家庭礼拝 2013年2月20日 ローマ11章11-24 異邦人の救い
賛美歌294 人よ、汝が罪の 聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌296 いのちのいのちよ
起
これまで、パウロは、ユダヤ人たちがどうして救われないのかを語ってきました。でも救われないほうがいいと思っていたわけではありません。それどころか、どんな犠牲を払ってでも、ユダヤの人々を救いたいと思っていたのです。パウロの救いは、律法の下にあるのではなく、キリストの恵の下にありました。ですがこのことはなかなかユダヤ人たちには理解してもらえませんでした。パウロはとても苦しみました。本当はユダヤ人達を救いたい、だがユダヤ人達はパウロの言う事を信じないで、むしろ迫害してしまうので、その恵が異邦人達の上に実現する事をもって、その信仰の真実を証明しようとしているのです。自分は神様から異邦人に遣わされて、その恵を伝えるものとなったのだ、といいながらも、そのことによって、ユダヤ人達が救われる事を願っているのです。
私達は、ユダヤ教とキリスト教は今ではもうすっかり別のものと考えてはいないでしょうか。キリスト教がユダヤ教になるはずはなく、ユダヤ教がキリスト教になるはずがないと思ってはいないでしょうか。ですが、パウロはここで、ユダヤ教もキリスト教も一つの根の上に立つものである事を強調しているのです。キリスト教は、ユダヤ教を超越した、優れた宗教であるとは思っていないのです。もしかすると違う宗教とも考えていないのかもしれません。ただ、神様の恵みを正しく受け取るのかどうかの違いだけだったのかもしれません。
今までは、パウロはユダヤ人たちに対して厳しく語ってきました。律法による救いを求めるのではなく、イエス・キリストの恵による救いを信じて、救われなさいといってきました。ですが、今日の箇所では異邦人達に向けて語っています。あまりにユダヤ人たちに、厳しく言って来たので、異邦人が傲慢になるのを恐れたのかもしれません。今度は異邦人達に対しても思いあがらないように、釘をさしているのです。
承
ユダヤ人達は律法に躓いてしまったのですが、それは一体どういうことなのかをパウロは説明しています。躓いてしまったと言うのは倒れてしまってもう立ち上がれなくなったのか。もう本当の信仰へとは戻れなくなったのかと言う疑問です。それに対してパウロは、決してそうでは無いといいます。ユダヤ人が、頑なで罪を犯したために、その福音は異邦人達に伝えられるようになったのですが、そこにも神様の計画があったのだと言うのです。その計画と言うのは、異邦人たちが、その信仰の恵を与えられて、救われ、栄えるのを見て、ユダヤ人たちがねたみを起こし、自分たちもそのようになりたいと思わせる為だったと言うのです。パウロはねたみを起こさせるという表現を使っていますが、どちらかというと、うらやましく思わせるという表現のほうがしっくり来るかもしれません。
ここに伝道の最も基本的な教えがあります。言葉で説教するよりも、生活の中で、その信仰による恵を表して行くほうが、大きな説得力があるのです。あなたもこうなりなさいと言われるよりも、私もあのようになりたいと思うほうが、ずっと大きな影響力を持つようになるのです。どうして、あの人はあのような良い業が出来るのだろう、どうしてあの人は、あの苦しみに耐えられるのだろう、どうしてあの人は、あのように喜んで奉仕が出来るのだろう。私もあの人のようになりたい。あの人が信じるものを私も信じてみたい。そのように感じられるように、私達が恵の生活をし、キリストの業をするならば、何も言葉を多く語らずとも、多くの人はそこに不思議を感じ、神様の力を信じるようになるのではないでしょうか。人間の力を超えたものを感じるのでは無いでしょうか。結局は、キリストと共に生きる、私達の生活そのものが一番大切なことでは無いでしょうか。
転
パウロがこのようにユダヤ人にねたみを起こさせるためだと言った後で、今度は異邦人に対して、こう言いました。17節と18節です。
ロマ 11:17 しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、
ロマ 11:18 折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
ここで言われている事は、神様によって栽培されて、大きな根を持つユダヤ人のオリーブの木に、異邦人である野生のオリーブの枝が接木されて、根から豊かな養分を受けるようになる、という事を言っています。これは接木の方法としては、間違っているのだそうです。普通は野生のオリーブに、よく実のなるオリーブの枝を接木すると、野生のオリーブに多くの実がつくようになるのだそうです。ですがここでは、そのことよりも、根は、ユダヤ教の根によって支えられ、養分を受けている事が強調されているのです。ここで異邦人に対して言っているのは、あなたがたは切り取られた枝に対して誇ってはならない、という事です。あなたたちは自分の分をわきまえなさい、という事です。あなたたちが根から豊かな養分をもらって、繁栄したとしても、それは自分の根によってではなく、それは接木されたところの根があなた方を支えている事をわきまえなさいという事です。パウロはこのように、異邦人にその福音が伝えられ、その恵と救いがもたらされたとしても、それはユダヤ教のおかげであり、そのことを忘れてはいけない事を言っているのです。ユダヤ人たちが折り取られ、自分たちが接木されたからといって思いあがってはならない、むしろ恐れなさいといいました。もし神様の慈しみにとどまらないならば、あなた方もまた切り取られるからだと厳しく言ったのです。神の慈しみにとどまるものは、慈しみを持って人にも施します。思いあがるものはそこにとどまらないものたちなのです。22節でパウロはこう言いました。
ロマ 11:22 だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。
私達は、神様の慈しみの内にとどまる事が大切なのです。
結
私達の信仰は、ユダヤ人の信仰の根の上に接木された信仰なのです。その土台はユダヤ人の信仰なのです。ですから、私達は今でも、新約聖書だけでなく、その土台となった旧約聖書も学んでいます。パウロの願いは、ユダヤ教とキリスト教が別々の道を行くのではなく、互いに影響しあって、最後には一つとなって一つの神様を信じ賛美する事なのです。その道は、こうしなければいけないという律法の道ではなく、神様の慈しみを信じる恵の道なのです。わたしたちは、このキリスト教を与えてくれた、ユダヤ教にも感謝し、ユダヤ人のためにもとりなしの祈りを捧げる必要があるのかもしれません。それがパウロが望んでいる事であり、神様が望んでいる事なのかもしれません。私達は、神様の根に接木され、生かされ、根から豊かな養分を与えられている事に感謝をささげたいと思うのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私達は、あなたの根の下に、ユダヤ教の幹の内に接木されて生かされているものです。自分達の力で生きているのではなく、慈しみをもって生かされているものです。そのことを覚えて感謝いたします。どうか、日々の恵の内に、あなたの恵を覚える事が出来ますように。そしてあなたが慈しみを持って生かしてくださるように、私達もまた、慈しみを持って人々と交わるものでありますように。決して思いあがることなく謙遜に歩ませてください。そして、私達の歩みの背後にあなたの姿を見出して、あのようになりたいと羨ましがられるほどの信仰生活を歩む事が出来ますように導いてください。そのことによって、多くの人々があなたの救いを受けるものでありますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ローマの信徒への手紙)>>
◆異邦人の救い
ロマ 11:11 では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。
ロマ 11:12 彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。
ロマ 11:13 では、あなたがた異邦人に言います。わたしは異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。
ロマ 11:14 何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。
ロマ 11:15 もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。
ロマ 11:16 麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。
ロマ 11:17 しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、
ロマ 11:18 折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
ロマ 11:19 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。
ロマ 11:20 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。
ロマ 11:21 神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。
ロマ 11:22 だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。
ロマ 11:23 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。
ロマ 11:24 もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。