家庭礼拝 2012年7月11日 マルコ13章24−37 目を覚ましていなさい

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先週の13章前半で、神殿の崩壊をイエス様によって予告された後、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレはオリーブ山で神殿のほうを向いて座っておられるイエス様のところにひそかにきて尋ねました。「おっしゃってください。その事はいつ起こるのですか。また、その事がすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」弟子たちの不安は高まっていました。イエス様の「人の子は殺される、そして三日の後に蘇る」と言う言葉がまだ受け入れられない内に、今度はエルサレムが滅びると言う予告を聞いたのです。弟子達はイエス様の予言を信じていました。イエス様の言った事はきっと起こると信じていました。ですから、その時はいつなのかを心配して聞きに来ました。

それに対して、イエス様は丁寧に答えました。この13章全体がその答えと言ってもいいほどです。小黙示録と呼ばれるように、黙示文学的な言葉で多くが語られています。その言葉は、決して新しいものではなかったのですが、イエス様は、その語られていた黙示的な言葉を用いて弟子達に説明したのです。その予告を順番にあげていくと、まず、

偽預言者が現れる。次に戦争の騒ぎや戦争のうわさが起こる。そして、あなたがたはすべての人に憎まれ、引き渡される。次には大きな苦難が来て、破壊されつくす。そして、太陽は暗くなり、星は空から落ちる。このような事が起こった後に、人の子が雲に乗ってくる、選ばれた人たちを四方から呼び集める。と語ったのです。そして、今日のキーワードは目を覚ましていなさい、と言う言葉です。この言葉が4回も繰り返し語られました。先週の箇所では、気をつけていなさいという言葉が3回語られ、後半にも1回語られています。ですから、この13章でイエス様が終末の話をしたときに一番言いたかったのは「気をつけていなさい。」と「目を覚ましていなさい。」なのです。これはどちらも同じ意味です。合わせれば、気をつけて目を覚ましていなさい、と言う事です。両方あわせて8回も語られているのです。それは惑わすものが来る、不安に心を乱される、主の日がやって来る、だから、気をつけて目を覚ましていなさいと言うのです。そして、そう言うのは、それらの事がいつやって来るかわからないからなのです。ですからいつやってきてもしっかりと信仰に立つ事ができるように、神様を見失う事のないように、気をつけて目を覚ましていなさいと言っているのです。

私たちは、気をつけているでしょうか。目を覚ましているでしょうか。主の日に備えているでしょうか。何が起こっても揺るがない信仰に生きる準備をしているでしょうか。終末の兆候がどこかに現れているか気をつけているでしょうか。偽預言者がどこに現れたのかを、見つけようとしているでしょうか。苦難に最後まで耐え忍ぶ覚悟は出来たでしょうか。再臨のイエス様に、すぐに会いに行く事が出来るでしょうか。喜び勇んで、御前にひれ伏す事ができるでしょうか。もうちょっと待ってくださいと言う者はイエスの弟子ではないのです。鋤に手をかけて後ろを振り返ってはいけないのです。死者を葬る間待ってくださいともいえないのです。油が切れたのでと言い訳も出来ないのです。

気をつける、目を覚ますと言う言葉には、命を掛けた緊張感が伝わってきます。それが出来なければ救いから締め出されるであろうと言う事が前提にある言葉です。初代教会の人たちは、このことを真剣に受け止め、真剣に実行したのではないでしょうか。今の私たちに一番欠けているのはこのことなのではないでしょうか。たとえ終末のことが良く分からなくても、気をつけていること、目を覚ましている事は、神様から目をそらさない為にも必要なのではないでしょうか。

今日の聖書の箇所の最初には、人の子の再臨について語られています。34節35節です。

マコ 13:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、

マコ 13:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる

それらの日には、とは、14節の「憎むべき破壊者がたってはならないところに立つのを見たら」と言うその時です。それは、聖なるエルサレム神殿に、異教徒の破壊者がそこに立つのを見た、それらの日にはと言う事です。そのときには、まず逃げよ、何よりもまずそこから逃げなければならないと言う事が15節から18節に書かれています。相手と戦ってもいけない、交渉しようとしてもいけない、財産を惜しんでもいけない、逃げる準備をしようとしてもいけない、ただひたすら逃げなさいと言っているのです。なぜならそれは敵の問題ではなく、主の日が来たからなのです。その破壊者による苦難の後にその日がやって来るのです。太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。と書かれています。これは当時良く知られた黙示文学の一節なのです。アモス書、ヨエル書、エゼキエル書、イザヤ書などには同じような事が書かれています。それを使ってイエス様が語られたのか、後の初代教会の人たちが書き入れたのかは分かりませんが、そのような天変地異が起こったとき、その時、その日がやって来るのです。26節27節です。

マコ 13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

マコ 13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

  イエス様は雲に乗ってくると言います。雲は神様の現臨の象徴です。その雲に乗ってイエス様はやって来るといいます。ですがそれよりも大切な事は、この終末の再臨の時があるとイエス様が約束された事です。そしてその後には全世界から、主によって選ばれた信仰者達が呼び集められると言うのです。これもまた、旧約聖書ではイザヤ書、ミカ書、ゼカリヤ書などに書かれていることです。ですから、この終末の状況の描写は、イエス様が初めて予言されたものではなく、むしろユダヤ社会では良く知られた伝説的な話だったのです。この終末の描写の中で、新しい約束は、人の子が再び来る、と言う約束なのです。

そして話しが、突然イチジクの木の教えになります。この話はむしろ枯れたイチジクの木のところで話されたほうが自然な気がします。そしてむしろこの話を飛んで27節から32節に繋がったほうがよほど自然に感じます。これもまた、マルコ福音書でよくある、イエス語録のようなものから将来の前兆のような事を言っている箇所を挿入したのだと思います。ですがここに、この言葉が与えられたのも、意味のあることかもしれません。ここで言われている事は、このような前兆が起こったならば、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。と言っているのです。そして、これらの事がみな起こるまではこの時代は決して滅びないと言いました。終末のプロセスは手順を踏んで現れ、それらがみな起こるまではこの時代は滅びないのです。そのプロセスは、まず、偽預言者が現れ、次に、戦争の騒ぎや戦争のうわさが起こり、あなたがたはすべての人に憎まれ、引き渡され、そして大きな苦難が来て、破壊されつくされ、太陽は暗くなり、星は空から落ちる。このような事が起こった後に、人の子が雲に乗って来て、選ばれた人たちを世界中から呼び集める。と言うプロセスなのです。そして続いて大切な言葉を語るのです。それは、31節の

マコ 13:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」こう、イエス様は言いました。人が滅んでも、エルサレムが滅んでも、天地が滅んでもイエス様の言葉は決して滅びないと言うのです。それほどイエス様の言葉は確かな事なのです。永遠の言葉なのです。もしかすると、イエス様の言葉の内にあるものが真実で、外の世界はすべて、天地も含めて幻影なのかもしれません。そういう風にも考えてしまいます。

さて、それではその時はいつなのでしょうか。弟子達が尋ねた、「おっしゃってください。その事はいつ起こるのですか。」と言う答えは何なのでしょうか。その終末のプロセスは教えてもらいましたが、それがいつ起こるのかはまだ答えられていないのです。イエス様はそれに答えました。32節です。

マコ 13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。

イエス様の答えは正直そのものでした。その日その時は知らないと言う事でした。イエス様でさえ知らないと言うのです。その日、その時は誰も知らない。天使達も子も知らないと言いました。そして知っているのは父なる神様だけなのです。それではどうしたらよいのでしょうか。どのように備えたらよいのでしょうか。逃げるにしてもいつ来るのかが分からなければ逃げようがありません。いつ来るかが分かればそれなりの備えが出来るのですが、それがわからなければ、どうしたらよいのか分かりません。イエス様はそれに答えました。33節です。

マコ 13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。

それは気をつけて、目を覚ましている事なのです。その時がいつなのか、私たちには分からないからこそ、気をつけて、目を覚ましていなければならないのです。この終末が来ると予告されて、私たちに出来る準備はいつも気をつけて、目を覚ましている事なのです。イエス様はこのことの意味をさらに詳しくたとえを用いて説明しました。34節から36節です。

マコ 13:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。

マコ 13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。

マコ 13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない

ここでの例えは、ぶどう園と農夫の例えの話と同じように、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせて、旅に出た人の話です。ここでぶどう園と違うのは、目を覚ましているように言いつけたことと、いつ突然帰ってくるのか分からないと言う事です。ここで目を覚ましていなさいと言うのは、いつ主人が突然帰ってきても、すぐに対応できるように準備していなさい、という事になります。ですから、いつも気持ちが主人のほうに向いているのです。イエス様が私たちに目を覚ましていなさいと言うのも、いつ主の再臨の時が来ても、すぐに対応できるようにしていなさいということです。そうしないと油を切らした女のように、戸を閉められて、締め出されるかもしれないからです。ある新興宗教では、その終末のときはいつごろ起こると予言します。それはイエス様でも分からないと言った事を、自分達は知っていると言っていることに成ります。イエス様が、その日は分からないと言ったのは、むしろその日がいつ来るのかを知るよりも、日々目を覚まして気をつけていることのほうが大切なのからではないでしょうか。そして最後にこう言いました。37節です

マコ 13:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

ここにイエス様の結論が語られました。イエス様の一番言いたい事は、自分はこれから旅に出る、だが、あなたたちは再臨の時を覚えて、いつも目を覚ましていなさい。と言う事です。それはあなた方だけではなく、すべての人に言うのであると言いました。もちろん私たちにも言われているし、未信仰者の人々にも言われている事です。

私たちには三つの目があると哲学や心理学や神学ではよく言われることです。それは肉の目、精神の目、霊の目です。それぞれの目はそれぞれの世界を、それぞれの方法で捜し求め見る事の出来る目です。今私たちの言われているのは、まさに霊の目です。この霊の目を眠らさないで、いつも目を覚ましていなさいと言う事なのです。たとえ肉の目が眠ったとしても、精神の目が眠ったとしても、霊の目を眠らせてはいけない。いつも目を覚ましていなさいと言うのです。たとえ夢の中にあってさえも、この霊の目は目を覚ましているのです。そして気配を感じれば、寝ているときに神様に声をかけられた少年サムエルのように、すぐに目を覚まし、「ここにいます」とそれに応答するのです。このサムエルと同じ名前で、ギリシャ語読みではサウルと言う人もまた、主によって、サウルの霊に直接語り掛けられました。「サウル、サウルなぜ私を迫害するのか。」と呼びかける声を聞いたとき「主よ、あなたはどなたですか」と応答しました。それがイエスであると分かった後は、肉の目は見えなくなり、ただ霊の目でその事実を確かめたのです。

この霊の目を、主の再臨のときまで決して眠らせることなく、気をつけていなければならないのです。

 今日の聖書の箇所で、大切な事はイエス様が、終末のときが来ると言われ、そのときにはイエス様が再臨されると約束された事です。そしてその時はいつなのかは分からないので、気をつけて目を覚ましていなさいと命じられている事です。そして、これらの言葉は天地が滅んでも滅びないイエス様の言葉であると言う事です。

 私たちが、このことに気をつけて目を覚ましている為には、ほかの事に気を取られない事です。ほかの事に気をそらしてしまうと、霊の目は閉じられてしまうのです。この霊の目を決してそらすことなく、注意して、目を覚ましている事、これが今日の箇所でイエス様が私たちに命じられている事なのです。私たちが今、何に気をとられているのかに注意しましょう。それはこの世の事でしょうか、人間的なことでしょうか、心配事でしょうか。それらの事を越えて、目を覚ましている事が大切だと教えられています。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。今日の導きの御言葉に感謝いたします。主は、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見ると約束なさいました。そして私たちにはそれまで、目を覚ましていなさいと命じられました。神様、どうかこの約束とこの命令とをしっかりと受け止めていく事ができますように。この世の事に捉われて、霊の目がふさがれそうになったとき、どうかあなたがそば近くにいて、その目を覚まさせてください。その時はいつ来るか分からないと言われました。油断することなく、たゆむことなく、慎重に、気をつけて歩んでいく事ができますように。

主は、あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。と言われました。どうかすべての人がこのことを知らされて、目を覚まして歩む事が出来ますように。この世の出来事に捉われて、大切な事を忘れないように、目を覚ましている事ができますように。人間的なことで思い悩むのではなく、あなたに委ねて、目を覚まして歩む事ができますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:マルコによる福音書)>>

◆人の子が来る

マコ 13:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、

マコ 13:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。

マコ 13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

マコ 13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

◆いちじくの木の教え

マコ 13:28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。

マコ 13:29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。

マコ 13:30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。

マコ 13:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

◆目を覚ましていなさい

マコ 13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。

マコ 13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。

マコ 13:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。

マコ 13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。

マコ 13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。

マコ 13:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」