家庭礼拝 2013年5月22日 ヨハネ2章13-25神殿から商人を追い出す

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 今日の聖書の箇所は、有名な宮清めの箇所です。どちらかというと控えめなイエス様が、エルサレムの神殿で、大胆に、そして怒りを表して、宮清めを行うのです。ここには大きな意味が隠されています。どんな意味が隠されているのかを今日は学んでいきたいと思います。

 ヨハネ福音書と共観福音書では大きく異なるところが数々あります。今日の宮清めのところもそうです。どこが一番違うのかというとその行動ではなくて、時期なのです。共観福音書ではイエス様は主にガリラヤで伝道し、最後に一度だけエルサレムに上って、宮清めをし、過ぎ越しを迎えるのです。ところがヨハネによる福音書では、イエス様は主にエルサレムで活動し、むしろガリラヤでの宣教は少ないのです。少なくともイエス様は3回はエルサレムにのぼって、その活動を行っているのですが、どちらかというと、エルサレムが主で、ガリラヤは従という感じです。そして、今日の宮清めの話は、イエス様の公的生涯のスタートとして書かれているのです。最後ではないのです。これはどちらが正しいのかということになりますが、普通はマルコとヨハネのほうがマタイやルカよりも正しく書かれていることのほうが多いのです。なぜかというと、マルコは最初の福音書だったので、まわりのことにあまり気をくばらずに率直に書くことができたのです。ですが、マタイやルカを書くときにはそのころ形成されてきた教会の組織というものを考慮して、いろいろと手を加えられてきているのです。しかも、マタイやルカは直接イエス様の行動を見ていたというよりも、いろいろな伝承を集めて編集したのです。一方ヨハネは、イエス様の直弟子として、その行動を直接見てきましたから、その言葉の信ぴょう性は高いのです。ですが、今日のこのエルサレムでの宮清めに関しては、ヨハネのほうが違っているだろうというのが大方の学者の意見です。多分最後に編集者がまとめるときにこの部分が前後したのではないかとも言われています。

イエス様はユダヤ人の過越の祭をエルサレムで迎えるために、エルサレムにやってきました。過ぎ越の祭とは大体4月の半ばに行われる、モーセの出エジプトを記念として行われる大切な行事です。神殿にやってくると、そこでは境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になりました。これらの動物たちは過ぎ越の祭の時に犠牲としてささげられる動物で、ささげた後はその肉を持ち帰って、みんなで食事をしたのです。捧げることのできる動物は神殿のお墨付きが必要だったので、ふつうの動物に比べて何倍も高いものでした。この祭りには近くからだけでなく、遠く外国の人たちもやって来てごった返しており、この犠牲の動物を買うために、両替商からユダヤのお金に両替してもらう必要がある人々も沢山いました。

その様子を見て、イエス様はどうしたでしょうか。驚いたことにイエス様は、その商人達を神殿から追い出し始めたのです。15節と16節です。

ヨハ 2:15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、

ヨハ 2:16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

 イエス様はどうして鞭で追い立ててまで怒りを表し、商人たちを神殿から追い出したのでしょうか。ここで商売をしてはいけなかったのでしょうか。神殿側ではここで商売をすることを認めていたのです。ここの場所というのは異邦人の庭といわれるところで、異邦人たちが、遠くから来て、ここで祈りをささげられる唯一の場所だったのです。ですがそこは祈るどころか喧噪と欲望の場所だったのです。マルコによる福音書11章17節ではこう書いてあります。「そして、人々に教えて言われた 『私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」聖書には、はっきりと『私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』と書いてあるというのです。すべての国の人とは、異邦人もまた、祈りの家で祈るべきであるということです。それをユダヤ人たちは、そのような信仰ある人々を受け入れないで、強盗の巣にしてしまったといって怒っているのです。イエス様がそのような行動に出たのは、神の家が冒涜されたからなのです。また、いかなる動物的犠牲も人間と神様との正しい関係を与えることはできない、ということを示すためでもあったのです。

 転

このような大胆なイエス様の行動に対して、神殿側の人々は、すぐにイエス様を逮捕するのではなく、ちょっと間の抜けたようなこんな質問をするのです。

ヨハ 2:18 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。

神殿側の人々にとっても、イエス様がとった行動は聖書的にも正しく、しかもその行動というのは本来メシアが来て行う行動と同じであるということを知っていたのです。そして、それを回りで見ていた人々も知っていたので、いきなり逮捕ではなく、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」とメシアであるしるしを確認しようとしたのです。するとイエス様は不思議なことを言いました。19節から21節です。

ヨハ 2:19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」

ヨハ 2:20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。

ヨハ 2:21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。

 このヨハネの言葉だけを見ると、この神殿と言っているのはイエス様の体というよりも、やはり建物と理解してしまうほうが普通だと思います。ですが、イエス様が捕えられて裁判にかけられた時に、マルコ福音書14章58節にはこのように詳しく書かれています。「この男が、『私は人間の手で作ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で作らない別の神殿を立ててみせる。』というのを、私たちは聞きました。」と書かれています。ここには人間の手で作った神殿と手で作らない別の神殿をはっきりと分けて書かれているのです。ですから、イエス様の言おうとした神殿とはご自分の体のことだったのです。ですが、ユダヤ人たちは神殿を侮辱されたと感じました。当時のユダヤ人たちが何よりも大切にし、守っていたのは、この神殿と安息日の決まりです。イエス様がユダヤ人と対立するほとんどがこの二つの事なのです。イエス様はこの二つに関して新しい教えを教えたのです。ですがユダヤ人たちはそれを侮辱するものととらえました。それで、イエス様を殺そうとさえ思ったのです。

イエス様は、過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた、と書かれています。しるしと奇跡とありますが何が違うのでしょうか。しるしとは奇跡を通して神様を指し示すものです。ですからしるしには神様が伴うのです。人々はどちらかというと奇跡を信じて、しるしを理解しなかったのだと思います。だからイエス様はその人々を信用しなかったのです。人々が信じたのはイエス様は奇跡を行う力ある方で、宮清めを行ったように、この国をも政治的にきれいに清めてくれるだろうということでした。そしてそのような思いが高まっていることを理解していたのです。ですが、イエス様の求める国はそのようなものではありませんでした。イエス様の神殿は体であり、清めるのはその心だったのです。そのことを理解できるものはいませんでした。だから、イエス様を信じイエス様に期待する人々が増えるほど、イエス様の心は孤独だったのです。この宮清めの意味を理解するものがいなかったからです。イエス様の宮清めは心の清めだったのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。イエス様は、異邦人たちのたった一つの祈りの場所が、商売の道具にされていることに怒り、その場所を清めて、異邦人たちに返しました。私たちも同じような間違いをしていることはないでしょうか。教会が何かの道具にされていたり、信仰が何かの道具になっていたりすることはありませんでしょうか。どうかあなたが私たちの思いを清めてくださり、本来の姿に戻してくださいますように。そして、心から祈るためにそれを用いていくことができますように導いてください。ユダヤ人たちは、自分勝手な期待をイエス様に寄せましたが、本当にイエス様の心を理解しようとはしませんでした。どうか私たちも同じ間違いをしませんように。イエス様の御心を覚えて、賛美するものでありますように。自分たちの期待は、投げ捨てることができますように。どうか、御心のままにあなたの御国がたてられますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>

◆神殿から商人を追い出す

ヨハ 2:13 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。

ヨハ 2:14 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。

ヨハ 2:15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、

ヨハ 2:16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

ヨハ 2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。

ヨハ 2:18 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。

ヨハ 2:19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」

ヨハ 2:20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。

ヨハ 2:21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。

ヨハ 2:22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。

◆イエスは人間の心を知っておられる

ヨハ 2:23 イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。

ヨハ 2:24 しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、

ヨハ 2:25 人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。