家庭礼拝 2013年4月3日 ローマ15章14-33 宣教者パウロの使命

  賛美歌326 地よ声たかく聖書朗読  祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り  賛美歌327 全ての民よ、喜べ

 

ローマ人への手紙も残る章はあと16章だけとなりました。今日の15章の後半からは、語るべきことを語り終えたパウロの手紙の後書きに相当する部分です。そこにはパウロが、今どういう気持ちで、何をしようとしているのかを、静かな落ち着いた気持ちで語っています。ローマの教会の人々には、かなり厳しく訴えた事もありました。そのような事も振り返りながら、今自分のなそうとしている使命について、淡々と語っているのです。そして、最後には「どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、」とローマの教会の人々に願っています。私はこの箇所を読むとき、アウシュビッツの強制収容所で九死に一生を得たユダヤ人心理学者VEフランクルが回想録の中でバチカンの法皇と面会する事が出来たとき、帰り際にこう言われたのを思い出します。

『法王が別れを告げ、私達が下がって出口に向かいかけたとき、彼は突然またドイツ語で話し始め、私を呼び止められた。そしてウィーンのユダヤ人精神科医である私に、こういわれたのだ。「どうか、私のために祈ってください。」それは全く感動的で、心を震撼させずにはおれない出来事であった。』

人類の魂の救済者とも言うべきパウロやバチカン法皇が、普通の人たちに謙遜な思いで心から、どうか私のために祈ってくださいと、その弱さを表し、祈りを願うその心に触れたとき、フランクルのように心を震撼させずにはおれない出来事となるのでは無いでしょうか。パウロは、これから行おうとする事を考えるとき、そういわざるを得なかったのです。

パウロは、ローマの教会の人々に、「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」と励ましたあと、パウロがどんな思いで、この働きをしているのかを語りました。17節から19節です。

ロマ 15:17 そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。

ロマ 15:18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、

ロマ 15:19 また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。

パウロの伝道の働きは大変なものでした。多くの困難や苦しみがあり、死の危険を冒してまで、キリストの福音を伝えることに努めてきました。それをパウロは「わたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。」と言っています。パウロにとって、何よりも素晴らしい事は神様の為に働く事だったのです。そしてそれを何よりその事を誇りに思っているのです。パウロはそれを行うにあたって、しるしや奇跡や神の力を用いていろいろな業をしてきました。ですがパウロは、決して私はこのようなことをしてきた、このような事も出来たと、自分の業績を語る事はしませんでした。パウロの思いは、「神様がこのような罪深い私を用いて、私の言葉と行いを用いてくださって、しるしや奇跡を行い、そして神様の力を用いて働いてくださった。」と言う事だけを言いたかったのです。パウロには自分がやったと言う事ではなく、神様が自分の中に入り込んで、自分を用いてその働きをしてくださった。自分はただ神様に動かされただけで、働いたのは神様です。と言う思いでいっぱいだったのです。

私達もまた、自分が何が出来るか、何が出来ないかではなくて、もし神様が私のうちで働いて下さったらどんなに素晴らしい事が出来るのだろうと、期待する事が出来るのでは無いでしょうか。今自分の持っている、乏しい能力、乏しい力であったとしても、神様がその能力や力を用いたならば、私達の想像を超えるような大きな働きが出来るのだと思うのです。ですから、私達は、自分でやろうとするのではなく、神様が私達の内に入り私達の力を用いて働いてくださるように、神様が好きなようにこの私を使ってくださるようにと願うならば、どんなに大きな働きをするようになるのかと思うのです。それをさせまいとしているのは、私達の頑なな考えであり、エゴです。神様に自分自身を開け放ったら、神様自身が働いてくださるのです。もちろんしるしも奇跡も行ってくださるのです。どうかそのようにしてくださいと神様に願って行きたいと思うのです。

パウロがこの手紙を書いているのはコリントです。そこから何度もパウロはローマに行きたいと思っていました。ですがいろいろな事情があって、行く事はで来ませんでした。ですが今はまず、エルサレムに行って、その後ローマに行き、イスパニアまで行きたいと望んでいました。まずエルサレムに行くのには大きな事情がありました。それは、パウロが異邦人伝道を開始するときにエルサレム教会を支援して行くことを、エルサレム教会の主だった人に約束をしていました。エルサレム教会の人々は迫害を受けていました。その人々には働いて収入を得る道もふさがれていたので、きわめて困窮していたのです。ですがパウロがその時エルサレムに向かうのには大きな危険がありました。生きて帰れない危険があったのです。ですからそのあと無事にローマに行ったりイスパニアで宣教したりと言う事は、まず生きて帰ってからの話だったのです。実際に、パウロはエルサレムでユダヤ人たちの迫害に会い、ローマ兵にとらえられ、ローマに行く事が出来たのは囚人としてローマ兵に警護されて行く事が出来るようになったのです。そしてイスパニアにはついに行く事が出来ませんでした。28節と29節にはこう書いてあります。

ロマ 15:28 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。

ロマ 15:29 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。

 これがパウロの願いであったのです。神様はパウロの願いを不思議な方法で叶えてくださいました。それは、エルサレムで殺されそうになったパウロがローマ兵に守られつつ、囚人としてローマに行き、そしてローマでは比較的緩やかな監視の中で、神様がパウロに、キリストの祝福をローマの教会の人々に持っていく事が出来るようにしてくださったからです。

私達は、パウロがその超人的な忍耐と勇気を持ってその信仰を歩みとおしたと思ってしまいます。パウロ個人の働きだと思ってしまいます。ですがそれはパウロ自身が言っているように、パウロが働いたのではなく、神様自身が、パウロを用いて働かれたのです。神様が人を用いて働かれるとき、何と素晴らしいしるしや奇跡をも行う事が出来るのかと思います。それは神様が私達を用いたときにも同じなのです。私達の能力は、神様から見れば、パウロもわたしたちも皆同じなのです。ただ神様が私達を用いてくださるかどうかなのです。そこにはどんな事にも嫌がらず、喜んで誇りに思って自分を神様に奉げる信仰が必要なのです。

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。どうか私達を用いてください。私達の言葉と行いを用いてください。私達には自分の力で出来る事はほんのわずかですが、あなたが用いてくださるのならば、神様の働きをする事が出来ます。どうかあなたの福音を私を通して語らせてください。私を通して実らせてください。私には実るべき何ものもありません。ただあなたの恵を通して良き実りを与えてください。神様、あなたは今日何をなさるのでしょうか。どうかその働きの中に私をも加えてください。あなたの霊を豊かに受ける事が出来ますように。あなたの御業がこの世に出現しますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

 

<<聖書の箇所(新約聖書:ローマの信徒への手紙)>>

◆宣教者パウロの使命

ロマ 15:14 兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。

ロマ 15:15 記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、

ロマ 15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。

ロマ 15:17 そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。

ロマ 15:18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、

ロマ 15:19 また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。

ロマ 15:20 このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。

ロマ 15:21 「彼のことを告げられていなかった人々が見、/聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。

◆ローマ訪問の計画

ロマ 15:22 こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。

ロマ 15:23 しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、

ロマ 15:24 イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。

ロマ 15:25 しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。

ロマ 15:26 マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。

ロマ 15:27 彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。

ロマ 15:28 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。

ロマ 15:29 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。

ロマ 15:30 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、

ロマ 15:31 わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、

ロマ 15:32 こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。

ロマ 15:33 平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。