗読  祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り  賛美歌355 主をほめよわが心

 

 洗礼者ヨハネとイエス様との関係は本当に不思議な関係です。普通ならばあまり考えられない関係なのです。私たちが聖書から知る洗礼者ヨハネとイエス様の関係はイエス様に洗礼を与えた人であり、そのイエス様の道を整える人という関係でしかありません。イエス様の宣教の初期にのみ現れた、脇役という感じがします。ですが、イエス様はこのヨハネを非常に高く評価していました。「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大なものは現れなかった。」と言うほどだったのです。それはあのモーセやエリヤよりも高く評価しているのです。洗礼者ヨハネはユダヤ教の宗教改革者でした。そして、彼を教祖としてあがめ、主と呼び、救い主として考える人々も沢山いたのでした。それは洗礼者ヨハネが殺されてからもずっと続いていたのです。イエス様は、この洗礼者ヨハネの弟子として、一時期、一緒にいたこともあったらしいのです。ですから、このヨハネ教団から見ると、イエス様はヨハネの愛弟子であり、イエス様の教えはヨハネの分派であるという受け止め方をされていました。そうするとヨハネは師であり、イエス様はその弟子です。そして、ヨハネが殺されてからは、ユダヤ人達からはイエス様がその後継者とみられて、大勢の人々がイエス様のもとに集まるようになったのです。

 イエス様の宣教活動は、共観福音書ではヨハネが投獄されてからですが、このヨハネ福音書だけが、ヨハネと共にイエス様も洗礼を授けていた時期があり、その間にヨハネの弟子たちが、どんどんイエスのもとに行ってしまうということが起こったのです。イエスの最初の弟子となったアンデレとヨハネもそうだったのです。ところが、洗礼者ヨハネには、それに対する嫉妬や妬みはありませんでした。むしろ洗礼者ヨハネを主と仰ぐ弟子たちがそのような思いになったので、イエス様に対する自分の立場を説明してなだめているのが今日の聖書の箇所なのです。このような、大きな心を持った人はそうそういるものではありません。ですからイエス様はこのヨハネを高く評価しているのです。

 さて、今日の聖書ではこのように記されています。22節から26節です。

ヨハ 3:22 その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。

ヨハ 3:23 他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。

ヨハ 3:24 ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。

ヨハ 3:25 ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。

ヨハ 3:26 彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」

 洗礼者ヨハネの弟子たちは、自分たちの師の弟子達が新しいイエスのほうにみんな取られてしまうことに妬みを感じ、危機感を感じたのです。師であるヨハネをさておいて、イエスはなんということをするのだという思いだったのです。ところが、ヨハネが答えた言葉はこうでした。27節から28節です。

ヨハ 3:27 ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。

ヨハ 3:28 わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。

このようにヨハネは全面的にイエス様のしていることを肯定し、自分はメシアではなく、あの方の前に遣わされたものであり、あの方こそメシアである。そのことをあなたたち自身が証するようになる、と言っているのです。

共観福音書もヨハネ福音書も洗礼者ヨハネの立場の考えをこのように明確に記している背景には、イエス様が十字架につけられた後でも、まだ洗礼者ヨハネ教団は存在しており、こちらのほうが本家であるとの教えがあったのです。それで、ヨハネ自身がイエス様の事をメシアと認め、そのことを言い表したのだと明確に書き示しておく必要があったのです。そしてこう言ったのです。29節と30節です。

ヨハ 3:29 花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。

ヨハ 3:30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」

ここで花婿とはイエス様の事です。花嫁とは旧約の人々にとってはイスラエルであり、新約の人々にとっては教会です。その花婿と花嫁が結ばれる日、花嫁と伴に居て花婿が来るのを迎い入れる介添え人が私ヨハネなのだ、とヨハネは言っているのです。花婿が戸口に来て声をかけると介添え人は大いに喜ぶのです。だから、人々がみなイエス様のところに行くことを私は大いに喜び、その喜びで満たされているといっているのです。あの方は栄え私は衰えねばならない、という言葉も悲しみではなく、喜びに満ちているのです。自分の使命を果たした喜びで満たされているのです。

 転

31節から36節は、洗礼者ヨハネが語っているようでもあり、福音記者ヨハネが語っているようでもあります。ここではイエス様がどのような方であるかが、力強く証されています。イエス様とはどんな方なのか、それは「天から来られる方であり、すべてのものの上におられる方である。」ということです。そして、イエス様は実際に、「見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。」ということです。イエス様の語ったことは、理屈で考えたことでも、人から聞いたことでもなく、実際に神様を見てそして神様の声を聞いたことを証して語っているのだと言いました。ですが誰もその証を受け入れなかったのです。そして、「神様はイエス様を愛して、その手にすべてをゆだねられた。」と書かれています。イエス様は、神様に愛された人で、その手に神様のすべてをゆだねられた人なのです。すなわち、神様と等しい人なのです。そして最後にこう言いました。36節です。

ヨハ 3:36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」

イエス様の言葉を受け入れて信じる人は永遠の命を得るのです。たとえこの肉体が滅んでも、その信仰によってイエス様と共に生きるのです。反対に信じない者は、神様の裁きにあうのです。

これは洗礼者ヨハネの信仰告白であり、福音記者ヨハネの信仰告白でもあります。そして私たちにもその信仰を告白するようにと迫るものがあります。

 ヨハネは、教団の師と仰がれる人でしたが、決して自分を第一者とはしませんでした。あくまでも、自分はメシアの前に遣わされるものであり、道を整えるものであるとの謙遜な姿勢にありました。自分の弟子たちがみんなイエス様のところに行ってしまっても、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」と言って、それを嘆くのではなく、喜んでいるのです。ヨハネは本当に自分の使命を知り、自分の使命に生きた人でした。ですからイエス様にその事を高く評価されたのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。洗礼者ヨハネは、自分の使命を知っていました。そしてその使命を果たすために、自分が衰えることにも、喜びをもって従ったのです。それはイエス様が、自分の使命を果たすために、十字架につけられたことと同じかもしれません。私たちにはそれぞれ与えられた使命があります。人間的な思いで、ねたんだり羨んだりするのではなく、それが使命ならば喜んで衰えることをも受け入れるものでありたいと思います。どうか自分に与えられた使命がなんであるのかを心静かに見つめ受け入れていくものでありますように。そのことに大いなる喜びを見出すものでありますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>

◆イエスと洗礼者ヨハネ

ヨハ 3:22 その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。

ヨハ 3:23 他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。

ヨハ 3:24 ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。

ヨハ 3:25 ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。

ヨハ 3:26 彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」

ヨハ 3:27 ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。

ヨハ 3:28 わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。

ヨハ 3:29 花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。

ヨハ 3:30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」

◆天から来られる方

ヨハ 3:31 「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。

ヨハ 3:32 この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。

ヨハ 3:33 その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。

ヨハ 3:34 神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が“霊”を限りなくお与えになるからである。

ヨハ 3:35 御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。

ヨハ 3:36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」