家庭礼拝 2012年7月4日 マルコ13章1−23 終末のしるし

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今日のマルコ13章は、福音書の中でも特殊なところです。イエス様の終末観、初代キリスト教会の終末観が色濃く出ている箇所です。特に、ユダヤ的な黙示文学が、あちこちに埋め込まれており、小黙示録とも言われている箇所です。今日語られているイエス様の御言葉の中にも、ユダヤの黙示文学から持ってきていると言われる箇所が多数あります。7節と8節、そして14節から20節です。そういわれてみて、よく読んでみると、確かにイエス様の言葉としてはちょっと異質なものを感じます。ですがそれは、初代の教会が、イエス様の語った言葉を拡大解釈して、付け加えたようなものです。当時の雰囲気としては、何の違和感もないむしろ説得力のあるものだったに違いないのです。

それと、もう一つ特徴的なことがあります。このような終末観を語る中で、イエス様が繰り返し語った言葉は「気をつけなさい」と言う言葉です。多くの災難や苦難がやってくるけれども、あなたたちは気をつけていなさいというのです。何に気をつけるのでしょうか。このような混乱の中にあるときにどうしたらよいのでしょうか。このような終末的な混乱、苦難の中で人々は、取り乱し、うわさを呼び、迫害し、逃げ惑うのですが、イエス様の言っているのは、そのよう中にあっても、自分をしっかり持って、神様に信頼して歩めるように、気をつけていなさい、と言うことなのです。自分を見失わず、恐れず、目覚めていなさいと言うことです。災難から逃れるために、何かをすることが大切なのではなく、その現実をしっかりととらえて気をつけていることが大切だと言っているのです。これは終末でなくても今の私たちにも必要なことではないでしょうか。気をつけていること、それは、信仰を持ってしっかりと立っていることです。周りの出来事に惑わされることなく信仰の上にしっかりと立って、委ねて歩んでいく、と言うことが気をつける、目覚めていると言うことになるのではないでしょうか。この御言葉にも注意しながら、今日の聖書の箇所を読んでいきたいと思います。

イエス様と弟子達との会話が終末論的な話に発展していくきっかけは、ある弟子がその神殿の素晴らしさに驚いて、驚嘆の声を上げる事から始まりました。1節と2節です。

マコ 13:1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」

マコ 13:2 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

 この神殿はまだ完成はしていませんでした。このときのエルサレム神殿は、ヘロデが紀元前20年に建築を始めたものですがまだ完成途中であり、実は紀元70年のエルサレム滅亡のときでさえもまだ完成していなかった大建築なのです。

弟子が驚いたのはその大きな石でした。ヨセフスによるとその石の大きさは、長さ13m高さ4m幅6mもある巨大な石だったそうです。それが壁面を築き上げ、また柱となるものは大理石で、相当な重量の金の板で覆われていたそうです。これを見たガリラヤの弟子達が驚いたのは無理からぬことでした。私たちもまた、そのような、人間の手になる壮大なものに心を奪われ、一瞬神様のことを忘れてしまうのです。人間の可能性に重きを置いてしまうのです。ですが、イエス様はこう言いました。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」イエス様は、人間の手の業ではなく、神様の手の業を見ていました。もうすぐ終末のときが来ることを感じ、その前では、人間の手になるものがいかにむなしいものであるかを感じていたのです。そしてエルサレムの崩壊を予言して、この大きな石もまた、崩れ去ることを言ったのです。そして、その予告どおり、約40年後にはエルサレムは崩壊するのです。ですが、このイエス様のエルサレム崩壊の予告は、ユダヤ人にとってはとても冒涜的な言葉でした。後に、これがイエス様を訴える理由となったのです。

 

さて、今度はイエス様は、オリーブ山の上にいました。ここからは、エルサレム神殿が良く見えるのです。山の上から見ると、目の前にはなだらかな下りの谷があり、そこから立ち上がった山の上にエルサレム神殿が見えるのです。何も視界をさえぎるものがなく、エルサレム神殿と町並みが良く見えるのです。ここは、イエス様のお気に入りの場所でした。しばしばここのぶどう園や山の頂に来ていたのです。この日もまた、山の頂あたりに座って、エルサレム神殿を見ていました。すると、先ほどのエルサレム崩壊の話が気になった弟子達が、イエス様にひそかに尋ねにくるのです。3節と4節です。

マコ 13:3 イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。

マコ 13:4 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」

 エルサレムが崩壊すると言うのは終末が来ると言うことです。それはエルサレムだけではなく、世界が崩壊すると言うことです。そのことを弟子達が無関心でいる事はで来ませんでした。4人の弟子達がイエス様のところに来て、そのことがいつ起こるのか、そしてそのことが起こるときには何か前兆があるのかと尋ねたのです。いよいよ弟子達も、それに備えなければならないと感じ始めたのです。それに対しイエス様は答えられました。5節から8節です。

マコ 13:5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

マコ 13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

マコ 13:7 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

マコ 13:8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。

  イエス様が話し始められてすぐ、最初の気をつけなさいが現れました。それは人に惑わされないように気をつけなさいということでした。そのときにはいろいろなことが起こる、だがそのようなことに惑わされてはいけないと言ったのです。それはイエス様の名を名乗るものが大勢現れると言っているのです。これは私がイエスであると言うことではなく、私がキリストである、私がメシアである、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすものが現れると言うことです。だがそのようなものに惑わされないように気をつけなさいということです。人を見るのではなく、神様をしっかりと見ていれば、その信仰に立つならば、人に惑わされることもないはずです。イエス様はそれに気をつけなさいといっているのです。続く、7節8節は黙示文学の引用と言われるところです。もしかするとイエス様が本当に引用されたのかもしれないし、初代教会の人々が理解しやすいように入れたのかもしれません。そこには終末の典型的な現象である、戦争の話しや地震や飢饉の話が出てくるのです。ここで言おうとしている事は、慌ててはいけないということです。そのような事は起こるに決まっていることだから、まだ生みの苦しみの始まりに過ぎないことだからあわててはいけないと言うことなのです。たとえ終末の話を聞いても、あわてないで気をつけていなさいということなのです。人間の不安の心理をついてくる、よこしまな事柄に気をつけなさいといっているのです。

そして二回目の気をつけなさいが現れます。9節から10節です。

マコ 13:9 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。

マコ 13:10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。

  先ほどは他の人の言うことに気をつけなさいでしたが、今度は、自分のことに気をつけていなさいといっています。それは、自分で自分を不安がらせることや心配することに気をつけなさい、と言っているのです。自分を不安にさせ、あわてさせるのは他人だけではないのです、自分自身が、自分に良くないことを言い続けて不安にさせるのです。そうならないように気をつけていなさいと言っています。このイエス様の気をつけなさい、気をつけていなさいという言葉には、終末が近づいたことによる不安に対し、自分の心の外でも内でも起こるうわさやつぶやきなどに振り回されないように、自分自身をしっかり見つめる別の自分をもちなさい、と言う意味のことではないかと思います。そのような不安に陥りそうな自分を、しっかりと客観的に見ている自分を持って、気をつけていなさいということなのだと思います。そうすると、自分がどんなに愚かにあわて振り回され、神様のことを忘れているのかが分かるから、というとなのだと思います。今の私たちにとっても、不安に囚われそうになったときに、気をつけていなさいという御言葉は、私たちを正気に引き戻す言葉ではないかと思います。

イエス様の予言は、その終末が来る前に、あなたがたは引き渡され、会堂で打ちたたかれ、総督や王の前で証をすることになると言っています。終末が来る前には、あなたがたはそのような迫害や苦難に襲われるだろうといっているのです。ですが、まだそれでもその時がやってくるのではありません。そのときというのは終末のときと言うよりも、メシアの再臨のときなのです。そのときが来る前に、まず福音があらゆる民に述べ伝えられなければならないのです。

弟子たちはその時が、今年なのか、来年なのか、10年後なのかと言う風に知りたかったのです。そしてそのときの徴として、エルサレム神殿の壁が崩壊するであるとか、太陽が見えなくなるであるとかの明確な現象を知りたかったのです。ですがイエス様はそのようには答えませんでした。偽キリストや戦争、地震や飢饉、迫害などが起こるだろう、だがそれでもその時はまだやってこない。その前に「まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。」と言ったのです。それはいつになるか分からないが、福音があらゆる民に述べ伝えられてからなのです。それまでは終末はやってこないから安心しなさいと言うわけではありません。それまでは、苦難や迫害が続くと言っているのです。イエス様は、そのような苦難や迫害に対して、どのように対処したらよいのかを11節から13節でこう言いました。

マコ 13:11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。

マコ 13:12 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。

マコ 13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

  私たちは心配に捉われるといろいろ考え、ああしたらよいだろうか、こうしたらよいだろうか、どのように言ったら許してもらえるだろう、などといろいろなことを考えて、そのことで返って疲れ果てて倒れてしまったりします。イエス様は、弟子たちに、あなたたちは迫害に会い、引き渡され、連れて行かれるが、その時、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならないと言いました。そのような苦労は必要がないと言っているのです。そして、その必要があるときには聖霊があなた方に教えることを話せばよい。話すのは聖霊なのだ、と教えてくれたのです。これは、話す時だけではなく、不安になってどうしたらいいだろうと思っているときすべてに関して言えることです。緊張してしまって、みんなの前で、うまく出来ないのではないかと思っているときも、大切な仕事を失敗するのではないかと思っているときも、心配は取り越し苦労であり、そのときに必要な事は、そのときに聖霊が教えてくれ、聖霊が変わりにやってくれると言うのです。ですから、私たちは主を信じ、聖霊を信じて、委ねればいいのです。これは大きな約束です。私たちは、不安になってしまったとき、この約束のことを思い出して、イエス様に訴えることが出来るのです。

また、イエス様は恐ろしいことも言いました。兄弟や、親子の間で、殺し合いが始まると言うのです。そして、イエス様の名のために、すべての人に憎まれると言うのです。イエス様のこれらに対する対処の仕方は、耐え忍べ、と言うことです。最後まで耐え忍ぶ者は救われる、これを信じて生きよということです。このような恐ろしいほどの迫害や苦難が生じたときに、イエス様が教える教えと言うのは、その状況に抵抗するな、その状況と戦うな、心配するな、取り越し苦労をするな、信じて委ねなさい。そして最後まで耐え忍びなさい。そうすれば、救われる、と言うことなのです。私たちは、苦難や不安に出会うと、それから逃れようと抵抗し、戦い、一刻も早く、安心したいと言う思いに駆られます。ですが、イエス様の教えはそうではないのです。抵抗するな、信じなさい、耐え忍びなさい、なのです。

マタイ 5:39 では、イエス様はこのように言われています。「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」このように、イエス様の教えは、抵抗するな、信じなさい、耐え忍びなさい、なのです。それが救われる方法なのです。

次の小見出しのところには、◆大きな苦難を予告する、と書いてあります。ここの内容は、さらに大きな出来事が起こると言うようなものではありません。13章5節の「人に惑わされないように気をつけなさい」と言ったイエス様の言葉が、13章21節の、「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。」と言う言葉に繋がるのです。そしてその間にあるイエス様の言葉は、ほとんどがユダヤ民族の黙示文学の挿入句なのです。イエス様がそれに近いことを話したのかもしれませんが、語られている言葉は、黙示文学から引用されたものだと思います。特に14節から20節までは、その黙示文学の引用句がそのまま使われているような箇所です。ですから、話の調子が突然変わってしまうのです。そのような黙示文学による終末の苦難をまざまざと見せ付けた後で、イエス様の次の言葉21節から33節が生きてくるのです。

マコ 13:21 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。

マコ 13:22 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。

マコ 13:23 だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」

と言うことなのです。これはほとんど前の5節の繰り返しになります。

  弟子たちの、イエス様に尋ねた、「おっしゃってください。その事はいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときにはどんな徴があるのですか。」と言う問い掛けに対しては、黙示文学的なことを除くと、「それは、福音があらゆる民に述べ伝えられてからである。だがそれまでに多くの苦難や惑わしが起こるので、気をつけていなさい。信仰にしっかりと立っていなさい。」と言うことになるのではないでしょうか。

 今日の聖書の箇所では、気をつけなさい、と言う言葉がキーワードになっています。これは不安や人の思いに流されることなく、信仰の上にしっかりと立ちなさいと言うことです。終末の不安に襲われても、しっかりと目覚めており、気をつけていなさい。そうすれば救われると言うことなのです。

 もうひとつは、最後まで耐え忍びなさいと言うことです。迫害や苦難に出会い、殺されそうになっても、投獄されても、憎まれても、それに抵抗することなく、あがくことなく、信仰に立ち、聖霊に委ねて、最後まで耐え忍びなさい、そうすれば救われる、と言うことです。

 この二つの言葉は決して能動的な言葉ではありません、受動的で静的な言葉です。イエス様の救いはこのような静謐な気付きのうちにあるのかもしれません。苦難にあっても、静かに信仰に目覚めている。それが信仰者の姿かもしれません。

 

 

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。今日の聖書では、終末の恐ろしい出来事の中で、不安に苛まれ、人の惑わしに流されてしまいそうな時に、あなたが、私たちに「気をつけていなさい」と語りかけてくださっていることを知りました。それはそのような不安や恐れに捉われるのではなく、私たちをしっかりと捉えてくださっている方がおられることに気づき、あなたの御手の業に、静かに信頼し、気をつけていることなのだと思います。神様、どうか人のすることに目を奪われるのではなく、気をつけて、あなたの御手の業に気をつけることが出来ますように。そして最後まで耐え忍んで、救いに入るものでありますように導いてください。

世の中には多くの不安に捉われている人々もいます。どうかその中にあって、捉われることなく、流されることなく、あなたのともし火をしっかりと持って、立ち尽くすことが出来ますように。そしてその光を見て、あなたの救いの業を知るものが与えられますように。そしてその救いへと導かれますように。今日与えられました恵みに感謝し、この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:マルコによる福音書)>>

◆神殿の崩壊を予告する

マコ 13:1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」

マコ 13:2 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

◆終末の徴

マコ 13:3 イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。

マコ 13:4 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」

マコ 13:5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

マコ 13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

マコ 13:7 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

マコ 13:8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。

マコ 13:9 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。

マコ 13:10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。

マコ 13:11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。

マコ 13:12 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。

マコ 13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

◆大きな苦難を予告する

マコ 13:14 「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

マコ 13:15 屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。

マコ 13:16 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。

マコ 13:17 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。

マコ 13:18 このことが冬に起こらないように、祈りなさい。

マコ 13:19 それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。

マコ 13:20 主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。

マコ 13:21 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。

マコ 13:22 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。

マコ 13:23 だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」