家庭礼拝 2013年5月29日 ヨハネ3章1-21イエスとニコデモ
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起
新約聖書で、ファリサイ派といえば、イエス様に敵対する人々であり、律法主義的で、いつも人々に重荷を負わせようとしている人々として描かれています。また、一方金持ちは天国からは一番遠いもののように描かれている人々です。今日の聖書には、そのファリサイ派であり金持ちの、ニコデモという人がイエス様に教えを請いに来ているのです。外見的には一番イエス様から遠い人のように思えますが、心からイエス様を尊敬し、その教えを請いに来たのです。ですから、ファリサイ派の人々が全部が分からず屋というわけでもなく、イエス様の教えに共感している人たちも沢山いたのです。この人は衆議会の議員もしていた人で、イエス様が亡くなった時にピラトにその遺体を引き取りにお願いに行った人でもあるのです。
承
それだけの社会的地位や力のある人が、イエス様のところに夜ひそかにやってきたのです。昼間は大勢の人々がいて、ゆっくり教えを聞くこともできなかったろうし、また自分の立場を憚っていたので、夜静かになってから来たのだと思います。そしてイエス様にこう言いました。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」ニコデモは、自分たちがイエス様の事をどのように見ているのかを率直に話しました。それは、イエス様が神様のもとから来られた教師である、とみていたのです。それは単にニコデモ一人だけではなく、私どもは、と言っているように、ファリサイ派の人々や衆議会議員の中にもイエス様のことを神様のもとから来られた教師である、と受け止めていた人々もいたのでした。ラビ、とはその当時の先生に対する呼びかける名前です。そして、そのように考えている理由を挙げて、「神様がともにおられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを誰も行うことはできないからです。」といいました。ニコデモたちは、イエス様の行ったしるしを信じたのです。その事実は、神様抜きでは考えられなかったのです。同じしるしを見ても、決して受け入れようとせず、信じようとしなかったファリサイ派の人々がいたことを思うと不思議な気がします。また、そのような人々がいるからこそ、夜目立たぬようにひそかにイエス様のところにやってきたのです。ニコデモたちは、文字と規則と議論に明け暮れているファリサイ派の考え方に満たされない思いを感じて、神様がともにおられる方に、強くひかれていたのではないでしょうか。ですから、信仰の力は知識や知恵ではなく、神様がともにおられるという、現実の力なのです。
転
ところが、イエス様は、そのニコデモの質問に対して、突然どう考えてよいのかわからないような答えをするのです。そして相手の戸惑いをよそに、イエス様の考えを述べるのです。このような形で会話を進める方法をイエス様は良くとられます。3節です。
ヨハ 3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
イエス様ははっきりと強く言われたのです。今まで通りの方法ではいけない。少しばかり努力したり改善したり、勉強したり、教えを聞いたりする方法ではいけない。全く根本的に新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないといったのです。古い革袋に新しいぶどう酒を入れてはいけないといったのです。それは、新たに生まれなければいけないということでした。ですがどうしたら新たに生まれることなどできるのでしょうか。ニコデモはすぐにそのように思いました。4節です。
ヨハ 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
ニコデモは、イエス様の言ったことが全く理解できなかったわけではないと思うのです。ですが、年取ったものが、根本的に新しく変えられることの困難を思って、もう一度母親の
胎内に入って生まれることができるでしょうかと答えたのではないかと思います。
イエス様は、ニコデモの気持ちが十分わかっているかのように、どのようにすれば生まれ変わることができるのかを語り始めました。
ヨハ 3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
ヨハ 3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
ヨハ 3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
ヨハ 3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
ここに、神の国に入る方法が教えられているのです。それは水と霊とによって生まれ変わることなのです。それは洗礼によって、生まれ変わることです。水とは、清めの水の事ですが、この世の命が死ぬことです。洗礼には滴礼と言って、水を頭に滴らせる方法と、浸水礼と言って全身を水の中に沈める方法とがありますが、浸水礼の意味することは水の中に沈み込んでそこでこの世の命を捨てて蘇ることを表しています。イエス様は、この世の命に死んだ者は霊によって再び命を与えられ、生まれ変わったものが神の国に入ることができると、教えられました。そんなことがあり得るのでしょうか、その霊は一体どこから来るのでしょうか。ニコデモはきっとそのように思ったことでしょう。ですから、イエス様は、「風が思いのままにふき、どこから来てどこへ行くかを知らないように、霊もまたそのようにどこから来てどこへ行くのかもわからないが、霊から生まれるものにもその霊はやってくるのだ、」と教えられたのです。よく分からなくとも、その霊は実際にそのようにやってくるものなので、その霊によって生まれ変わらなければ、神の国に入ることはできないといっているのです。
ニコデモはその教えに驚き、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言いました。するとイエス様はそれを嘆いて、「わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。」と言いました。地上の事とは洗礼によって蘇る事であり、天上の事とはイエス様の復活の事だといわれています。
そして13節以降は、イエス様が語っているのか、福音記者ヨハネが注釈を入れているのかがよくわからない書き方になっています。ヨハネがまさにイエス様になりきって語りだしているといったほうがよいのかもしれません。
そこには16節と17節のあの有名な言葉があります。それは神様がどのように私たちを愛してくださっているのか、そしてなぜイエス様が遣わされたのかが語られています
ヨハ 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハ 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
神様は、私たちを本当に愛してくださっているのです。イエス様を信じるものが一人も滅びないで永遠の命を得ることを願っているのです。神様は私たちの罪を裁くためにではなく、救われるためにイエス様を世に遣わされたのです。私たちの信じる神様とは、このような神様であり、その恵みと憐れみを信じることのできる神様なのです。
結
私たちは、神の国に入る方法を教えられました。水と霊とによって生まれ変わることです。そして、神様が私たちに何を願っているのかも教えられました。それは決して罪を裁こうとしている神様ではなく、私たちがイエス様を信じることによって一人も滅びないようにと願われている神様です。そのためには、神様は一人子さえも惜しまずに私たちに差し出してくださったのです。この神様を信じることが私たちの信仰なのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、今日教えられましたように、あなたが与えてくださいます、水と霊とによって新たに生まれ変わるものでありますように。この世のもの、見えるもの、にとらわれることなく、霊によって生き、霊によって信仰し、神の国へと入るものでありますように。また、神様が、私たちを愛してくださって、裁くことよりも、救うことを願っている神様であることを思います。どうか恐れることなく、あなたの身元に近づいて、その救いにあずかるものとなさしめてください。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆イエスとニコデモ
ヨハ 3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
ヨハ 3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
ヨハ 3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
ヨハ 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
ヨハ 3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
ヨハ 3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
ヨハ 3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
ヨハ 3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
ヨハ 3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
ヨハ 3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
ヨハ 3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
ヨハ 3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。
ヨハ 3:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
ヨハ 3:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
ヨハ 3:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
ヨハ 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハ 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
ヨハ 3:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
ヨハ 3:19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
ヨハ 3:20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
ヨハ 3:21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」