家庭礼拝 2013年2月27日 ローマ11章25-36 イスラエルの再興
賛美歌297 栄えの主イエスの 聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌298 ああ主は誰がため
起
キリスト教は、宣教によって、その教えを世界中に広めました。そして、その中から多くの救われた人々が生まれました。一方、その母体となったユダヤ教には宣教と言うものはないのです。ユダヤ教徒は、神様がユダヤ人の救済のために与えられたものと言う考え方があるので、それはユダヤ人の中で、家の中で、先祖から子孫へと言う伝わり方をしているのです。ユダヤ教は、当時の世界では、一神教と言う先進的な信仰形態であり、その高い倫理性を崇めて、異邦人でも自ら進んでユダヤ教に入る人々もいました。そのためには割礼を受けて、ユダヤ人と同じ律法を守る事が必要でした。
同じ神様がしている事なのに、どうしてこのような大きな違いが出来てしまったのでしょうか。パウロはそのことをどのように解釈していたのでしょうか。それのまとめが、ここの聖書の箇所に書いてあるのです。ですが、パウロの言い回しはなかなか理解しにくいものがあります。ですから、その考え方を、理解しやすく翻訳してみるとこのようになります。
神様は、もともと全ての人を愛し、救済しようとしていました。ですが、人間はもともと神様に逆らうものだったのです。そこで、神様は、不思議な方法で、全世界を救済しようとしました。それは、神様を信じるものと敵対するものとを競わせて、最後には全世界を救済すると言う方法だったのです。
まず最初に神様は、ユダヤの民の一部の人救済しました。アブラハムがその信仰の父となりました。そしていつしか、モーセに率いられるようになって、ユダヤ民族全体が神様に愛され救われた民族としての自覚を持つようになりました。そのときは、異邦人はまだ神様に敵対する人々だったのです。その異邦人の敵対によって、ユダヤの信仰は高められていったのです。実は、神様は、ユダヤ人だけでなく、異邦人をも救おうとしました。ですが、ユダヤ人達は神様は自分たちと契約して、自分たちだけの神様になっているのだと言う思い込みがあったので、神様がユダヤ人を離れるのではなく、ユダヤ人が頑なになり、神様を離れ憎むようにしたのです。その対象がイエス様なのです。イエス様はユダヤ人に憎まれその教えと救いとが異邦人へと向かうようになる為の生贄となったのです。
その通りに、イエス様の教えは頑なになったユダヤ人たちには受け入れられず、敵として憎み十字架で殺してしまいました。その教えと救済は異邦人に向かわざるを得なかったのです。ですから、神様がユダヤ人を離れたのではなくユダヤ人が神様を異邦人へと向かわせたと言う事が、成り立ったのです。このようにして、ユダヤ人から異邦人への救済が始まったのです。ですが、ユダヤ人はまだ本当には救われていないのです。その律法によって苦しみあえいでいるのです。その残っているユダヤ人達をどのように救済するのか、をパウロは見ているのです。それは、異邦人に伝えられたイエス様の信仰が、人々に本当の救済を与えている事に、ユダヤ人達がねたましく思い、うらやましく思って、最後には、その同じ信仰に立つものとなって最後のユダヤ人達も救われると言う事なのです。このことによって、全世界の人々は皆、キリストの救済に預かる事が出来るという考え方でした。実に壮大な神様の計画です。人間にはとても及びもつかない、理解する事も出来ない神様の計画なのです。
承
今の説明を背景にして、今日の聖書の箇所をもう一度読んでみると、分かりやすいのでは無いでしょうか。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまででした。それは神様の計画の内にあったのです。
ここでの聖書の箇所のパウロの説明のキーワードとなっているものに、不従順、と言う言葉と、憐れみ、と言う言葉があります。特に30節から32節に集中的に書かれています。神様は、不従順なものを憐れまれる神様だったのです。まず最初に、不従順だったユダヤ人たちを憐れまれ、神様の賜物と招きとを与えられました。それを見ていた異邦人達は、頑なになり、不従順になったのですが、神様はそれをも憐れまれたのです。そして異邦人にイエス様を通して、憐れみを注がれました。すると、それを見ていた、ユダヤ人達はそれをねたましく思い、自分たちこそ本家であると頑なになって、不従順になったのです。神様は、その不従順になったユダヤ人をも憐れんでくださるはずだと、パウロは考えているのです。そして不従順は憐れみを呼んで、すべての人は神様の下にに救われるはずであると考えました。その30節から32節を読んでみましょう。こう書いてあります。
ロマ 11:30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。
ロマ 11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。
ロマ 11:32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。
転
ここにもう一つ、なぜ不従順でならなければならないのかという疑問があります。不従順にならなくても従順なままで救済してくれたらそれが一番よいのでは無いかと思います。ですが、そこにも神様の計画があるというのです。それは従順にして救われるのならば、その救われたのは従順にしていたおかげだと思い高ぶってしまう危険があったのです。ところが、不従順なものが救われたなら、そこには、人間が誇れる何ものも無くなるのです。ただ神様の恵みによって救われるだけである事を受け入れざるを得ないのです。そのようにして、不従順なものさえも憐れんでくださり救ってくださる神様の救済の計画が成立するのです。
パウロはそうは言っているけれども、なかなかその理屈は信じがたいと思われる方も多いのでは無いでしょうか。そうなのです、この神様の計画は深すぎて、人間には理解できないのです。信じがたいのです。ですからパウロも最後には、そのことを説得しようと言う思いから離れて、ただ神様の御業を崇め感嘆し、賛美する言葉で終えるしかなかったのです。33節から36節です。
ロマ 11:33 ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
ロマ 11:34 「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。
ロマ 11:35 だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」
ロマ 11:36 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
結
神様は、その深い憐れみと御業とによって、人類の救済を行ないました。私達に理解できる事はほんのわずかです。その理解も信仰的に理解されなければならないものです。そしてすべての事には意味があったと言う事です。異邦人の不信仰にも、ユダヤ人の不信仰にも意味があったのです。私達が不信仰を軽蔑したり、非難したりするのではなく、そこにも神様の計画があり、そこにも神様の憐れみが注がれている事を、見る必要があるのでは無いかと思うのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。あなたは私達を不従順なものとしましたが、その私達に憐れみを注いでくださり、救いのみ手を与えてくださいました。私達に何一つ良いものはないのです。ただあなたの恵によって、良しとされ、救われるものとなりました。すべての事に、あなたの救済の意味が隠されています。私達にはそれが分かりませんが、どうか謙遜にそのことに耳を傾ける事が出来ますように。何一つ良いもののない私達に注がれた、あなたの慈しみに感謝いたします。そして心から賛美いたします。どうかあなたの御国が来ますように。あなたの栄光が表されますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ローマの信徒への手紙)>>
◆イスラエルの再興
ロマ 11:25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、
ロマ 11:26 こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。
ロマ 11:27 これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、/彼らと結ぶわたしの契約である。」
ロマ 11:28 福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。
ロマ 11:29 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。
ロマ 11:30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。
ロマ 11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。
ロマ 11:32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。
ロマ 11:33 ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
ロマ 11:34 「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。
ロマ 11:35 だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」
ロマ 11:36 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。