家庭礼拝 2013年2月6日 ローマ10章5-21 万人の救い
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起
このローマ書では、なぜユダヤ人はいまだ救われず、異邦人のほうが先に救われている事の現実をパウロは一生懸命説明しています。なぜそうなるのかを、信仰義認の立場から、説明しています。そして、ユダヤ人も異邦人もみんな救われる為の方法を今日の聖書の箇所でも語っています。ですから、これは今の私達にとっても大切な事を教えてくれている箇所なのです。
長い間信仰していても、まだ、私には信仰が分からない、私はまだ救われていない、もっとがんばらなければと思っている人がたくさんいます。そしていろいろな本を読み、注解書を調べ、修養会に参加し、説教を一生懸命メモし何とか救いの道へと導かれる事を願っている人々がたくさんいるのです。私自身ももしかするとそうなのかもしれません。そしてそのような人々は、何時もどのようにすれば救われるのですか、と言う質問を携えて生きています。ですが、今日の聖書の箇所には三つの事、こうすれば救われると言う事が書いてあるのです。それを行えば救われると約束されているのに、それをそっちのけにして、「ところで、神様、どうすれば救われるのでしょうか」とまた祈り願っているのです。ですから、ここに書かれている3つの答えをしっかりと受け止め、そして、それ以外のことを捜し求めたりせずに、これだけなのですかと物足りなさそうな顔をしないで、この約束を信じて生きて行く者になりたいと思うのです。
承
ユダヤ人の信仰は、律法を守る事にありました。5節では
ロマ 10:5 モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。
掟を守る人、すなわち律法を守る人は、良くも悪くも律法に縛られて、そして、それに守られて生きているのです。ですが、人間には律法を行う力がありませんでした。ですから律法によっては義とされ得ないことをパウロは何度も言ってきたのです。ですが、信仰による義に関しては、それはそのような難しいものではない。なぜならばそれはあなたの近くにあって、誰でもが行う事のできるものであるからと言うのです。そして旧約聖書の申命記30章11節から14節を引用して、説明しています。今日の聖書の箇所のパウロの引用している言葉よりも、直接申命記を読んだ方が分かりやすい表現になっています。そこには、こう書いてあります。
申 30:11 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。
申 30:12 それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。
申 30:13 海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。
申 30:14 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
このように書いており、御言葉は、天にあるものでも海のかなたにあるものでもないから、自分たちには出来ないと言い訳する必要が無い。それは
あなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、誰でもいつでも行う事が出来るのだと説明しているのです。
そして、あなたの口と心と言う言葉に焦点を合わせて、こう言いました。9節です。
ロマ 10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
これが救われる方法のその一なのです。救われる為には、口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じる事なのです。キリスト教の、他の宗教と少し違うところは、この告白すると言う事を重んじていることです。単に自分で信じているだけでなく、公に言い表し、自分の信仰を明らかにする事が大切なのです。その信仰はイエスが主であると言う信仰です。主とは、自分が従うべき一番偉い方と言う事です。それを信じていると言う事です。世の中にどのような権力者や、偉い学者がいたとしても、主よりも偉い人はいない、その方がイエスなのだ、とその信仰を言い表す事が大切だと言っているのです。これは、口に出して言わなければならないことなのです。もう一つは心に関することです。それは、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じる事が大切なのです。イエス様は、死んでしまったのではなく、復活して今も生きておられるのだということを心に信じて生きていく事が大切なのです。これは口に出していったとしても、誰もが信じられることでは無いので、信じるものが心に信じていけばいいのです。この二つの事、すなわち、口で主であると告白し、心で復活されたと信じるものは救われるのです。このことを私達は行っているでしょうか。口で主であると告白するとは、今で言えば、私はクリスチャンですと公に明言する事です。このような明らかな態度で生きるものが救われるのです。難しい事ではないと言っているのです。
転
救われる方法の二つ目は、10節ですが、これは今言った事の繰り返しです。こう書いてあります。
ロマ 10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
そして次に、救われる方法の三つ目は、13節です。そこには
ロマ 10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
と書かれています。今の私達には、ごく当たり前のことを言っているように思われるのですが、これを聞いている当時のユダヤ人達にとっては由々しき事なのです。受け入れがたい事なのです。なぜならば、神様から特別の恩寵を受けているはずのユダヤ人と異邦人が同列におかれるはずは無く、同じように、誰でも救われると言うのは聞き捨てなら無い事なのです。ユダヤ人にとってはこれは受け入れがたい方法でした。ですが、異邦人にとっては、これこそ福音だったのです。異邦人は喜んでそれを信じ受け入れたので救われたのです。一方、自分たちは特別の恩寵の下にあると信じていたユダヤ人達はその救いから漏れたのです。
私達が救われる為には、何も難しい事は要らないのです。ただ信じて、主の名を呼び求めればいいのです。難しい知識も、訓練も必要ないのです。それが必要だったのはユダヤの律法主義者達なのです。私達はただ信じて主の名を呼び求めるとき、主の憐れみによって救いを得る事が出来るのです。これを信じるだけで良いとパウロは言っているのです。主の名を呼び求めるとは、主によって祈る事なのです。
結
ここに救われる為にしなければならないこととして言われている事は、3つのことでした。一つは口でイエスは主であると告白すること、二つ目は心で、主が復活して生きておられると信じること、三つ目は信じて主の名を呼び求め祈る事、この三つなのです。これを行うものは誰でも救われると約束されているのです。これ以外に何も必要ないのです。どうしたらいいのだろうかと捜し求めるよりも、この三つをしっかりと行う事が、救いへの一番の近道なのです。そしてこれこそが福音です。良き知らせなのです。何も難しい事は無い、あなたも救われるのだと言う知らせなのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、今日は救われる為の三つの事を教えられました。口で主と告白する事、心で復活を信じること、御名によって祈る事の三つです。このことをすれば皆救われるとの約束を信じて生きていく事が出来ますように。これだけでよいのだと言う事を信じて行く事が出来ますように。私達は何か難しい話にご利益があると思いそれを求めますが、その誘惑から開放されますように。私達の口と心とでできる事を行う事が出来ますように。
世界が何か不安定になっておりますが、神様どうかこの世を静め、落ち着かせてくださいますように。何か殺気立った思いに駆られていますが、どうか多くの人々が忍耐と平和を求めて行く事が出来ますように。私達が現実の生活の中で、ただあなたの栄光を現して生きていく事が出来ますように。あなたの子とされた誇りを抱いて謙遜に生きていく事が出来ますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ローマの信徒への手紙)>>
◆万人の救い
ロマ 10:5 モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。
ロマ 10:6 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。
ロマ 10:7 また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。
ロマ 10:8 では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、/あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
ロマ 10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ロマ 10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
ロマ 10:11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
ロマ 10:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
ロマ 10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
ロマ 10:14 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
ロマ 10:15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
ロマ 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。
ロマ 10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
ロマ 10:18 それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、/その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。
ロマ 10:19 それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、/「わたしは、わたしの民でない者のことで/あなたがたにねたみを起こさせ、/愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」と言っています。
ロマ 10:20 イザヤも大胆に、/「わたしは、/わたしを探さなかった者たちに見いだされ、/わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。
ロマ 10:21 しかし、イスラエルについては、「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。