家庭礼拝 2012年6月20日 マルコ12章1−27 ぶどう園と農夫のたとえ

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イエス様が、祭司長、律法学者、長老達のサンヒドリンのメンバーと、権威についての問答をしてから、急にその対立が険しくなってきました。もう、引き戻せないところまで行ってしまうのです。12章はそのような問答で、いっぱいのところです。最初は「ぶどう園と農夫のたとえ」をしますが、これはイエス様がこれらの人々に、あなた方はぶどう園の農夫のような者であると、宣戦布告したようなものです。そして「皇帝への税金の話」はファリサイ派の人々が政治的な立場から、イエス様を落としいれようと反撃したのであり、「復活についての問答」は、サドカイ派の人々が信仰の立場から、復活の話がこっけいなものであることを言ってイエス様を貶めようとしているのです。ですが、そのような醜い罠を仕掛けようとしていた問答にもかかわらず、イエス様が立派にお答えになったのを聞いて、一人の律法学者が、「最も重要な掟」について尋ねたのです。律法学者がすべて、イエス様に対立していたわけではないのです。そしてその後には、「ダビデの子についての問答」があります。これはイエス様から律法学者達の言っていることに対する反論です。そして、「律法学者達を非難」するのです。

このようにイエス様の神殿での4日目は、イエス様の御心を知り、これから先の運命を知ることの出来る重要な論争で、満ちているのです。イエス様はすべてに立派にお答えになりました。一方、歯が立たなかった、祭司長、律法学者達はその憎しみを、イエス様を殺害する方向へとどんどん駆り立てていくのです。

今日はそのような状況の中での、「ぶどう園と農夫のたとえ」「皇帝への税金の話」「復活についての問答」の三つについて、御言葉に聞いてみたいと思います。

まず最初に、ぶどう園の話が始まります。この話は今までのたとえ話とはちょっと違うのです。今までのたとえ話は、周りの景色を見渡しながら、即興的に、語られたたとえ話でしたが、今回のたとえ話は十分に考えられたたとえ話なのです。ですからそれぞれのパーツに意味があり、主張がこめられているのです。この時のために、イエス様が暖めていたたとえ話と思われます。そこには、神様と、神の子と、預言者と、イスラエルの人々の関係が、ぶどう園の主人と、その息子と、僕たちと、農夫達の関係で語られているのです。そしてそこには、イエス様の神様に対する自覚と、これから起こることの予言とが語られている、とても大切なたとえなのです。まず最初に、

マコ 12:1 イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。

 と書かれています。これは当時の農園の経営方法をとても正確に表しているのです。農園の主人と言うのはそこで作業する人ではなく、農業に投資する人なのです。このような人たちは、まだ何もないぶどう園に、動物が入ってこないように垣根をめぐらせ、ぶどうが収穫できたらすぐにぶどう酒を作れるように、絞り場を用意し、敵や泥棒を見張る為の見張りのやぐらを作って、それらが準備できると、人を集めて作業したい人に貸し出して、収穫のときになったら、その収穫の一定量を受け取ると言う仕組みなのです。最初はすぐに収穫できないので、5年後に受け取るようになっていたそうです。いわば、必要なものを全部準備して貸し出す、レンタル農場経営者なのです。その主人はというと、それを貸し出した後は、気候のよい場所に移り住んで、収穫のときを待つのだそうです。このように、この喩えの主人も、ぶどう園を貸し出して、旅に出たのです。この農夫達と言うのはユダヤ民族のことです。私達と言ってもいいかもしれません。神様である、主人は、農夫達にすなわち、私達に、いろいろなものを貸し与えたのです。ですが農夫たちはいつの間にかそれを自分のものだと思い始めたのです。そして、どうせ主人は、すなわち神様なんかずっと遠くにいるのだから、ここにいる我々には何も出来ないのだと思い始めていたのです。そして主人との約束をすなわち神様との約束を信じなくなっていたのです。

そして、借り入れのときが来たので、主人は僕を遣わして約束の受け取り分を受け取りに行きました。2節から5節です。

マコ 12:2 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。

マコ 12:3 だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。

マコ 12:4 そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。

マコ 12:5 更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。

  この袋叩きにされたり、殴られたり、侮辱されたり、殺された僕とは、神様がユダヤ民族に送られた預言者達を言っているのです。神様は辛抱強く、預言者を遣わして、約束の物を受け取ろうとするのですが、その約束などは忘れて、全部自分のものだと思っている農夫にはこの預言者たちがわずらわしくてしょうがなかったのです。もう、神様を神様とは思わなくなっていたのです。もう神様は死んでいるから預言者が来ているのだと思っていたのです。神様は、其れでも忍耐強く、農夫達が神様を敬ってくれることを期待しました。6節から8節です。

マコ 12:6 まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。

マコ 12:7 農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』

マコ 12:8 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。

  息子と言うのは、イエス様のことです。イエス様はたとえ話の中ですが、ご自分を神の息子に喩えられたのです。これは驚くべきことであり、今までになかった明白な出来事です。主人が、私の息子なら敬ってくれるだろうと言って送った、その息子もまた、殺され、ぶどう園の外に放り出されてしまったのです。ここでは、イエス様が御自分がどのように死んでいくかを、この喩えの中で、律法学者達も含めた群集たちにもはっきりと伝えたのです。農夫達は、主人はもういない、後は息子さえ殺せば、全部自分達のものになると考えていたのです。ユダヤ人もまた、神と神の子を抹殺して、自分達が借り受けたものを、自分達で勝手に自由にすることを望んでいたのです。そしてこう続きます。

マコ 12:9 さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

マコ 12:10 聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。

マコ 12:11 これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』」

イエス様は、このぶどう園の主人が戻ってきて、農夫達を殺して、ぶどう園を他の人たちに与えるだろうと言ったのです。これはこの信仰が、ユダヤ人から異邦人に移されていくことを予言しているのです。これを聞いた律法学者達は、この喩えの意味を理解して、イエス様を捕らえようとしましたが、群集を恐れて、その時はそれが出来なかったのです。イエス様はこのように、ユダヤ人たちの特に指導者達のあり方を痛烈に非難されたのです。

さて、ユダヤ人たちの反撃がいよいよ始まります。十分に練ってきた質問を自信たっぷりに携えて、へつらう振りをしてイエス様に近づいてくるのです。その質問と言うのはジレンマの罠に陥れて、どちらを答えてもイエス様の不利益になるようにするというものです。13節と14節です。

マコ 12:13 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。

マコ 12:14 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」

 この質問の罠は、もしイエス様が税金を納めることが律法にかなっていると言えば、ローマの支配を快く思っていない民衆から、イエスは裏切り者、臆病者とみなされてその人気は落ちるだろうと考えていたし、税金を納める事は律法にかなっていないと言えば、彼等はイエス様をローマ人に報告し、謀叛人として、逮捕させることが出来ました。このどちらで答えてもうまく行かないジレンマの罠は、この人たちの得意技だったのです。前にも、神殿から商人を追い出したことで、「何の権威で、このようなことをしているのか。誰が、そういう権威を与えたのか」と問いかけてきたのもジレンマの罠でした。その時はイエス様に逆に問い返されて、自分達がジレンマに落ちてしまいました。今回はイエス様はどうしたでしょうか。15節から17節です。

マコ 12:15 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」

マコ 12:16 彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、

マコ 12:17 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

  イエス様は、その罠を見抜いていました。其れでも誠実に答えようとしました。ユダヤ人たちは信仰的な立場と政治的な立場は矛盾する、だからジレンマに陥るだろうと思っていたのです。それは神様のものをローマに取られていると考えていたからです。ですが、イエス様はそうではありませんでした。イエス様にとって政治的な権威は、神様の権威に含まれるのです。イエス様はデナリオン銀貨を取って、「これは、だれの肖像と銘か」と聞き皇帝のものですとの答えを聞くと、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と答えたのです。貨幣には皇帝の肖像と名前が彫られており、一目で、それが皇帝のものであることが分かるのです。その貨幣を使って、商売をすることができ、平和を保つことが出来るのだから、そしてその権威は神様が与えたものだから、皇帝のものは皇帝に返しなさい。そしてそれ以外の神から受けたものは神様に返しなさいと言ったのです。これにはユダヤ人たちも反論できなかったのです。私達もまた、この国に住んでいる恩恵を思うならば、それに必要な税金を納めるべきであり、神様から与えられた、命や時間や能力を用いていろいろなことが出来るのだから、そこから得られたものや与えられたものは神様に返すべきなのです。先ほどの農夫のたとえの場合と同じように、私達は、自分と言うものが与えられて生きているものであることを知らねばならないのです。そして、与えられた恩恵で生きているものならば、与えてくださった方に、お返しするのが当然なのです。

最後は復活に関する問答ですが、ここでは初めてサドカイ人が登場します。サドカイ派の人々は貴族的であり、金持ちであり、祭司達の大部分を占めており、大祭司はサドカイ人によって保持されてきました。パリサイ人たちが、口伝律法や慣習や、いろいろな言い伝えを信じてきたし、その中の復活や霊や天子の話も信じてきました。ところが、サドカイ人たちは成文化された聖書のみを受け入れて、復活などは信じなかったのです。ですから、パリサイ人と同じように復活をも説いているイエス様に復活の矛盾点を指摘して、イエス様を辱めようとしたのです。ですがイエス様はこう答えました。24説から27節です。

マコ 12:24 イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。

マコ 12:25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。

マコ 12:26 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。

マコ 12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」

イエス様の答えは、サドカイ派の人々がもし人が復活するなら、それは肉体的に今と同じような人間と考えるのに対して、イエス様の答えは、死者の中から復活する時は天子のようになるのだと言ったのです。そして最後に「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」この言葉には、だから、たとえ死んでも、また生き返ると言う意味が含まれています。この復活に関しては私自身深く語れるものではありません。ただそれを信じる信仰をもち続けたいと思うのです。なぜなら、それはイエス様が信じていたことであり、人が死んだらおしまいだとは思えないからです。

 今日の聖書の箇所のメインはぶどう園と農夫の喩えにあったかと思います。そして皇帝への税金の話と合わせて共通に教えられる事は、私達はいろいろなものを与えられて生きているということです。霊的にも、肉体的も、社会的にもいろいろなものを与えられて生きているのであって、自分の物などひとつもないのです。すべては借りたものであって、本来皆返すべきものなのです。神様から受けたものは神様に、社会から受けたものは社会に、命もまた借り受けたものだからいずれ返すことになるのです。物を借りて、返す時には気持ちよく返さなければなりません。また借りることができる為にです。ところがそれを、惜しんで、自分のものとして生きるところに私達の苦しみが生じるのかもしれません。気持ちよくお返しする、それが今日教えられたことかもしれません。それはまた、復活を信じることによって、より良くできるのかもしれません。イエス様は復活を信じていたからこそ、十字架の死をも受け入れたのだと思います。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、あなたがお与えになった、この命や、家族や、財産や、健康に感謝いたします。あなたが与えてくださらなければ、私達は何一つ持つことができません。ですが、私達は、それを神様から与えられたのではなく、自分の力で勝ち取ったのだと言い張るのです。そして神様を無視しようとするのです。私達に、良きものを与えてくださって、実り豊かに生きるようにと導いてくださる神様。どうかあなたの恵みを知って、実り豊かに実らせ、その収穫をあなたに喜んで捧げるものでありますように。あなたの恵みを覚えて、いつも感謝し、賛美するものでありますように。どうかお返しする時がきたならば、またあなたから豊かに借りられるように、気持ちよくお返しすることが出来ますように導いてください。

 今、日本だけでなく、世界中が経済的にそして政治的にも困難な時代に直面しております。そのような中で、就職難や貧困、そして絶望を覚えて不安の中に生きている人々が沢山います。一人ひとりを省みてくださり、慈しみと平安とを与えてくださいます神様。あなたは信じるものに豊かな恵みを与え、そして永遠の命を与えると約束してくださいました。そして重荷を負っているものには私の元に来なさい休ませてあげようと言ってくださいました。どうかそのみ言葉が、私達のうちにあって、実現しますように。御心がなりますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:マルコによる福音書)>>

 

◆「ぶどう園と農夫」のたとえ

マコ 12:1 イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。

マコ 12:2 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。

マコ 12:3 だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。

マコ 12:4 そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。

マコ 12:5 更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。

マコ 12:6 まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。

マコ 12:7 農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』

マコ 12:8 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。

マコ 12:9 さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

マコ 12:10 聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。

マコ 12:11 これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』」

マコ 12:12 彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。

◆皇帝への税金

マコ 12:13 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。

マコ 12:14 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」

マコ 12:15 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」

マコ 12:16 彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、

マコ 12:17 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

◆復活についての問答

マコ 12:18 復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。

マコ 12:19 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。

マコ 12:20 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。

マコ 12:21 次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。

マコ 12:22 こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。

マコ 12:23 復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」

マコ 12:24 イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。

マコ 12:25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。

マコ 12:26 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。

マコ 12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」