家庭礼拝 2013年3月6日 ローマ12章1-21 キリストにおける新しい生活

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パウロの手紙には、教理的なことを教える箇所と具体的な倫理的なことを教える箇所とがはっきりと分かれています。この12章からは、具体的な信仰生活について語っているので、今までの教理的な話よりは分かりやすいと思います。特にこの12章ではクリスチャンはどんな生活をしたらよいのかと言う事に、適切に答えてくれる聖書の箇所です。ですから、毎日でもこの箇所を読んで、自分の生活を振り返る事も必要かもしれません。ですが、間違えてはいけないのは、この通り行なえば立派なクリスチャンになれるということではありません。むしろ、今まで語られた教理に基づく信仰をしっかり持てば、このような生活になるといったほうが良いかもしれません。大切なのは、正しい信仰を持つことです。そしてその結果として、このような行動として実を結ぶ事ですので、良い実がなっているかどうかをこの聖書の箇所から振り返って見たいと思います。

パウロは最初に1節でこう言いました。それは、正しい礼拝をしなさいということでした。

ロマ 12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生ける生贄として献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

私達は礼拝をどのように考えているでしょうか。神様の御前に出る事でしょうか、神様に感謝を捧げる事でしょうか、賛美を捧げる事でしょうか。献金をする事でしょうか。ここではパウロはそのような事ではなくて、自分の体を神に喜ばれる聖なる生ける生贄としてささげなさい、と言いました。自分の体をささげる事が礼拝なのです。ちょっと不思議なのですが、あなたの心をとか、あなたの思いをとかではなくて、あなたの体をといっているのです。ちょっとイメージしてみましょう。自分の体を生贄としてささげるときの、私はどうなっているのでしょうか、誰がささげているのでしょうか。自分の体をささげたあとに自分に残るものは何でしょうか。たぶん霊的なものが残されているのでは無いでしょうか。そして奉げたあとのこの体は自分のものでは無いので、神様のものとして扱わなければならないので、肉の欲によって生きることは出来ないのです。肉の欲に従いそうになったなら、私達はいつでもその体を神様にささげていることを思い出し、その誘惑から解放してもらうのです。ですから、この礼拝は会堂で行なうだけではなく、私達の生活の一コマ一コマで、聖なる生贄としてささげる礼拝であると言う事なのです。これが私達のなすべき礼拝だと言うのです。自分の体を奉げない礼拝は本当の礼拝ではないのです。私達は、奉げるものを間違ってはいけないのです。なすべき礼拝をするために、自分の体をささげる事が出来るようにと願うものです。

そして、自分の体を奉げたものは、この世の生き方とは違ったものになります。この世の生き方とは、自己中心的で、何とか自分の体を喜ばせようとする生き方です。本当の礼拝をするものは、その自分の体を奉げたものですから、もうこの世の生き方に倣う必要はないのです。そして、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる生き方をするのです。神の御心とは、何がよい事で、何が喜ばれ、何が完全な事かを知ることです。

3節でパウロは、自分を過大に評価してはなりません、と忠告しました。私達は自分を過大に評価して、自分は一人で生きていける、何でも出来ると思っているのです。パウロが教えようとしているのは、そのような事は妄想であり、私達は互いに小さな部分であり、お互いに補い合って生きているようなものであって、一人では生きていけないことを知りなさいと言う事なのです。そして一人ひとりは、それぞれに与えられた賜物を持っているので、それを生かして他の人のためになりなさいといいます。そうするとそれに反論して、私は賜物をもっていない、教える事も、予言する事も、奉仕する事も、施す事も、指導する事も出来ないと言う人がいるかもしれません。賜物とはそういうものだけでは無いと思うのです。私達が生かされていること自体が賜物であり、誰にも代えられない、かけがえないものをもっているのです。年老いたおばあちゃんが、何もする事が出来ず、寝たきりであったとしても、その存在する事だけで、何かを与え、何かを教え、何かを支えているのだと思うのです。どんなに何もないと思う人でも、その人はその人の両親のかけがえのない子供であり、愛する対象なのです。私達には、そのような、私達の気がつかない賜物をたくさんいただいて生かされているのです。ですからその賜物を大切にして、大きな全体の中の小さな部分としての働きをして行く事が大切だと、パウロは言っているのでは無いでしょうか。もっている賜物を大切にして、他の人々と共に、謙遜に働きかけて生きて行く事が大切なのでは無いでしょうか。

9節からは、キリスト教生活の模範について語られています。9節から16節までは、主に教会の内部の人との交わりにおける模範が語られ、17節から21節には主に、教会外の人々との交わりに際する模範が語られています。教会内の人々には、愛を持って生きていく事が強調されています。そして愛には偽りがあってはなりませんといいました。兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい、と言いました。そして、謙遜であり、仕えるものであり、祝福するものでありなさいと教えました。この信仰の仲間との交わりは、次の15節と16節に集約されます。それは、

ロマ 12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

ロマ 12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。

互いに共感し、思いを一つにして交わる事です。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く事です。これは、自分を特別なものとせずに、皆と一つのものとなっているかどうかを確かめることの出来る大切な試金石となります。互いに思いが一つとなる事が大切なのです。

パウロが教会外の人々に対する心構えとして言っているのは、だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい、と言う事です。外部の人との交わりには、多くの悪意に襲われる事が前提にあるようです。ですがそれでも悪を返さず善を行いなさいと教えています。どうしても仕返しをしたくなったら、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい、といっています。復讐は神様がしてくれるのだから、私達はただ善を行いなさいといっているのです。なかなかできる事ではありませんが、これがクリスチャンの生き方です。どんなひどい状況の中にあっても、神様が何とかしてくれる。神様が私達に悪いものをくれるはずは無いと信じて生きていくことの中に、クリスチャンの落ち着きと優美さが現れてくるのだと思います。

今日の聖書の箇所は、語っても語りつくせない大切な教えがたくさんあります。毎日この御言葉を読むことによって、私達の生活を振り返る事が出来るかもしれません。私は、毎朝行っている祈りの時間の中に、このテキストを読む時間を取り入れました。これからは、毎朝この聖書の箇所を読んで行きたいと思っています。私も、このようになりたいと思って、クリスチャンの歩みをはじめた事を忘れないように、日毎の糧としてこの箇所に聞いていきたいと思うのです。

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。あなたは私達に、どのように生活したらよいのかを具体的に教えてくださいました。これは誰にでも分かる教えです。後はそれを行うかどうかの問題です。私たち自身の信仰的な決断が問われます。私には分からない、私には出来ないといういいわけはもう通用しません。私たち自身がそれを行おうと決断することにだけかかっているからです。神様、どうかあなたが教えてくださった、このクリスチャンの生活を一つ一つ地道に拾い上げて、生活する事が出来ますように。目をそらさず、言い訳せず、何がよい事なのかをしっかりと心にとめて、御言葉に聞いていく事が出来ますように。

どうか、あなたの御心に適うクリスチャンとして、世の人々に喜ばれ、共に助け合って生きていく事が出来ますように。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きながら、歩ませてください。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:ローマの信徒への手紙)>>

◆キリストにおける新しい生活

ロマ 12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

ロマ 12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

ロマ 12:3 わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。

ロマ 12:4 というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、

ロマ 12:5 わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。

ロマ 12:6 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、

ロマ 12:7 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、

ロマ 12:8 勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

◆キリスト教的生活の規範

ロマ 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、

ロマ 12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。

ロマ 12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。

ロマ 12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

ロマ 12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。

ロマ 12:14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。

ロマ 12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

ロマ 12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。

ロマ 12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。

ロマ 12:18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。

ロマ 12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

ロマ 12:20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」

ロマ 12:21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。