家庭礼拝 2013年5月8日 ヨハネ1章35-51最初の弟子達
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起
今日の聖書の箇所は、最初の弟子たちを招く場面です。私達がよく知っている場面はマルコ福音書に書かれているように、イエス様がガリラヤ湖のほとりを歩いている時にシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になって、「私についてきなさい。人間を取る漁師にしよう。」と言った言葉です。ところが4つの福音書をよく比較して読んでみると大きく異なっているのです。何故弟子達自分自身のことなのに、こんなに大きく違うのだろうかと不思議に思います。
共観福音書に共通なのは、イエス様は最初、4人の漁師を弟子にしたことです。マルコでは先ほど述べましたように、最初に湖で網を打っていた、シモンとアンデレを弟子にし、その後、ヤコブとヨハネが船の中で網を手入れしているときに弟子にしました。この表現とほとんど同じ福音書はマタイによる福音書です。マルコをそのままコピーしたと思われます。
ルカになると少し様子が異なります。イエス様がガリラヤ湖のほとりにいると、群衆がその周りに押し寄せてきたのです。それで、近くにいたシモンの船に乗り、岸から少しはなれて、群衆に教えられ始めたのです。そして話が終わって、シモンに「沖に漕ぎ出して漁をしなさい」と言うと、シモンは「夜通し苦労したけれども何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう」と言って網を下ろすとおびただしい魚かかかりました。シモン・ペトロはイエス様の足元にひれ伏して、恐れました。するとイエス様は「恐れる事は無い。今から後、あなたは人間を取る漁師になる。」と言って、弟子に招いたのです。そこに一緒にいた、ヤコブとヨハネも驚いてそれを見ていたのです。
このように、共観福音書では、4人は漁師であり、ペトロとアンデレは漁をしていた、と言う点が共通ですが、ルカでは群集に対して、説教しているイエス様がいます。通りがかりだけではないのです。ところが、ヨハネによる福音書の弟子の召命の記事は共観福音書とは全く違うのです。
承
ヨハネ福音書では、イエス様の弟子の召命の記事は、ガリラヤ湖ではなく、まだ洗礼者ヨハネのところでなされているのです。この洗礼者ヨハネの記事は克明に時間を追って書かれています。第一日目は、ユダヤ人たちに遣わされた人たちに「あなたは、どなたですか」と質問されて答えた日です。第二日目は、イエス様を認めて、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。」と証した日です。そして第三日に最初の弟子の召命が行なわれるのです。1章35節から37節です。
ヨハ 1:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
ヨハ 1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
ヨハ 1:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
洗礼者ヨハネは、「私は荒野で叫ぶ声である、」と言い、「あなた方の中には、あなた方の知らない方がおられる。その人は私の後からこられる方で、私はその履物の紐を解く資格もない。」と言って、決して自分を第一人者とはしませんでした。そしてむしろ従うべきはこの後から来られる方であると言ったのです。その日3日目に、イエス様が歩いておられるのを見て、「見よ、神の子羊だ」と言いました。これは、イエス様のことを、私よりもずっと尊い方であり、あなた方の従うべき方であると、自分の弟子に対して言ったのです。前からそのことを聞かされていた二人の弟子は、その言葉を聞いてイエス様に従ったのです。すなわち弟子となったのです。これが最初の弟子の召命です。何と違う事でしょうか。イエス様はついて来る二人を見てこう言ったのです。38節と39節です。
ヨハ 1:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
ヨハ 1:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
転
イエス様は二人に対し「何を求めているのか」と問いました。これは何気ない問いですが、根源的な問いです。私達は何を行うにしろ、私達は、何を求めているかと問われているのです。この二人は何を求めたのでしょうか。犠牲となる神の子羊なのか、救世主としてユダヤを救うリーダーなのか、イエス様はこのとき二人の心を見抜いていたのでは無いでしょうか。イエス様の質問には答えず、二人はどこに泊まっておられるのですかとイエス様に訊ねると、「来なさい。そうすれば分かる。」と答えました。この受け答えは、何かすれ違っているような気がします。弟子たちはどこに泊まっているかと訊ねて、泊まる場所の事を分かるだろうと理解したのですが、イエス様の、何を求めているのかと言う問いには答えていないのです。ですから、イエス様は、「何を求めているのか、来なさい、そうすれば分かる。」と求めている事が分かるようになると答えたのではないかと思います。ここの聖書の箇所には一切議論はなくて、このように、来なさいとか、従いなさい、見なさい、のように行動する事によって理解する事が出来ることを指し示しています。私達は、いろいろ考える事よりも、このようにイエス様の指し示す事に反応して行動する事が大切なのでは無いでしょうか。
この最初にイエス様に従った二人は、もともと洗礼者ヨハネの弟子であり、その一人はシモン・ペトロの兄弟アンデレだったのです。そしてアンデレは、ペトロをイエス様のところに連れて行くのです。42節ではこう書かれています。
ヨハ 1:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
ペトロのもともとの名前はシモンであり、イエス様が名づけたのはケファであり、それをギリシャ語読みをするとペトロとなるのです。イエス様は、このペトロの中に、教会の基礎となる岩を見出したのだと思います。またペトロもそのような、堅実さを持った人だったのだと思います。では、もう一人の弟子は誰だったのでしょうか。それはここには書かれていません。それは、この記録者、使徒ヨハネであろうといわれています。ヨハネは自分の事はほとんどこの福音書には書いていないのですが、二人がイエスの下に泊まったのは午後4時ごろである、と言う風に、自分が経験していないとかけないようなことを書いているからです。たぶんヨハネも兄弟ヤコブをつれてきて、イエスの弟子となったのだと思います。このように、ヨハネ福音書の召命では漁師としてよりも、洗礼者ヨハネの弟子が、イエスの弟子になったと書かれているのです。しかも、四つの福音書記者の中で、このことを直接体験しているのは、使徒ヨハネしかいないので、ヨハネ福音書のほうが正しいのだと思います。ペトロがイエス様と出会ったのは4日目のことになります。
そして5日目に、イエス様はフィリポに出会って「私に従いなさい」と言われ弟子にしたのです。フィリポは「預言者たちも書いている方にであった。」といってイエス様がメシアである事をナタナエルに伝えました。ですが、ナタナエルは聖書の知識のある人でしたので、簡単にはそのことを信じませんでした。すると、フィリポは議論する事はせず、「来て、見なさい。」と行動する事を促したのです。私達が議論するのは、それが不確かだからです。私達が確かなものをもっているならば、イエス様のように、そしてフィリポのように、「来て、見なさい」そうすれば分かる、と言えるのです。ナタナエルはイエス様に出会って、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と証ししました。これが洗礼者ヨハネに次ぐ信仰告白になるのでは無いでしょうか。ナタナエルもまた、イエス様の弟子となったのです。
結
このように、イエス様は弟子たちを呼び集められました。それは共観福音書の弟子たちとの出会いとは大きく異なりますが、このことを直接経験した福音記者ヨハネのほうが正しく語っているのではないかと思います。ですが一方で、共観福音書の召命が意味する、何かが起こっていたのでは無いかとも思います。
イエス様が語った言葉は、「何を求めているのか。」「来なさい、そうすれば分かる。」といった事です。自分が求めている事をはっきりと言い表して、イエス様に従っていけば、分かるようになるのでは無いでしょうか。私達に必要なのは、イエス様の声を聴いて、それに従っていくことです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様は、弟子たちが何を求めているのかを知りながら、「何を求めているのか」と問い「来なさい、そうすれば分かる」とその答えが与えられる事を示しました。私達も、イエス様の弟子として、議論するのではなく、素直に従って行く事が出来ますように。そしてその答えを分かるようにさせていただけますように。また私達が、アンデレやフィリポのように、理屈や議論ではなく、人々をイエス様のところに連れて行き、それぞれが自分でイエス様を知る事が出来るように、道を備えるものとなりますように導いてください。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ヨハネによる福音書)>>
◆最初の弟子たち
ヨハ 1:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
ヨハ 1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
ヨハ 1:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
ヨハ 1:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
ヨハ 1:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
ヨハ 1:40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
ヨハ 1:41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
ヨハ 1:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
◆フィリポとナタナエル、弟子となる
ヨハ 1:43 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。
ヨハ 1:44 フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。
ヨハ 1:45 フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
ヨハ 1:46 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
ヨハ 1:47 イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」
ヨハ 1:48 ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。
ヨハ 1:49 ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
ヨハ 1:50 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」
ヨハ 1:51 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」