家庭礼拝 2013年2月13日 ローマ11章1-10 イスラエルの残りの者

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 先週の、聖書の箇所では、主の名を呼び求めるものは誰でも救われるという御言葉を聞きました。そこでは、救われるための三つの方法を教えられました。それは口でイエスは主であると告白すること、心でイエスは復活したと信じること、そして主の名を呼び求める事の3つでした。これによって、ユダヤ人も異邦人も差別無くみな救われると教えられました。ですからもう難しい事は言わなくても、この三つを行い信じていけばいいのです。

 このようにみんなが救われると言っているのに、今日の聖書の箇所では、「では尋ねよう。神はご自分の民を退けられたのであろうか。」という質問から入っています。それは、10章の17節にこう書かれているからです。

ロマ 10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

ロマ 10:18 それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、/その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。

 ここでも、信仰は聞くことによって始まる、と言ったあと、「それでは尋ねよう、」と言う言葉を使って、彼等は聞いた事がなかったのだろうかと言いました。そして、次の19節でも「それでは尋ねよう」と言い、「イスラエルは分からなかったのだろうか」、と言いました。この質問の流れは、その救いについて、初めに「彼等は聞いた事が無かったのか」と言い、次に、「イスラエルは分からなかったのか。」と言い、そして、今日の箇所の、「神は御自分の民を退けられたのか。」と尋ねているのです。そしてその答えはこうだったのです。「彼等はその声が全地に響き渡り、その言葉が世界の果てにまで及ぶのを聞いた。」と言いい、全ての人が聞いた事を言ったのです。そして、「私は、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた。」と言って、分からないはずがないことを言いました。そしてそこまでやっても、主に従わない人々を、神様は退けられたのだろうかと言うのが、今日の質問の意味なのです。

パウロは1節で、神様はご自分の民、すなわちユダヤ人を退けられたのだろうか、と言った後、決してそうでは無いといいました。そして旧約聖書を根拠に語りだしました。ユダヤ人を説得するには、旧約聖書から語るのが一番力があったのです。パウロはエリアの例を上げました。エリアはユダヤ人たちから最も尊敬されている預言者の一人でした。エリアはユダヤ人とともにただ一人の神様を信じていましたが、異教の民はユダヤの預言者たちを殺し、祭壇を壊し、異教の神バアルに従うように命じたのです。これはユダヤ教の、絶体絶命の危機だったのです。神様は、どうしてユダヤ人たちを助けてくれないのだろう。神様はユダヤ人たちを退けられたのだろうかと、嘆いたのです。

このような状況は今の時代にも起こっています。日本では、わずか人口の1%に満たないクリスチャンの信仰者がどんどん減っており、教会に若い人たちは集まらず、みな年老いて、このままではどうなってしまうのだろう。もっと伝道しなくては、もっとがんばらなくては、教会を守らなくてはと言う考え方が強くなってきます。そんなに心配しなくても、と言うと、あなたにはこの信仰の危機が分からないのか、なぜもっと多くの人々を救おうとしないのか、と言う厳しい声が返ってきそうです。そして、どうしたら、若い人たちが教会に集まるのか、どうしたら子供達が信仰を継承できるようになるのかと、いろいろ修養会やら、懇談会でその対策を考え、それでもうまく行かなくて、首をうなだれるような状態です。ですが私自身は、そのことに関してあまり騒ぎたいとは思いません。なぜなら、信仰の歴史にはこのような浮き沈みがずっと伴ってきたし、それをもたらすのも神様の計画であり、人間がじたばたしてどうなるものでもないと思っているのです。もし私達ががんばらなければ教会が倒れるならば、そのような教会は倒れてもいいと神様が言っているのだと思うのです。私達に必要なのは、そのような危機的な状況の中にあっても、神様の計画を信じて、ただ自分の信仰の上にしっかりと立つ事であり、そのような状況に振り回されることなく、希望と信仰を持ち続けて、愛の業を行う事だと思うのです。

さて、ユダヤの危機的な状況の中で、エリアはその壊滅的な状況に苦しみつつ、神様にこう訴えました。3節です。

ロマ 11:3 「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」

エリアは、もう私しかいない、私だけが残りましたと神様に訴えたのです。そしてそのただ一人の私をさえ、彼等は私の命を狙っているのですと、涙ながらに訴えたのです。もう本当に何もかもがなくなってしまう、危機的な状況でした。ですが神様はエリアに答えました。4節です。

ロマ 11:4 しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。

エリアは、もう私しかいません。神様何とか助けてくださいと絶望的に懇願したのですが、神様の答えは意外なものでした。それは、「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と言うものでした。エリアは自分で最後の信仰者だと思ったにもかかわらず、神様は、まだ七千人もの信仰者を残しておいたのです。神様の計画は不思議です。人間には絶体絶命だと思われる事が、神様にはまったく問題にならないのです。ですから、現代の信仰の危機といわれる出来事に対しても、私は、神様のなさる事を安心してみていきたいと思うのです。それを受けて、パウロもまた、ユダヤ人は神様から退けられたのだろうかと言う、危機的な質問に対して、こう答えたのです。5節です。

ロマ 11:5 同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。

パウロもまた、エリヤのときと同じように、恵によって選ばれたものがユダヤ人の中に残っている、と信じていたのです。そして、それは恵によって選ばれたのだから、行いによるものではない、律法による行いによって選ばれたのでは無いといいました。ここで注意しなければならないのは、ユダヤ人が全て退けられたのではなく、恵によって選ばれた人々が残されたと言う事に対して、選ばれなかった人々もいるということです。それまでのユダヤ人の考え方は、民族的な考え方でした。ユダヤ人がまとめて救われるか、滅びるかと言った考え方でした。ですが、ここではパウロは、神様が、一まとめで救いを行うのではなく、一人ひとりを見て恵を与えていると言う事なのです。信仰は、人と神様との一対一の関係なのです。自分が神様にどう対しているかが問題なのです。選ばれなかったものはどうなっているのか、それが8節に書かれています。

ロマ 11:8 「神は、彼らに鈍い心、見えない目、/聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです

選ばれなかったものには、何も気づかされていないのです。そのままで幸せだと思っているのです。俗に言う、知らぬが仏となっているのです。彼等は、鈍い心、見えない目、聞こえない耳で、その恵を受け取る事が出来なくなっているのです。これは本当に恐ろしい事です。

神様は、恵みによって人々を救われました。自分の力で救いを得ようとしたものは救われず、神様に委ねたものは救われました。絶体絶命の危機の中にも、神様は七千人もの信仰者を恵の内に残されました。ユダヤ人なら救われる、クリスチャンなら救われる、教会に行っていれば救われる、と言うことではありませんでした。私達の信仰が義とされ、神様の恵みによって救いを与えられているのです。私達の信仰が義とされる為には、イエス・キリストの救いを信じる事なのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、今日もあなたの御言葉を与えられ感謝いたします。私達が、どのような状況の中にあっても絶望する必要は無く、あなたの計画の中にあって生かされていることを思います。それはあなたの恵であり、祝福です。どうかそれを喜びそれを賛美して、あなたを見上げて歩ませてください。

 世の中の絶望的な状況を思う事がありますが、その中にもあなたがとっておいた良き人々が居る事を信じて歩ませてください。あなたの御国が来ますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:ローマの信徒への手紙)>>

◆イスラエルの残りの者

ロマ 11:1 では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。

ロマ 11:2 神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。

ロマ 11:3 「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」

ロマ 11:4 しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。

ロマ 11:5 同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。

ロマ 11:6 もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。

ロマ 11:7 では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。

ロマ 11:8 「神は、彼らに鈍い心、見えない目、/聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです。

ロマ 11:9 ダビデもまた言っています。「彼らの食卓は、/自分たちの罠となり、網となるように。つまずきとなり、罰となるように。

ロマ 11:10 彼らの目はくらんで見えなくなるように。彼らの背をいつも曲げておいてください。」