家庭礼拝 2012年8月22日 マルコ14章43−72 裁判を受ける

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3週間の夏休みの後の久しぶりの学びですが、場面はゲッセマネでのイエス様の逮捕の場面から始まります。このときイエス様は、ゲッセマネで祈っていました。そしてひどく恐れもだえていました。「私は死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」と弟子達に言って祈っていたのですが、弟子達は、その緊張と疲れから、すぐに睡魔に陥ってしまったのでした。そして、イエス様が祈りから3度目に戻ってきたときに、「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪びとたちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切るものがきた。」と話されていたのです。その話が終わらない内に、イエス様を裏切ったユダが近づいてきたのです。そこには、祭司長、律法学者、長老達の遣わした群集も剣や棒を持って一緒に来たと書かれています。つまりこれはサンヒドリンの正式な決定として遣わされた者達がやって来たと言う事です。彼等はイエス様を捕らえに来たのですが、夜は暗く、たいまつの火だけでは、誰が誰なのかがわからなかったのです。ですから、ユダが「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていたのです。長く一緒にいたユダならば、影のようにしか見えない人々の中にでもイエス様を見分ける事ができたのです。この接吻と言うのは単なる挨拶の接吻と言うよりは愛するもの達がする濃厚な接吻だったようです。その接吻をしている間に捕まえろ、と言う事なのです。弟子達も、最初はユダが平和の挨拶をしにきたのだろうと思い、警戒しなかったのかもしれません。ユダはやって来るとすぐに、イエス様に近寄り、「先生」と言って接吻しました。すると、一緒に来た人々は、イエス様に手をかけて捕らえたのです。そこで初めて弟子達が、来たもの達が何者であるかがはっきり分かり、居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした、と書かれています。ここでは居合わせた人々の内のあるものが、と書かれています。ここには12人の弟子達がいたわけではありません。このゲッセマネの祈りについてきたのはペトロ、ヤコブ、ヨハネだけなのです。そして、剣を抜いて、大祭司の手下に撃ってかかったのは、ヨハネによる福音書ではペトロであると書かれています。でも騒ぎに気がついて、何人かの弟子達が駆けつけたかもしれません。でも全員ではなかったのです。

イエス様は、捕らえに来た人々に、「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」と言いました。イエス様は、境内で教えているときも、ゲッセマネで捕らえられるときも、決して逃げようとはしなかったのです。逃げようと思えば逃げられるのですが、聖書の言葉が実現する為にそれに従ったのです。その聖書の言葉とはどの言葉でしょうか、それは定かではありません。イザヤ書53章の苦難の僕にある、3節であるとか、12節ではないかと言われています。そこには見捨てられ、罪びとの一人に数えられる事が書かれています。そしてそのように、弟子たちは皆イエス様を捨てて逃げていってしまいました。あれほど、「例え、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたの事を知らないなどとは決して申しません」と言ったペトロや同じように言った他の弟子達も皆恐れをなして逃げていってしまったのです。人間は、いくら心にそうしようと思っても、すぐに恐怖や誘惑に惑わされてしまう弱いものです。ですから人間に絶対にと言う事は出来ないのです。それが人間の弱さです。ですがイエス様は、決してそこから逃げる事はありませんでした。

 

この章の51節と52節にちょっと変わった記述があります。これはマルコにしか書かれていない記述です。そこには

マコ 14:51 一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、

マコ 14:52 亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。

このような短い記述が挿入されているのです。わたしは以前は、これはイエス様が捕らえられて連れて行かれるときに12弟子のヨハネが後をつけていったのかと思っていましたが、どうもそのようではないようです。このイエス様の後をついてきた若者は、マルコと呼ばれるヨハネ、すなわちこのマルコ福音書の記述をしたマルコのようです。そして一人の若者と記されていますが、これはまだ子供のマルコでイエス様が自分の家から出てゲッセマネに行くのをずっと隠れてついて来ていた様なのです。実は、最後の晩餐を行った家はマルコの家なのです。そして2階の部屋とはマルコの母の部屋ではないかと言われています。マルコはまだ子供だったので、この最後の晩餐にも一緒にいたのかもしれないし、もう裸で寝ていたところ、イエス様たちが突然ぞろぞろと出て行ったので、裸の上に亜麻布をかけて隠れてついていったのではないかと思われます。そしてゲッセマネでの出来事を、どこかの陰からじっと見つめていたのです。そこにイエスを捕らえに来たユダとサンビドリンの人々が現れたのです。これらの記述は、マルコがその目でしっかり見たことを書いたのです。ですから、マルコによる福音書だけに、この若者のことが書かれており、この目撃者はマルコである事を言いたかったのだと思います。このマルコもまたついに見つけられ、捕らえられようとしましたが、亜麻布を捨てて、裸で逃げたのです。亜麻布は高価な布なので、貧しいものが持っているようなものではないのですが、目立つのと逃げるのに邪魔なので捨てたのです。

 

ついにイエス様は大祭司のところに連れてこられました。そこには祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来ました。いわゆるサンヒドリンのメンバー達です。ペトロはいったんは逃げましたが、遠く離れてイエス様の後をついて行き、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていました。いくら暗がりの中だとは言え、ペトロも勇気を振り絞って、大胆に大祭司の屋敷の中まで入って行ったのです。

祭司長たちと最高法院すなわちサンヒドリンの全員は、死刑にするためイエス様にとって不利な証言を求めましたが、得られませんでした。最高法院は軽微な犯罪は裁く事ができましたが、死刑にする事はで来ませんでした。死刑の判決をすることができるのはローマの裁判だけなのです。ですが最高法院はそこでの取調べによって、死刑に相当するとの証拠を集めて、ローマの裁判にかけることが出来るのです。ですから、最高法院はイエス様を死刑にするための不利な証言を求めたのです。ところが、多くの者がイエス様に不利な偽証をしましたが、その証言は食い違っていました。 マタイによる福音書によれば最後の証人として、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をしました。 「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました。」と言いました。 しかし、この場合も、彼らの証言は食い違ったのです。もう、語る証人もいなくなり、思うような証拠を手にすることができないので祭司長たちはあせってきました。そしてついに祭司長は自ら立ち上がり、真ん中に進み出て、イエス様に言いました。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」いかにもイエス様に味方しているような言い方ですが、そんなはずはありません。何とかイエス様に話させて、その言質を取ろうとしているのです。 しかし、イエス様は黙り続け何もお答えになりませんでした。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言いました。これが、大祭司長達が一番気に触っている事だったのです。それを気の短くなった大祭司は直接尋ねたのです。イエス様は言われました。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」 すると、大祭司は、衣を引き裂きながら言いました。「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にすべきだと決議したのです。大祭司たちは、まるで鬼の首でも取ったように喜びました。これこそが聴きたかった証拠の言葉だと言わんばかりなのです。もうこれ以上の証人は必要がないと考えたのです。そしてイエス様を死刑にすべきだと決議したのです。ですが、イエス様はここで本当はなんと答えたのでしょうか。

マルコによる福音書では、イエス様は「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」 と答えています。

ですが、マタイによる福音書 / 26章 64節では、イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」と言っています。マルコではそうですと自分から言い切っていますが、マタイでは、それはあなたが言ったことですと言っています。自分からは言っていないのです。ルカになるとさらに状況が変わってきます。

ルカ22章67-71では「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。イエスは言われた。「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」そこで皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。」人々は、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と言った。

こちらでも、イエス様は神の子であるとは言い切っていないのです。ですが祭司長たちはそれを本人の口から聞いたと言っています。

ヨハネによる福音書では、この大祭司とのこのような問答の記載はなく、また最高法院のメンバーも招集されていないのです。いずれにしても、祭司長たちは、イエス様が自分のことをメシアだと言った、と言う事にしたかったのです。人が狂気に陥ると、何の根拠もない事が、神の御前に明白な真実あると主張されるようになるのです。恐ろしい事です。そしてイエス様を死刑にすべきだと決議した後は、ある者はイエス様に唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めたのです。また、下役たちは、イエス様を平手で打って侮辱しました。

このときペトロは大祭司の中庭にいました。ヨハネによる福音書によればイエス様の後についていったのはペトロでだけではなく、もう一人の弟子と一緒でした。そしてこの弟子が、大祭司と知り合いだったので、イエス様と一緒に大祭司の屋敷の中庭に入り、門番の女に話をして、中にペトロを入れたのです。このもう一人の弟子とは愛弟子と呼ばれ、特にイエス様に愛された弟子で、使徒のヨハネではないかといわれている人です。中庭に入ったペトロは寒かったので、火に当たっていました。するとそこに女中が来て、ペトロをじっと見つめて言いました。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言いました。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いたのです。ペトロは怖くなったので逃げようとしたのかもしれません。ですが、女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだしました。 ペトロは、再び打ち消しました。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言いました。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」すっかり形勢が悪くなりました。周りのものがどんどんペトロを疑いだしたのです。すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めました。ペトロは恐怖のあまり、何とかそこから逃れようと、のろいの言葉を口にしたり、イエス様の事は知らないと誓ったりしたのです。あれほど死んでも、知らないなどとはいいませんといったペトロでさえもこのようになってしまうのです。するとすぐ、鶏が再び鳴いたのです。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした、と書かれています。ルカによる福音書では、このとき、主は振り向いてペトロを見つめられたと書かれています。イエス様は、ペトロがイエス様のことを知らないと誓ったとき、その声の届くところ、目の見えるところにいたのかもしれません。そのまなざしを受け、イエス様が言った予告の言葉を思い出して、自分の弱さに打ちのめされたのです。ですがペトロはこの事をマルコによる福音書に載せました。マルコによる福音書は、ペトロの言葉を基に書かれているのです。マルコはペトロと非常に身近な関係にあり、ペトロの通訳者でもあったので、ペトロがこの話を多くの人々に語っているのを聞いていたのだと思います。そして、ペトロは、このような私でさえも主は愛してくださって、許してくださり、救ってくださったとイエス様の愛を、証し続けたのだと思います。マルコはその事を聖書に正直に記載したのです。

 

 イエス様は予告されたように、裏切られ、捕らえられ、侮辱されました。弟子達も逃げ去りました。ペトロは3度イエス様を知らないと言いました。何もかもがイエス様が予告されたとおりになりました。イエス様はこうなる事が分かっていても、ゲッセマネで苦しみもだえて祈ったのです。ですがその後は苦しみの中にあってもすべてを受け入れて、静かに時を待っているようでした。ところが周りの人間たちは、弟子達も含めて、何とか自分の思い通りにしようという魂胆でいっぱいなのです。そこに、あせりや怒りや、失望や悲しみが生まれてきます。対象的なのはイエス様の静けさではないでしょうか。本当に神様に信頼する人は、決して自分の思い通りにしようとは考えないのではないでしょうか。すべての事が神様の計画のうちにあることを受け入れて、すべてを良しとして従って行くのではないでしょうか。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。3週間の休みのあとで、またこのように家庭集会を再開できます事を感謝いたします。私達には人間的な思いでああしたい、こうしたいと言う思いに捉われて、うまく行かなければあせり、怒り、恐れます。そして、失望し、悲しみに捉われ、不安におののきます。ですがあなたはすべての事において、私達にその道を示してくださり、受け入れるようにと導いてくださっています。あなたのなさる事はすべて時にかなって美しいのです。神様、どうか自分の思いに振り回されることなく、ただあなたのご計画を見つめあなたに委ねて歩ませてください。その静かな平安の内に歩ませてください。

多くの人々もまた、あなたを見失い、自分の思いが満たされない事に不安を感じて、多くの病理的な症状を表しています。どうかあなたを見出し、あなたの内に平安を知る者となりますように。私達もまた、静かにあなたを指し示す事ができますように。

この祈りを主、主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:マルコによる福音書)>>

◆裏切られ、逮捕される

マコ 14:43 さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。

マコ 14:44 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。

マコ 14:45 ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。

マコ 14:46 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。

マコ 14:47 居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。

マコ 14:48 そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。

マコ 14:49 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」

マコ 14:50 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

◆一人の若者、逃げる

マコ 14:51 一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、

マコ 14:52 亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。

◆最高法院で裁判を受ける

マコ 14:53 人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。

マコ 14:54 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。

マコ 14:55 祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。

マコ 14:56 多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたからである。

マコ 14:57 すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。

マコ 14:58 「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました。」

マコ 14:59 しかし、この場合も、彼らの証言は食い違った。

マコ 14:60 そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」

マコ 14:61 しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。

マコ 14:62 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」

マコ 14:63 大祭司は、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必要だろうか。

マコ 14:64 諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にすべきだと決議した。

マコ 14:65 それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちは、イエスを平手で打った。

◆ペトロ、イエスを知らないと言う

マコ 14:66 ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、

マコ 14:67 ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」

マコ 14:68 しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。

マコ 14:69 女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。

マコ 14:70 ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」

マコ 14:71 すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。

マコ 14:72 するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。