家庭礼拝 2013年5月15日 ヨハネ2章1-12カナでの婚礼

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 今日の聖書の箇所は、カナでの婚礼の話です。誰が婚礼をしたのかは書かれていませんが、母マリアが、台所を仕切っていることから、近い親戚の人が結婚したと思われます。カナはナザレからはとても近い村で、ナザレからカナが見えたそうです。そのくらいの距離なのです。

 この婚礼の話は共観福音書には書かれていません。ヨハネによる福音書だけなのです。それで、この結婚式はヨハネ自身ではないかという説もあり、その母はマリアの妹であるという説もあります。この結婚式にはイエス様が招待され、さらに弟子たちも5―6人ほど招待されました。多分これが、予定外となり、用意された葡萄酒が足りなくなるというハプニングが起こるのです。

 ここの書き出しは「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって」とありますが、それはフィリポとナタナエルが弟子となった日から次の次の日であるということです。ですからこれらの弟子たちがみんなそろってその婚礼に招かれたのです。洗礼者ヨハネの話が始まって、ここまでずっと、1日目2日目と数えることができて、この婚礼の日はちょうど7日目になります。それで、この出来事は復活を表し、聖餐を表すのだと考えている人もいます。

ここでは、あの有名な水がぶどう酒に代わるという奇跡が起こります。ヨハネによれば、これがイエス様の最初の奇跡であると、断言しています。共観福音書ではどれが最初ということは書かれていませんが、共通して汚れた霊に取りつかれた男の人を癒すのが最初の奇跡として描かれています。それとは違って、ヨハネは、最初の奇跡を、婚礼における、イエス・キリストの栄光を表す、祝福の奇跡として特別に語っているような気がします。

この時代の婚礼の祝いは、今とは比べ物にならないくらい大きな祝いの出来事だったと思います。村中の人々が何日もお祝いをするのです。そこにイエス様と弟子たちが招かれました。マリア様はすでにそこで手伝いをしていました。ところが、大変なことが起こったのです。宴たけなわなのに、一番の必需品である葡萄酒がなくなったのです。このようなお祝いに葡萄酒がなくなったら、お祝いどころではなくなります。このお祝いがぶち壊しになります。そのようなことが起こる事は、その主催者である、花婿花嫁に泥を塗り恥をかかせることになります。台所を預かっていたマリヤ様はそのことに気がついて、イエス様に相談しました。イエス様は長男で、困った時にはいつでも相談できる頼りになる息子でした。聖書にはこう書かれています。3節から5節です。

ヨハ 2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 ヨハ 2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

ヨハ 2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。

母マリアは、イエス様に「ぶどう酒がなくなりました。」と言いました。どうしてくださいと言っているわけではないのです。状況さえ伝えれば、あとはイエス様が何とかしてくれるという信頼があるのです。ですがイエス様の答えは、一見冷たいものです。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」と答えるのです。この言葉は、きつく語れば、拒絶状態になり、柔らかく語れば、丁寧な言葉だそうです。リビングバイブルでは、「今はだめですよ、お母さん。まだ、奇跡を行うときじゃありませんからね。」と訳しています。きっとこのようなニュアンスの言葉なのでしょう。この言葉は、天使ガブリエルがマリアに受胎告知した時に、「どうして、そのようなことがあり得ましょうか。私は男の人を知りませんのに。」といった言葉と似た雰囲気を感じます。このイエス様の言葉をマリア風の言葉で言い換えると、「それが私とどんなかかわりがあるのでしょうか。まだ栄光を表す時ではありませんのに。」と答えたようなものです。ですがイエス様は、その言葉にかかわらず、最初のしるしを行って、その栄光を表したのです。私の時というのはもしかすると復活の時かもしれません。ヨハネはこの婚姻の日を七日目に置き、イエス様の復活の日とだぶらせて、その栄光の時を表そうとしているのかもしれません。

母マリアは、そのイエス様の応えることに頓着しないで、イエス様がきっとよくしてくれると信頼しているのです。それは、受胎告知の時に、「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように。」といった信頼の姿勢なのです。そして召使たちには、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いつけたのです。

 転

そのころユダヤ人の家には必ず水瓶がたくさんありました。水の乏しいこの地域で、水は単に飲み水としてよりも、ユダヤ人にとっては、身を清める儀式の水として欠かせないものだったのです。この家には石の水がめが6つもありました。7つですと完全数なのですが、何かが欠けていることを暗示する6っつの水がめでした。この水で身を清めるとは、外から家に入るとき、足を水で清め、食事の前には手を水で清めてから行うのでした。それは大切な律法の儀式だったのです。ですから6つの水がめとは何かが欠けている律法の儀式を表しています。7節8節では、

ヨハ 2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。

ヨハ 2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。

イエス様に言われたようにされた、水で一杯になった水がめの水は一体どうなったのでしょうか。そこでイエス様の最初の奇跡が行われたのです。9節と10節です。

ヨハ 2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、

ヨハ 2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」

その水は、世話役が確かめたように、上等のぶどう酒に代わっていたのです。これは,律法の不完全さを恵みの完全さに変えたということを暗示しています。イエス様が生活の中に入ってこられると、水をぶどう酒に変えるような新しいことが起こるのです。私たちは足りないこと、欠けたことを生活の中で感じると、そのことに不満を持ち、非難し、途方に暮れてしまいます。ところがそこにイエス様が現れると、その欠けたものがむしろ満ち足りたものに変えられるということが起こるのです。信仰者はこの奇跡を信じます。欠けたものの中にこそ満ち足りるものを感じるようになるのです。そこにイエス様の栄光が現れるからです。それがイエス様の水をぶどう酒に変える奇跡であり、そのうちにイエス様の栄光が現れているのです。ですから、私たちは欠けたものさえも喜ぶことができるのです。

 イエス様は、カナの婚礼の式で初めての奇跡をおこなわれました。それは、イエス様の栄光を表すものでした。イエス様は私たちの生活の中にあって、水をぶどう酒に、欠けたものを満ち足りるものに変えられる方です。それはまさに、今日の今の生活の中でも日々行われている奇跡なのです。

 

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。あなたがイエス様を私たちの生活のうちに送ってくださり、水をぶどう酒に、欠けたものを満ち足りるものに変えてくださることを思います。私たちは欠けたものに嘆くのではなく、それを満ち足りたものに変えてくださるイエス様の栄光を見ることを信頼して、待ち望みます。どうか私たちの生活が、イエス様によって、水がぶどう酒となるように新しいものへと変えられますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

 

<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>

◆カナでの婚礼

ヨハ 2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。

ヨハ 2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。

ヨハ 2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。

ヨハ 2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

ヨハ 2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。

ヨハ 2:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。

ヨハ 2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。

ヨハ 2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。

ヨハ 2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、

ヨハ 2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」

ヨハ 2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

ヨハ 2:12 この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。