家庭礼拝 2012年9月12日 マルコ16章1−20 復活する

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今日で、マルコ福音書は最終回です。もともとのマルコ福音書は16章の8節までで、その後は後世に付け加えられたものです。ですが、8節で終わるのは、あまりに唐突な感じなので、マルコが途中で、死亡してしまったのではないかとか、この後の部分が失われたのではないかとか、削除されたのではないかと言われています。そして、8節以降に書かれていることで大切な事は、教会と信じるものたちに託されている使命についてです。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と言う宣教命令が、イエス様から託されました。これが初代キリスト教会にとってはとても大切な使命だと考えられていたのです。

各福音書の最後には、イエス様の遺言とも言うべき、5大宣教命令と言うものがあります。4つの福音書と使徒言行録にイエス様の言葉として書かれているのです。そしてマルコにだけそこの部分が欠落しているので、後世の人がそれを補ったと言えるかもしれません。

この5つの大宣教命令をまとめて振り返ってみるとこのようになります。

(マタイ28章19・20)

だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

(マルコ16章15)

それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。

(ルカ24章45〜48)

そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。

(ヨハネ20章21)

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」

(使徒1章8)

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

これらの中で分かりにくいのはルカの宣教命令です。私も聖書を探していて、ルカにだけその宣教命令が見つからないと思ったのですが、良く調べると、それは聖書のほかの箇所の引用として語られているのです。それは、「あなたがたは、あらゆる国の人々に述べ伝えられると聖書に書かれている事の証人となる、と言う表現になっています。

明らかに宣教命令として書かれているのは、マタイとマルコとヨハネです。ルカと使徒ではあなたがたはその証人となるという表現になっています。この証人と言う意味は、目撃者と言うだけでなく、証し人となって述べ伝えると言う意味になります。ですから私達もまた、証し人となって述べ伝える事ができるのです。

いずれにしても、イエス様が最後に私達に命じられたのは、「あなたがたは救いの証人となって、福音を述べ伝えなさい。」と言う事なのです。私達の信仰のゴールは自分が救われる事ではなくて、救われた事を述べ伝える事なのです。それを、これらの4つの福音書と使徒言行録は伝えているのです。少しでもこのゴールに近づく事ができるようにと祈ります。

さて、聖書に戻りますと、1節に「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。」と書かれています。アリマタヤのヨセフがピラトに願い出てイエスの体を下げ渡されましたが、もう夕暮れ近くの6時近くまでなっていたのです。6時を過ぎれば安息日になるので、何もすることができません。それであわてて急いで、墓の中に入れることだけをしたのです。墓に入れる前に、普通行う香油を塗ることも出来なかったのです。それで安息日が終わると、すなわち翌日の朝の6時になるとマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメがイエス様の体に塗る香油を買いに行ったのです。そして朝早く日が出るとすぐに墓に行ったのです。彼女達はとにかくすぐに墓に行きたかったのですが、そこには問題があることも分かっていました。墓には入り口に大きな石が扉としてふさいでいたのです。それで道すがら、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていたのです。自分達にはその石を転がす事はできないが、とにかく行ってみれば何とかなるのではないかという気持ちで行ったのです。「ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。」と4節には書かれています。不思議なことが起こっていたのです。このことから、私達は、自分達には動かす事のできない大きな石が邪魔をしていると思うときでさえ、自分達には動かす事はできないが、きっと主が備えてくださると信じて、一歩を踏み出せば、その大きな石が、既に脇へ転がしてあるのを見ることが出来るのではないでしょうか。その不思議な御業を見ることが出来るのではないでしょうか。マタイでは、このことを次ような表現で表しています。「マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると大きな地震が起こった。主の天子が天からくだって近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。」と、このときの事情を説明しています。

三人の婦人は、開いていた入り口から中に入りました。するとそこには、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚きました。そして若者は言ったのです。6節と7節です

マコ 16:6 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。

マコ 16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

 ここに、イエス様が復活された事が宣言されたのです。このときは日曜日の朝早いときでした。そしてこのときから、日曜日が聖日となったのです。もうそこは墓ではなく、「お納めした場所」となりました。そして、その若者はこの事を弟子達とペトロに告げなさい。と言ったのです。この3人の女性は使徒達にイエス様の復活を伝える使徒となったのです。そしてこの若者は、弟子達にと言わずに、弟子達とペトロにと言いました。ペトロを特別選んで言ったのです。ペトロは、イエス様を知らないと言った罪に苛まれていたのです。イエス様はそれを知っていて、特にペトロに伝えなさいと若者に伝えておいたのです。その伝言とは、『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言う事でした。イエス様はすでに復活して、ガリラヤに先に行っていて、そこに行けばお目にかかれるといったのです。婦人たちにはその言葉を聞いて喜ぶ余裕はとてもありませんでした。8節に「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」と書いてあります。婦人たちは結局恐ろしくて誰にも言わなかったのです。マタイでは同じような事が書かれていますが、「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子達に知らせる為に走っていった。」となっており、喜ぶ姿が語られています。

 マルコによる福音書の原文は、ここで終わっているのです。その後一体誰が弟子達にイエス様の復活を伝えたのでしょうか。マルコ福音書にはそれが必要だったのです。そして後で書き加えられました。それは教会が信じる信仰でした。9節には

「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。」と書かれています。イエス様が復活して現れたのは、マグダラのマリアにでした。弟子達にではなかったのです。どうして、まずマグダラのマリアに現れたのでしょうか。このマグダラのマリアに関しては、何も詳しい事は述べられておらず、突然ここに出てきます。一説によると、最後の晩餐のときにイエスに寄りかかっていた愛する弟子とはこのマグダラのマリアではないのかと言う話もあります。マグダラのマリアに関して分かるのは以前イエス様に7つの悪霊を追い出していただいた婦人であるということだけです。ですがイエス様は、まずこのマリアに姿を現し、マリアは、イエス様と一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせたのです。マグダラのマリアはイエス様の復活の第一発見者であり、第一通報者なのです。マグダラのマリアが単独の発見者である事を言い表しているのはマルコとヨハネ福音書です。マタイとルカは複数ですが、マグダラのマリアだけが明確に共通にその一人である事が書かれています。ですから、マグダラのマリアが最初に復活のイエス様に会われたのは間違いないことなのではないでしょうか。それで、カトリックではマグダラのマリアを聖人としています。マリアはイエス様が現れた事を、悲しんでいる人々のところにすぐに戻って、このことを伝えました。しかし彼らは、イエス様が生きておられること、そしてマリアがそのイエス様を見たことを聞いても、信じなかったのです。ところがその後二人の弟子達にも現れました。12節と13節です。

マコ 16:12 その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。

マコ 16:13 この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。

これはルカ福音書に書かれているエマオの途上で現れたイエス様のときとそっくりです。

そしてその後、11人の弟子が食事をしているときに、イエス様はその弟子達の前に直接現れたのです。

そして「その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。」と書かれていますが、これはかなり厳しい調子の言い方だったようです。それは、聞いても信じないその時代の教会員に対しても言われている事と受け止められています。そしてマルコでは、ここで初めて復活のイエス様が御言葉を述べます。その御言葉が大宣教命令なのです。15節から18節です。

マコ 16:15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。

マコ 16:16 信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。

マ 16:17 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。

マコ 16:18 手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

イエス様はこのことを伝える為に弟子達に現れたのです。「福音を述べ伝えなさい。私の名によって奇跡を行いなさい。癒しを行いなさい。」と伝えたのです。5大宣教命令と言われるように、福音書はすべてこの言葉にくくられているのです。そしてそれが、当時の教会にとって最大の使命と考えられていたのです。イエス様は信じるものに約束されました。それは、信じて洗礼を受けるものは救われる。信じるものはイエス様の名によって悪霊を追い出すことが出来る。信じるものは新しい言葉を語る。信じるものは危険にあっても守られる。信じるものは病人に手を置けば癒す事ができる、と言う約束でした。私達はこれらの約束を、イエス様から与えられたものとして、信じることが出来るのです。

イエス様はこの宣教命令を下した後、天に上げられたのです。19節と20節です。

マコ 16:19 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。

マコ 16:20 一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕

 イエス様は天に上げられて、神様の右の座に着かれました。弟子達は力を受けていたるところで宣教しました。もう隠れているような臆病な弟子達ではなかったのです。イエス様が弟子達と共に働いてくださったのです。そして彼等の語る言葉が真実である事を、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになったと書かれています。当時の宣教には、真実である事を表す、印が伴っていました。それは復活のイエス様が共に働いてくださっている印からだったのです。そして弟子達は力を受けて、世界中にこの福音を述べ伝えたのです。

 

 イエス様は蘇りました。多くの人々の前に現れました。そしてその復活のイエス様が人々に伝えたのは大宣教命令でした。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えなさい。」と言う言葉でした。キリスト教はユダヤ教から出ましたが、ユダヤ教は世界宗教とはなりませんでした。民族宗教のままでした。そして宣教活動もしなかったのです。その信仰は家族の間で伝えられ続けました。その事に関心を持った異民族もいましたが、条件を満たさなければユダヤ教徒とは認められませんでした。ですがイエス様の教えは、その民族宗教の枠を超えて、すべての人のための宗教となりました。そのために、異邦人に対しても等しく宣べ伝える事を行ったのです。私達もまたその仲間に入る事が出来、等しくイエス様を主と仰ぐ事ができたのです。

 イエス様がなぜ復活なさったのか。それは復活が真実である事、永遠の命があることを示す為でした。そして、全世界にこの福音を述べ伝えなさいと言う為でした。ですから救われたものは、そこに留まることなく世界に開かれたものとして、歩んでいったのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。イエス様は復活し、その姿を多くのもの達の前に現しました。ですが、このことは信じがたいことであり、当時の弟子達もすぐには信じることが出来ませんでした。ですが、その証人達の宣教によって多くのものが信じるようになったのです。人々が信じるようになったのは、言葉によってではありません。その証人達の信じる信仰の熱意が信じさせて行ったのです。信仰を伝えるのはその魂の炎です。

神様、私達もこのことを頭で信じるのではなく、魂と霊とによって信じていくことが出来ますように。そしてその信じる信仰が、他の人々にも飛び火して、伝えられていくものでありますように。すべてを行うのはイエス様です。主が共に働いてくださいます。どうかこのことを信じて信仰の歩みを歩みとおす事ができますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:マルコによる福音書)>>

◆復活する

マコ 16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。

マコ 16:2 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。

マコ 16:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。

マコ 16:4 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。

マコ 16:5 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。

マコ 16:6 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。

マコ 16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

マコ 16:8 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

■結び 一

◆マグダラのマリアに現れる

マコ 16:9 〔イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。

マコ 16:10 マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。

マコ 16:11 しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。

◆二人の弟子に現れる

マコ 16:12 その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。

マコ 16:13 この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。

◆弟子たちを派遣する

マコ 16:14 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。

マコ 16:15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。

マコ 16:16 信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。

マコ 16:17 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。

マコ 16:18 手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

◆天に上げられる

マコ 16:19 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。

マコ 16:20 一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕

■結び 二

〔婦人たちは、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。〕