家庭礼拝 2012年10月3日 ローマ1章18−32 人類の罪
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起
今日の聖書の箇所の小見出しは「人類の罪」となっており、ここの箇所を自分のこととして受け止める人にはとてもきつい箇所ですが、自分に関係のない世界だと思っている人には、どうでも良いことのように思うかもしれません。パウロは挨拶が終わったばかりなのに、こんな重い話をいきなり切り出しているように思います。なぜでしょうか、これは一般的な人間の罪を語っていると言うよりも、ローマの教会の人々に、この罪を語りかけているような気がします。前の箇所の16節で、「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人を初め、ギリシャ人にも、信じるものすべてに救いをもたらす神の力だからです。」と言っているのが、今日の箇所の伏線として語られているのだと思います。パウロは、ローマの教会では、福音を恥とする人が居り、してはならない罪を犯している人がいると考えていたようです。パウロはローマ教会の事は、余り知らないはずなのですが、どこからかそれを聞き知ったのでしょうか。ローマの教会がどうなっているかを、知った上で、このような話を切り出しているのでしょうか。
このローマの信徒への手紙は、パウロがコリントにいて、コリントで集めた献金を持ってエルサレムに上ろうとするころに書かれた手紙です。そのコリントにはローマのユダヤ人退去命令によって逃れてきた、アクラとその妻プリスキラがいました。彼はパウロと同じテント職人だったので一緒に住んで、仕事をしていたのです。そのアクラとプリスキラからローマの事情についてはいろいろ聞いていたのだと思います。そしてこの手紙を書くようになったのですが、パウロに対しては、いろいろな誤解や偏見がありました。それがパウロの伝道を妨げてきたので、この手紙には、そのような誤解や偏見に陥らないようにと、注意して、自分の立場や考えを慎重に述べています。パウロは、この手紙で福音と言う言葉を何度も使っています。この手紙全体では約60回も使っているそうです。パウロがローマに伝えたいのは、最終的にはその福音なのです。パウロが、私は福音を恥としない、と言ったとき、何に対してそう言おうとしたのでしょうか。それは、哲学ではないかと思います。その頃中心的な学問であったギリシャの哲学から見れば、福音は、ただ信じなさいとばかり言っているたわごとにも聞こえたのです。ですがパウロはその福音が、実際に信じるものすべてに救いをもたらしている、これこそが神の力だ。私はその力ある福音を恥とはしないと言っているのだと思います。
福音の力は信じる力です。そこで、パウロはその信じる力に対抗する信じない力を、まず最初に取り上げたのです。信じないことによって何が起こるのか、人間はどうなってしまうのかと言う事をパウロは具体的に描いて見せたのです。それはアクラとプリスキラから聞いたローマの事情を反映していたのかもしれません。
承
まず最初に18節でこう言いました。
ロマ 1:18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
パウロはここで、人間の不信心と不義が神の怒りを招くことを断言しています。これは脅しなのでしょうか。パウロの言う神の怒りとはどんなものなのでしょうか。旧約の教えならいざ知らず、新約でも神の怒りに怯えなくてはいけないのでしょうか。旧約の神は、律法を守らないものに対して、怒りを現されました。そしてそれを罰し、追放したのです。パウロの言う神の怒りはどんなものでしょうか、それについてパウロはだんだん語り始めました。注意しなければならないのは、旧約のように、律法を守らないことに対して、怒るのではなく、信じないことに対して怒る神があると言う事です。守るか守らないかではなく、信じるか信じないかなのです。このことはしっかり捉えておきたいと思います。
パウロは、不信心と不義とに対し神の怒りが現れる理由を次のように語りました。19,20節です。
ロマ 1:19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
ロマ 1:20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
私達の今の世界でも、神様はいるのかいないのか、神様は信じるに足るのか足りないのかと言う議論は多くあります。神様がいるのなら信じるのだけれども、と言う話もよく聞きます。それに対してパウロは、「神について知りうる事柄は、彼らにも明らかです」、と言っているのです。神様の事は難しいことでも何でもない、それは神様自身が既にそれを示されており、それはみんなにとっても明らかなことなのですと言っているのです。世界が作られたときから、神様の性質は、その神様の作られたものの中にあって、それを知ることが出来るのだから、誰も知らないなどとはいえないといっているのです。要するに、この神様が作られた世界、天も地も、山も川も、花も鳥も、虫も人間も皆神様が作られたものであり、そこに神様の思いも込められているのだから誰にでも分かると言っているのです。人間が作ったものから、その人間がどんな人かが分かるように、神様が創ったものから神様がどんな方なのかが分かるのだと言っているのです。それが分からないのは分かろうとしないからであり、受け入れようとしないからであり、素直な気持ちで見ないからだと言っているのです。この世界は、神様が創ったものであるということを知っているのに、それを認めようとせず、知らない振りをしていると言っているのです。なぜ認めようとせず、知らない振りをするのかと言えば、それは自分勝手にしたいからなのだと言っています。それは、21節から23節に表されています。
ロマ 1:21 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
ロマ 1:22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
ロマ 1:23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
パウロの大前提は、人間は神様を知っていると言う事です。知っているのに知らない振りをし、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなっているのだ、と言うのです。すなわち、物事を素直にありのままに見ようとしないで、自分の思いに振り回されて、むなしい思いにふけっているのだと言うのです。自分を知恵あるものと思ったり、神の栄光を偶像と取り替えたりして、自分の思いを遂げようとしているのだと言うのです。私達が物事をありのままに見ることが出来ないとき、いろいろな問題や破綻をもたらします。親を親とも思わないとき、子を子とも思わないとき、友人を友人とも思わないとき、親切を親切と思わないとき、恩を恩とも思わないとき、恵みを恵みとも思わないとき、偉大なことを偉大と思わないとき、美しいものを美しいと思わないとき、私達の人間関係は破綻をし、多くの災いをもたらします。多くの問題は、物事をありのままに受け取ろうとしないで、自分の思いのとおりにしようとする、むなしい思いにとらわれていることから起こります。そしてその罪の一番大きなものは、神様を神様とも思わないことなのです。
転
パウロは、「人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」と言いましたが、このような、神様を神様とも思わない人間に対して、神様はどのような怒りを現されるのでしょうか。パウロはこのように続けました。24節と25節です。
ロマ 1:24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
ロマ 1:25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
パウロは、「神様は、その人々を心の欲望のままにするに任せられたのです。不潔なことをし、互いにその体を辱めるにまかせ、偶像を作るにまかせ、それに仕えるにまかせたのです。」と言ったのです。これらの事は、具体的に言っているので、ローマで実際に行われていたのかもしれません。いろいろ話がこじれたとき、最後に、「お前のしたいようにすればいい」、とはよく聞く言葉です。これは好きにしてもいいけれども、その責任は自分でしっかり取るのだよ、と言う意味にもなります。許可が与えられると共に責任も与えられるのです。ですが、私達は本当には、責任の取れる人間なのでしょうか。神様の恵みの下にあって生かされている人間が、神様無しに責任を取れるはずもないのです。神様から、あなたのしたいようにすれば良い、と言われたとき、それは神様の恵みからも外れるのです。イエス様が、ユダに、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言われたとき、ユダは神様の恵みから漏れたのです。次の26節と27節は、24節と同じことをより具体的に言っています。何か重複しているような気もします。いずれにしても、心の欲望のままに、するに任せられた人々は、当然の報いを身に受けていると言っています。
パウロは、「神様を知っているはずなのに、認めようとしない人々」に対して、どのようになるのかを改めて述べています。28節です。
ロマ 1:28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
要するに、神様を認めない人たちは、無価値な思いや、してはならないことをするようになるというのです。それは具体的にどんなことかと言うと、パウロはそのリストを延々と述べ始めます。29節から31節です。
ロマ 1:29 あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
ロマ 1:30 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、
ロマ 1:31 無知、不誠実、無情、無慈悲です
ここにはいろいろな悪徳があげられています。ですがここにはいわゆる刑法上の罪については言われていません。殺人や盗みや、偽証、など、そのような法的に罰せられるものだけではなく、心のあり方として、悪であるものが多く含まれています。身近なものでは、むさぼり、ねたみ、陰口、侮り、高慢、大言壮語、親に逆らう、無知、不誠実、無情、無慈悲と続きます。このようなことをしたことのない人がいるでしょうか。神様を認めようとしない人々はこのような、してはならないことをしながら、それをなんとも思わなくなってしまうのです。その事こそが、神様の怒りの罰となっているのです。私達は大丈夫でしょうか。私達は、このことをとても軽んじて、なんでもないことのように罪を犯してしまうのです。それがどんなに大きな罪であり、いかに気がついていないのかをパウロは32節でこういっています。
ロマ 1:32 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。
パウロは、このようなことを行うものが死に価する、と言っています。私達は、法律を犯しているわけではないのだから、善良な市民のうちだろうと思っているけれども、このようなことを行うのは死に価している事にまだ気がつかないのです。いやむしろパウロは、このようなことを行うものは、その事が死に価するという神の定めを知っていると言っています。知っているのに、それを止めないのです。これもまた、知っているのに知らない振りをしているのです。人間が死ぬものであることを知っているのに、知らない振りをして生活しているのと同じなのです。そして、自分がそれを行うだけではなく、他人がそれを行う事も、人間だからしょうがないと是認しているのです。
結
私達は、この世の一つ一つが、神様が作られたもので、私達に恵みとして与えられたものである事を、知っていながら、知らない振りをし続ければ、いつの間にか、大きな罪を犯すものとなり、死に到る罪を犯してしまいます。私達の信仰の始まりは、この世のすべての事に、創造主なる神の、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性が被造物に現れていることを、素直に受け止め、すべてを神様のものとして、大切にし、愛し合っていくことが大切なのではないでしょうか。私達の心に起こる、悪い思いは、そのことを忘れて、自分のことに夢中になるときに、分裂と、敵対と、利己心のとりこになってしまうのではないでしょうか。パウロは、その事を、私達は既に明らかに知っていると言っています。知らない振りをしているだけだといっています。私達のエゴがそれを覆い隠してしまって、知らない振りをしているだけだと言うのです。私達は、もう一度心を静め、素直な心で、ありのままの姿を受け取ることを始める必要があるのではないでしょうか。私は、パウロの言っている、私達がこのことを既に明らかに知っていて、知らない振りをしているだけであるということを、信じています。その事を根拠に、もう一度この世界を静かに眺めてみたいと思っています。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。あなたが創造されたこの世界に、どうかあなたの性質、あなたの力、あなたの神性を見ることが出来ますように。自分勝手な思いで、覆い隠すことがありませんように。正しいものは信仰によって生きる、とあるように、自分の思いではなく信仰によって生きることが出来ますように。あなたに見放され、するに任せられているのに気がつかず、返ってそれを喜んで死に値することを行うようなむなしい者になりませんように。どこにあってもあなたの神性を感じ取ることが出来ますように。
人間の魂に信仰が与えられますように、一人ひとりのうえに平安がありますように。あなたの喜ばれることをして、互いに励ましあうことができますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:ローマの信徒への手紙)>>
◆人類の罪
ロマ 1:18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
ロマ 1:19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
ロマ 1:20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
ロマ 1:21 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
ロマ 1:22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
ロマ 1:23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
ロマ 1:24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
ロマ 1:25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
ロマ 1:26 それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、
ロマ 1:27 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
ロマ 1:28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
ロマ 1:29 あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
ロマ 1:30 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、
ロマ 1:31 無知、不誠実、無情、無慈悲です。
ロマ 1:32 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。